サーチャーズ

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ザ・サーチャーズ
The Searchers
基本情報
出身地 イングランドの旗 イングランドリヴァプール
ジャンル ブリティッシュ・インヴェイジョン
ポップ
フォーク
活動期間 1959年 -
レーベル パイ・レコード
リバティ・レコード
サイアー・レコード
公式サイト www.the-searchers.co.uk
サーチャーズ

ザ・サーチャーズ (The Searchers) は、イギリスリヴァプール出身の四人組のバンド。1960年代ブリティッシュ・インヴェイジョン期をザ・ビートルズザ・ローリング・ストーンズと共に支えたバンドの一つでもある。

リヴァプール出身のバンドでは、シングル・ヒットやアルバムがヒットした事から、ザ・ビートルズに次ぐ成功を納めた事でも有名である。

メンバー[編集]

  • ジョン・マクナリー (John McNally) - リズム・ギター担当。結成当初から在籍。
    1941年8月30日マージーサイドリヴァプール生まれ。マイク・ペンダーと共にサーチャーズの母体を結成してから現在まで、バンドを一度も脱退した事が無い、中心人物である。ライヴではボーカルも担当する。ペンダーが脱退してからはリード・ギターを担当している。
  • マイク・ペンダー (Mike Pender) - リード・ギター、ボーカル担当。結成当初から1985年まで在籍。
    1942年3月3日リヴァプール生まれ。本名:Micheal John Pendergast。ジョン・マクナリーと共にサーチャーズを結成した一人。トニー・ジャクソン在籍時はサイド・ボーカル的な役割をしていたが、サーチャーズの大ヒット曲となる「ピンと針」の録音以降、ジャクソンに替わりリード・ボーカルを務めている。1985年に脱退し、マイク・ペンダーズ・サーチャーズを結成し、活動を続けている。
  • トニー・ジャクソン (Tony Jackson) - ベース、ボーカル担当。1960年から1964年まで在籍。
    1938年7月16日リヴァプール生まれ。本名:Anthony Paul Jackson。鼻にかかった独特な声が特徴。リード・ボーカルを務めていたが、「ピンと針」の録音時、この曲にはペンダーの声が合っている事からリード・ボーカルにペンダーが選ばれ、またその曲を収録しているアルバムでも、ジャクソンのボーカル曲はたった1曲だけしか収録されていなかった事から不満が発生し、1964年離脱。200ポンドかけて鼻を整形し、すぐさまトニー・ジャクソン・アンド・ザ・バイブレーションズを結成。ヒットを出す事もなくバンドは解散する。クラブのマネージャーなどをして生計を立てる。2003年8月18日死去。
  • クリス・カーティス (クリス・カーティス) - ドラムス、ボーカル担当。1960年から1966年まで在籍。
    1941年8月26日マンチェスターオールダム生まれ。本名:Christopher Crummey。4歳の時リヴァプールに移り住む。父親にドラムセットを買ってもらい、ドラムを練習するようになった。1960年サーチャーズに加入。本格的に活動を始める時に名前をポスターにあったリー・カーティスの名字を取ってクリス・カーティスと名乗る。サーチャーズではドラムスの他にサイド・ボーカルを担当する。「エイント・ザット・ジャスト・ライク・ミー」では激しいボーカルを取るなど、存在感が大きいメンバーであった。1966年、精神的疲労からサーチャーズを脱退、ソロ活動を行う。後のディープ・パープルになるラウンドアバウトを結成するも、脱退、音楽からも身を引く。1968年、イギリス内国歳入庁に入庁。1988年シックハウス症候群のため退職。2005年2月28日、自宅にて永眠。
  • フランク・アレン (Frank Allen) - ベース、ボーカル担当。1964年から在籍。
    1943年12月14日ミドルセックス州、ヘイズ生まれ。本名:Francis Renaud McNeice。クリフ・ベネット・アンド・ザ・レベル・ラウザーズのベーシストだったが、1964年、トニー・ジャクソンの後釜としてサーチャーズに加入。サーチャーズのメンバーとはハンブルグ時代からの知り合いであったという。ジョン・マクナリーと共に、1964年から現在まで在籍しているメンバーである。ジャクソンが脱退してからは、ペンダーとツイン・ボーカルを担当している。
  • ジョン・ブラント (John Blunt) - ドラムス担当。1966年から1969年まで在籍。
    1947年3月28日サリー州、クロイドン生まれ。クリス・カーティスの後釜としてサーチャーズに加入。詳しい経歴は不明。

グループ名の由来[編集]

バンド名は、ジョン・フォード監督、ジョン・ウェイン主演の映画捜索者から取った。しかし、後にペンダーが脱退し、マイク・ペンダーズ・サーチャーズというバンド名で活動を行い、残ったメンバーが裁判を起こしている。

デビューまでの来歴[編集]

1959年に当時イギリスで流行していたスキッフルのグループとして、マクナリーとペンダーの二人で結成された。直ぐにジャクソンとカーティスが加入する。

グループは当初、ジョニー・サンドンのバックバンドとして活動し、地元リヴァプールのアイアン・ドア・クラブにてレギュラー出演をしていた。1961年にサンドンが抜け、グループのリード・シンガーにジャクソンが抜擢された。アイアン・ドア・クラブのレギュラー出演を続けながら、キャバーン・クラブなど、地元リヴァプールにある他のクラブにも出演をしていた。

1962年には、ザ・ビートルズと同様に、ドイツハンブルグにあるスター・クラブにも出演している。その時のライヴの模様も後にアルバム発売されている。

リヴァプールに戻ってきたサーチャーズは、パイ・レコードの名プロデューサー、トニー・ハッチの目に止まり、1963年にパイ・レコードと契約を結ぶ。

デビュー以降の来歴[編集]

トニー・ハッチをプロデューサーに迎えたサーチャーズは、ドリフターズのカバー曲「スイーツ・フォー・マイ・スウィート」でデビュー。チャートの1位を記録。また同曲を収録しているファースト・アルバムも2位を記録するなど、幸先の良いスタートを切った。プロデューサーのハッチがフレッド・ナイチンゲールという変名を用いて作曲された2枚目のシングル「シュガー・アンド・スパイス」も2位を記録。

ジャッキー・デシャノンによって書かれた4枚目のシングル「ピンと針」の録音時にジャクソンが脱退。この曲の録音以前にもライヴで演奏し、その時はジャクソンがボーカルをとっていたが、プロデューサーのハッチが、この曲にはペンダーのボーカルが声質的にもフィットしている、と判断し、結果としてペンダーのボーカルが採用された。不満が爆発し、当時リーダーだったカーティスに詰め寄り、ジャクソンがボーカルをとる、と強要してカーティスとの関係が悪化したため、ジャクソンはサーチャーズを去る。後釜としてフランク・アレンが加入。

その後も快調にシングル・ヒットを飛ばす。1966年、作曲能力もあったカーティスがソロ活動のためサーチャーズを脱退、後釜としてジョン・ブラントが加入。

アメリカで大流行するフォーク・ロックの元祖とも言われていたサーチャーズ。実際、マルヴィナ・レイノルズ作の「雨に消えた想い」やP.F.スローン作の「俺で良けりゃ」などは、サーチャーズがフォーク・ロックの素を作ったと言われる裏付けにもなっている。しかし結果として、アメリカバーズタートルズ等のグループが次々と大ヒットを飛ばしたため、サーチャーズのフォーク・ロックにおける存在は皆無に等しいものとなってしまった。

1966年の「ハヴ・ユー・エバー・ラヴ・サムバディ」を最後に、サーチャーズのヒットが出なくなった。1971年発売の「デスデモーナ」がアメリカのチャートで94位を記録したくらいである。

その後も活動を続け、1985年にマイク・ペンダーが新バンド結成のため脱退。現在も、マクナリーとアレンが中心となって存続している。

ディスコグラフィー[編集]

シングルディスコグラフィー[編集]

発売年 レーベル A面 B面 全英シングルチャート

[1]

全米シングルチャート

[2]

1963年 パイ・レコード Sweets For My Sweet It's Been All A Dream 1位 -
1963年 パイ・レコード Sweet Nothin's What'd I Say 48位 -
1963年 パイ・レコード Sugar And Spice Saints And Searchers 2位 44位
1964年 パイ・レコード Needles And Pins Saturday Night Out 1位 13位
1964年 パイ・レコード Don't Throw Your Love Away I Pretend I'm With You 1位 16位
1964年 パイ・レコード Someday We're Gonna Love Again No One Else Could Love You 11位 34位
1964年 パイ・レコード When You Walk In The Room I'll Be Missing You 3位 35位
1964年 カップ・レコード Love Potion No.9 High Heel Sneakers - (イギリス未発売) 3位
1964年 パイ・レコード What Have They Done To The Rain This Feeling Inside 13位 29位
1965年 カップ・レコード Bumble Bee A Tear Fell - (イギリス未発売) 21位
1965年 パイ・レコード Goodnight, My Love Till I Met You 4位 52位
1965年 パイ・レコード He's Got No Love So Far Away 12位 79位
1965年 パイ When I Get Home I'm Never Coming Back 35位 -
1965年 パイ・レコード Take Me For What I'm Worth Too Many Miles 20位 76位
1966年 パイ・レコード Take It Or Leave It Don't Hide It Away 31位 -
1966年 パイ・レコード Have You Ever Loved Somebody It's Just The Way 48位 94位
1967年 パイ・レコード Popcorn Double Feature Lovers - -
1967年 パイ・レコード Western Union I'll Cry Tomorrow - - (アメリカ未発売)
1967年 パイ・レコード Second Hand Dealer Crazy Dreams - -
1968年 リバティ・レコード Umbrella Man Over The Weekend - - (アメリカ未発売)
1969年 リバティ・レコード Somebody Shot The Lollipop Man Pussy Willow Dragon - - (アメリカ未発売)
1969年 リバティ・レコード Shoot'em Up Baby Suzanna - - (アメリカ未発売)
1969年 リバティ・レコード Kinky Kathy Abernathy Suzanna - - (アメリカ未発売)
1971年 RCAレコード Desdemonia The World Is Waiting - 94位
1971年 RCAレコード Love Is Everywhere And A Button - -
1972年 RCAレコード Sing Singer Sing Come On Back To Me - -
1973年 RCAレコード Vahevala Madman - -
1974年 RCAレコード Solitaire Spicks And Specks - -
1979年 サイアー・レコード Hearts In Her Eyes Don't Hang On - -
1980年 サイアー・レコード It's Too Late This Kind Of Love Affair - -
1981年 サイアー・レコード Love's Melody Changing - -
1981年 サイアー・レコード Another Night Back To The War - -
1982年 PRTレコード I Don't Want To Be The One Hollywood - -

アルバムディスコグラフィー[編集]

  • 1963年 - Meet The Searchers
  • 1963年 - Sugar And Spice
  • 1964年 - Hear Hear! (U.S.)
  • 1964年 - It's The Searchers
  • 1964年 - Sounds Like The Searchers
  • 1964年 - This is Us (U.S.)
  • 1965年 - Take Me for What I'm Worth
  • 1979年 - The Searchers
  • 1981年 - Love's Melodies
  • 1987年 - Play the System
  • 1989年 - Hungry Hearts

参照[編集]

参考文献[編集]

外部リンク[編集]

関連項目[編集]