ナントに雨が降る

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ナントに雨が降る
バルバラ楽曲
収録アルバムいつ帰ってくるのフランス語版
リリース1964年
規格LP
ジャンルシャンソン
時間46
レーベルCBSフランスフランス語版
作詞者バルバラ
作曲者バルバラ
De Shanghai à Bangkok
(11)
ナントに雨が降る
(12)

「ナントに雨が降る」(ナントにあめがふる/フランス語原題:Nantes)は、フランス楽曲

シャンソン歌手であるバルバラ1963年作詞作曲し、1964年録音した楽曲である。

解説[編集]

1959年12月21日、バルバラは10年来音信の途絶えていた[1]父親:ジャック・セルフ(Jacques Serf)の死を知った。父親はパリを離れナントに移り住んでおり、市の南部に位置するサン=ジャック病院フランス語版脳腫瘍のため死去した[2][注釈 1]

ナント最大の墓地:ミゼリコルド墓地フランス語版[1]での葬儀の翌日から、バルバラは「ナントに雨が降る」の作曲を開始。4年後の1963年11月5日カプシーヌ劇場英語版フランス語版カタルーニャ語版に出演する数時間前に曲が完成した[3]

本作はアルバム『いつ帰ってくるの』の最後に収録されている。

オマージュ[編集]

ナントにあるグランジュ・オ・ルー通りフランス語版の看板

グランジュ・オ・ルー通りフランス語版という地名(直訳:「狼のいる牧舎通り」)が父親の死の場所として歌詞に登場するが、この通りの名前は当時存在しない架空のものであった。楽曲の発表から約20年後の1986年3月22日、バルバラと俳優ジェラール・ドパルデューの立ち合いの元、グランジュ・オ・ルー通りの開通式が行われた。通りはサン=ジョゼフ・ド・ポルトゥリー地区フランス語版に位置しており、バルバラの父親ジャック・セルフが亡くなったボジョワール地区フランス語版のすぐ近くである[1][2][4]。さらにそれから14年後の2000年12月9日、グランジュ・オ・ルー通りの近くに、バルバラ通りフランス語版が開通した。通りは歌手の彫像フレスコ画で彩られている[1][5]

ナントにあるバルバラ通り(Allée Barbara)の看板

フランス本国に於けるカヴァー[編集]

プロアマチュア問わず多くの者が本作をカヴァーしている。最もバルバラのスタイルに近いピアノ弾き語りではマリー=ポール・ベルによる2001年9月11日発表のアルバム『 “chante Barbara” (マリー=ポール・ベル、バルバラを唄う)』の録音が知られている。

日本に於ける概況[編集]

JASRACに於いては2018年現在、外国作品/出典:PJ (サブ出版者作品届) /作品コード 0N0-0078-5 NANTES として登録[6]。計9名の歌手が「アーティスト」とされており、バルバラの他に日本人歌手では加藤登紀子杉田真理若林圭子クミコらが登録されている[6]

出版者は、EDITIONS METROPOLITAINES 301。日本でのサブ出版[注釈 2]日音 Synch事業部が保有している[6]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ L'hôpital Saint-Jacques était le seul grand hôpital nantais à l'époque, puisque l'Hôtel-Dieu qui avait été démoli par les bombardements de 1943, était en cours de reconstruction et ne sera remis en service qu'en 1964.日本語対訳:サン=ジャック病院は当時ナントにある唯一の総合病院だった。市立病院は1943年の爆撃で破壊されており1964年に再建されるが、当時はまだ再建設の最中であった。)
  2. ^ 音楽出版者が全世界の地域について単独でその活動を行うことは難しいことから、特定地域の出版者と、その地域についての利用開発やプロモーションを任せる契約を結ぶことがある。この場合、作詞者・作曲者から直接権利を取得した音楽出版者はOP(Original Publisher)と呼称し、OPと契約を結び特定地域についての活動を任せられた音楽出版者はSP(Sub Publisher)と呼称する。

出典[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]