テオドル・レシェティツキ
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| テオドル・レシェティツキ Teodor Leszetycki |
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|---|---|
| 基本情報 | |
| 出生 | 1830年6月22日 |
| 死没 | 1915年11月14日(満85歳没) |
| 職業 | ピアノ教師、作曲家、ピアニスト |
| 担当楽器 | ピアノ |
| クラシック音楽 |
|---|
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| 作曲家 |
| ア-カ-サ-タ-ナ ハ-マ-ヤ-ラ-ワ |
| 音楽史 |
| 古代 - 中世 ルネサンス - バロック 古典派 - ロマン派 近代 - 現代 |
| 楽器 |
| 鍵盤楽器 - 弦楽器 木管楽器 - 金管楽器 打楽器 - 声楽 |
| 一覧 |
| 作曲家 - 曲名 交響曲 - ピアノ協奏曲 ピアノソナタ ヴァイオリン協奏曲 ヴァイオリンソナタ チェロ協奏曲 フルート協奏曲 弦楽四重奏曲 - オペラ 指揮者 - 演奏家 オーケストラ - 室内楽団 |
| 音楽理論/用語 |
| 音楽理論 - 演奏記号 |
| 演奏形態 |
| 器楽 - 声楽 宗教音楽 |
| イベント |
| 音楽祭 |
| メタ |
| ポータル - プロジェクト カテゴリ |
テオドール・レシェティツキ(Teodor Leszetycki, Theodor Leschetizky, 1830年6月22日 - 1915年11月14日)は、ウィーンで活躍したピアノ教師、作曲家、ピアニストである。ポーランド生まれ。
父親から音楽教育を受けるが、早くから神童として知られ、9歳でピアニストとして舞台に立つ。
その後まもなく一家はウィーンに移り、ウィーン音楽院でベートーヴェンの弟子であったカール・ツェルニーにピアノを、音楽理論家ジーモン・ゼヒターに作曲を師事。18歳のころにはウィーンで名の知られたピアニスト・ピアノ教師となっていた。
1852年サンクトペテルブルクに移住、アントン・ルビンシテインと親交を結び、62年にはルビンシテインの要請で音楽院のピアノ学部長に就任している。
その後78年にウィーンに戻り、ここでも多くの弟子を持つ。ツェルニー同門のリストと共につとに有名であり、現在のピアニストに続く系譜を築いた。19世紀後半から20世紀前半にかけてのほとんどのピアニストは、リストかレシェティツキ、どちらかの指導を受けていると言ってもよかろう。 数百名に及ぶ弟子のピアニストのなかには、ベートーヴェンのピアノソナタ全集の演奏で有名なアルトゥル・シュナーベルやポーランドの首相を務めたパデレフスキ、さらには、ミェチスワフ・ホルショフスキ、エリー・ナイ、イグナツ・フリードマンなどがいる。また、サミュエル・バーバーやレナード・バーンスタインを教えたイサベラ・ヴェンゲーロワのように、優れたピアノ教師となった弟子も多い。
1906年2月18日、彼はヴェルテ・ミニョンの自動ピアノのために、自作7曲を含む12個のピアノロールを録音した。
[編集] 外部リンク
- IMSLP - 国際楽譜ライブラリープロジェクト内のテオドル・レシェティツキのページ。無料で楽譜PDFが入手可能。
