デュオ・クロムランク

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パトリック・クロムランク
Patrick Crommelynck
基本情報
出生 1945年5月10日
ベルギーの旗 ベルギー ブリュッセル
死没 1994年7月10日(満49歳没)
ベルギーの旗 ベルギー ブリュッセル
学歴 ブリュッセル音楽院
モスクワ音楽院
ウィーン国立音楽大学
ジャンル ピアノ二重奏
職業 ピアニスト
担当楽器 ピアノ
活動期間 1974年 - 1994年
桑田妙子
基本情報
出生 1947年11月21日
日本の旗 日本 広島県
死没 1994年7月10日(満46歳没)
ベルギーの旗 ベルギー ブリュッセル
学歴 桐朋学園大学
ウィーン国立音楽大学
ジャンル ピアノ二重奏
職業 ピアニスト
担当楽器 ピアノ
活動期間 1974年 - 1994年

デュオ・クロムランク(Duo Crommelynck)は、1974年から1994年まで活動を続けたベルギーピアノ・デュオベルギー人のパトリック・クロムランクと日本人の桑田妙子の夫婦によるデュオであった。ヨハネス・ブラームスピョートル・チャイコフスキーフランツ・シューベルトアントニン・ドヴォルザーククロード・ドビュッシー等の連弾曲の開拓、演奏で知られる。活動の頂点で2人は自殺を遂げた。

メンバー[編集]

パトリック・クロムランクPatrick Crommelynck)は、1945年5月10日[1]ブリュッセルに生まれた[2]ブリュッセル音楽院ステファン・アスケナーゼに師事した後、モスクワ音楽院ヴィクトル・メルジャーノフに、ウィーン国立音楽大学ディーター・ヴェーバーに師事した。

桑田妙子(くわた・たえこ)は、1947年11月21日に広島で生まれた。桐朋学園大学音楽部に入学し安川加寿子奥村洋子に、その後ウィーンへ留学してからはディーター・ヴェーバーに師事した[2]

経歴と評価[編集]

2人はウィーンで出逢い、1974年にウィーン音楽大学を卒業、デュオとして活動を始めた。ブラームスの《交響曲第4番》の2台ピアノ版の録音で注目を集めるようになり[2]、評価された[3]。ドボルザークの交響曲第9番新世界のピアノ連弾用の譜面を発掘し、世界で初めて録音するなど連弾曲の開拓に尽力した。二人はパリとブリュッセルを拠点に幅広く演奏活動を行ない、数多くの作曲家から作品を献呈された[3]。さらにパトリックは、アンジェイ・チャイコフスキから《インベンション5b》を献呈された[2]

デュオ・クロムランクの初期の作品は「パヴァーヌ」(アポロン)で録音されている。1985年、スイスのレーベル「クラーヴェス」(キング)に移籍し、たくさんの録音を遺した。オーリックビゼー、ブラームス、ドビュッシードヴォルザークフォーレメサジェミヨープーランクラヴェルモーツァルトシューベルトスメタナヨハン・シュトラウス2世[4]チャイコフスキー[5]の作品をレパートリーとした。シューベルトの4手用ピアノ曲の3枚の音盤は、アカデミー・シャルル・クロよりディスク大賞を、ブラームスの連弾曲全集は1982年フランスのレコード誌「ハルモニー」のダイヤモンド賞を、ドボルザークの連弾全曲録音に対しモンド・ド・ラ・ムジークでショック賞を受賞する。

クラシックの演奏家では前例のないことであるが[要出典]、活動の頂点にあった1994年7月14日に、2人は自らブリュッセルで命を絶った[3]。すでに2人の関係は破綻していたらしく[6]、それを苦にしたクロムランクが先に自殺し、クロムランクを発見した桑田も後追い自殺した[7]

1956年に開校したブリュッセルの(Athénée Royal de Woluwe-Saint-Pierre)は2人の死後、パトリック・クロムランクと劇作家フェルナン・クロムランク(Fernand Crommelynck)を記念して、(Athénée Royal Crommelynck de Woluwe-Saint-Pierre)と改名された[8]

脚注[編集]

  1. ^ クラーヴェスのレーベル記述はパトリックと妙子の生年が逆に記載されており誤記である
  2. ^ a b c d andretchaikowsky.com
  3. ^ a b c Women at the Piano
  4. ^ CD mail
  5. ^ emusic
  6. ^ Commentary
  7. ^ kammermusik.org
  8. ^ Athénée Royal Crommelynck, de Woluwe-Saint-Pierre

外部リンク[編集]