サンツアー
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サンツアー(SUNTOUR)は、1950年代から1990年代にかけて製造販売された自転車部品のブランドである。
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[編集] SUNTOURブランド
「SUNTOUR(サンツアー)」は東京にあった岩井製作所が1956年に前田工業に納めるリア変速機(ディレイラー)「8.8.8 サンツアーワイド(SunTour Wide)」に使った商標として始まった。1958年(昭和33年)春、岩井製作所が倒産し、前田工業株式会社(大阪府)がサンツアーディレイラーのブランドと生産を引き継いだ。現在、第一義的には、「SUNTOUR(サンツアー)」といえばこの前田工業保有ブランドを指す。
前田工業の「SUNTOUR」ブランド(登録商標)は複数のパーツメーカーによって使用された。これは以下のような経緯による。1970年代初頭にシマノが「コンポーネント(自転車部品セット販売)」の事業展開をはじめた。シマノ製複数パーツを組み合わせてユニット化しシマノはこれを「コンポーネント」と称して供給した。複数パーツメーカーと個別に取引することなくシマノ一社との取引のみですむことに自転車メーカーは利便性を感じ、その結果、他のパーツメーカーへの需要が少なくなる事態となった。前田工業はじめ他のパーツメーカーはこれに対抗するため、各社パーツに「共通のペットネーム(統一愛称)」として「SUNTOUR」マークを使い、これをコンポーネント相当と位置づけたのだった。輸出で協力関係にあったメーカー各社はパーツに「SUNTOUR」マークを冠して前田工業に供給し、前田工業でこれをコンポーネントとして輸出した。パーツメーカーとその製品として、杉野鉄工(現スギノテクノ)のクランク、吉貝機械金属のブレーキやヘッドパーツ、三ヶ島製作所のペダルなどがあった。一方、前田工業では変速機、多段ギア(*1)を製造した。「SUNTOUR」マークは刻印が通常だったが、中には「三ヶ島」刻印の上に「SUNTOUR」ブランドステッカーが貼られるようなつくりもありこれは「MK-3」ペダルで見られた。
*1 多段ギア(ボスフリー):自転車後輪に取り付ける歯車で大小異なる大きさの歯車が取り付けられ、変速機でチェーンを架け替えて回転比を変えられるようにしたもの
[編集] SUNTOURコンポーネント
- ロードバイクコンポーネント
- SUPERB PRO
- SL
- BLAZE
- オフロードバイクコンポーネント
- XC-PRO(MD)
- XC-COMP(MD)
- XC-LTD
- XC-EXPERT(MD)
- XC-SPORT(MD)
- S-1
いずれも売却前、93~94年時点での主なラインナップ。90年代には栄輪業(エスアール・サンツアー)も製作した。
[編集] 前田工業
大正10年、前田工業の創業者はフリー造りの親方として勤めていた「日の本鉄工所」を辞めて独立し、大正11年から「前田鉄工所」の名でシングルフリーホイールの製造販売を始めた。 丁寧な仕事で信頼性の高い部品を送り出し、前田鉄工所は8.8.8.(サンパチ)フリーの製造元として認知され順調に業績を伸ばしていった。 8.8.8.の意匠は、当時輸入されていたイギリス製高級自転車B.S.A.に遠目から見て似せた「数字を三つ使った意匠」が自転車業界(輪界)で好んで用いられていた一例である。(シマノは333を使っていた。このようなことは、当時の日本ではコピー商品と卑下されることはなく、むしろ「国産化」といわれその技術力向上が賞賛されるものだった。)
第二次世界大戦になると前田鉄工所の工場では銃弾や海軍の部品を製造した。当時の堺市は軽工業全体が軍需産業に転換していたため米軍の標的となり、昭和20年7月9日夜半、米国陸軍航空隊のB-29戦略爆撃機部隊の空襲を受ける。この空襲で前田鉄工所は工場の一棟だけが半焼で残り、焼け跡には何台かの旋盤が無事に残っていた。加えて空襲に備えてフリーの仕掛品や材料を疎開させていたため、戦後早い時期からフリーの生産を再開することができた。
サンツアーは1960年代末からアメリカの自転車メーカーに変速機提供をおこなった。自転車ブームとなった1970年代前半にはその勢いを増し、1974年から1984年が会社の最盛期となった。アメリカの自転車ブームは相当な規模となり、従来アメリカに部品を供給していたヨーロッパの主力部品メーカーの供給力が追いつかなくなり、日本の部品メーカーにその門戸が開かれた。当初は低価格品の置き換えだったがすぐにその品質が認められるようになった。ロードレーサー向けのCyclone(1975年)、Superbe(1977年)、Superbe Pro(1981年)、マウンテンバイク向けのXC-シリーズ(Pro、Comp、LTD、他)といった製品があった。
この時期の1975年から河合淳三が社長となり、以降、会社の吸収合併まで舵をとった。スプリント競技世界選手権で1977年から1986年まで10連覇した中野浩一はサンツアー専属契約選手で、サンツアー製品がこの10連覇を支えていた。
サンツアー特許のスラントパンタグラフ機構を使った後段変速機はシマノ製よりも変速がスムーズと言われ、ギアチェンジシフトのインデックス(位置決め)機構も、シマノに先駆けて開発し、少年向け自転車に自動車のATフロアシフトを模したものを完成車メーカーに供給していた。ただし、シマノの「SIS(シマノインデックスシステム)」のように、ギアの刃の形状を工夫するなどのことはなかったために、シフトワイヤーが伸びると、所定の位置で変速できず、あまり好評でなく、前田工業自身もあくまで子供向けということで、ロードレース用に発展させることはなかった。
いまでは当たり前になっているロードレーサーの手元変速で、「ブレーキ・シフト一体型レバー」あるいは「デュアルコントロールレバー」と呼ばれるものは、サンツアーの「コマンドシフト」がその最初である。サンツアーが機材供給していた選手が、従来からあった「Wレバー」をドロップハンドルに溶接し、手元で変速できるようにしていた。サンツアーが、そのレバーの形状を「蝶ネジ形状」に、ドロップハンドルには金属バンドで締め付けて取り付けられるようにして、「コマンドシフト」と名づけて発売したものである。このコマンドシフトにシマノはおおいに刺激され、デュアルコントロールレバー開発のきっかけともなった。
1983年には創業60年記念誌を発刊し社長と長嶋茂雄の対談も掲載された。しかし、1985年には急激な円安となり輸出企業にとって嵐の時代となった。この年シマノから「SIS(シマノインデックスシステム)」が登場しサンツアーも含めた他社製品が駆逐される契機となった。しかも過去10年間で労働コストが上昇していた上での円ショックのため、日本製は低価格では台湾製に太刀打ちできなくなっていた。こうして1988年、低価格品用に台湾工場が作られた。しかし80年代後半にサンツアーの売上は下降した。
シマノ工業と雌雄を競う自転車部品の大ブランドだったが、前田工業(社名は「マエダ工業」となっていた。)は1990年頃から経営危機に陥り、大阪のモリ工業が1990年から1993年にかけておこなった一連の吸収合併を経て、SUNTOURブランドは栄輪業のブランドSRと一緒になりSR-SUNTOURとなった。この時期には一時的に会社名にもサンツアーが使われた(下部参照)。
90年までは技術的にシマノと同等性能を維持していたサンツアーだった。90年代にも話題性のあるパーツを発表したが経営不振を挽回するには至らなかった。この時期の代表的なものに、メンテナンスフリーの廉価サスペンションフロントフォーク「DuoTrack」、オフロードバイク用のブレーキレバー一体型変速レバー「エルゴテックシフター」、転倒時の故障を防ぐため車体横への出っ張りを無くした変速機「S-1」、カンティブレーキの制動力を高める特殊チドリ「パワーハンガー」などがある。
[編集] 社名サンツアー
1990年(平成2年)11月に、大阪のモリ工業が茨城県筑波郡谷和原村の自転車部品製造メーカー、栄輪業株式会社に資本参加した。さらにモリ工業は1991年(平成3年)10月に前田工業に資本参加。前田工業の社名はこの時点以前に「マエダ工業」とカタカナになっている。
マエダ資本参加でサンツアーの名称を手に入れたモリ工業は、約2年後の1993年(平成5年)7月に栄輪業を社名変更するにあたり株式会社エスアール・サンツアーとサンツアー名を社名に冠した。さらに3ヵ月後の1993年10月に、連結子会社のモリ金属株式会社にマエダ工業を合併させ株式会社モリ・サンツアーを設立。モリ金属はモリ工業の大阪地区の子会社4社を合併させて1984年(昭和59年)に創業した会社である。(モリ工業社史では株式会社エスアール・サンツアーが誕生したのは1993年だが、台湾のSR SUNTOURの社史では「SR SUNTOUR」の始まりは1987年からとされている。)
会社名となったサンツアーだったが、1995年(平成7年)4月、自転車部品事業から撤退するために親会社であるモリ工業が株式会社エスアール・サンツアーを吸収合併という形で消滅させ、株式会社モリ・サンツアーもモリ金属株式会社(大阪府堺市美原区)と旧社名に復帰し、サンツアーの名前はいずれの社名からも消えた。
[編集] 台湾 SR SUNTOUR
エスアール・サンツアーは台湾で"SR SUNTOUR"となった。SRは"Sakae Ringyo"の頭文字である。SR SUNTOUR社史では、「1987年にSR SUNTOURを東京に設立し、翌年1988年に台湾の彰化県福興郷福興工業区に工場を建設、自転車用アルミコンポーネントを生産開始、1991年にはベルギー工場を建設し、1992年には台湾でマエダ工業とディレイラーを生産開始」としている。
1994年末にモリ工業が自転車事業撤退を決定したため、旧栄輪業社長でエスアール・サンツアー社長だった小林大裕が1995年7月にモリ工業からサンツアーの商標権と台湾工場を買収した。しかし以前のサンツアー製品の特許権などは取得していない。モリ工業は自転車事業から撤退し、日本国内の自転車部品生産設備は廃棄処分とされた。小林大裕がSR SUNTOURブランド商品の生産販売を行う「榮輪科技股份有限公司(Taiwan Sakae Ringyo Co., Ltd.)」の社長となり事業を仕切った。2000年には日本オフィスを設置した。[1][2]
SR SUNTOURブランドの日本への輸入は、以前はサスペンションフロントフォーク、クランク(Superbe Compなど)、変速機が完成車に装着された程度であったが、旧GTバイシクルズの日本支店として設立されてGT買収後に独立したライトウェイ・プロダクツ・ジャパンが取扱を開始し、クランク、ピラー、フォーク、ブレーキ、ブレーキパーツ、ペダルなどがパーツ販売されるようになってきた。
2001年より中国・広東省深圳市宝安区公明に生産拠点「榮輪科技(深圳)股份有限公司」設立。
現在の中国語社名は「榮輪科技股份有限公司」、英文社名は「SR SUNTOUR INC.」、2008年現在、董事長は小林大裕、総経理は中村不二男、田中直治昆山工場総経理と言う体制である。本社所在地は彰化県福興郷福興工業区興業路7号。
[編集] 参考
- ^ Bicycle Retailer & Industry News 2008年7月5日 "A-Team Profile — Daisuke Kobayashi" 中国自転車業界情報新聞
- ^ SR SUNTOUR history

