サイイド・ムハンマド・グラーブズイ

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サイイド・ムハンマド・グラーブズイ(سيد محمد ګلاب زوي、Sayed Muhammad Gulabzoi、1951年 - )は、アフガニスタンの政治家、軍人。少将。バブラク・カールマル政権で内務相を務めた。現在、アフガニスタンの国会議員。

経歴[編集]

パクティヤー州出身。パシュトゥーン人。父グリャム・シャーは、グラーブズイ部族の長。カーブル市のナーディル・シャー学校、アフガニスタン空軍士官学校を卒業。

1966年、マザーリシャリーフ市のアフガニスタン空軍輸送機連隊、1968年、カブール市のアフガニスタン空軍輸送機連隊に勤務。1968年からアフガニスタン人民民主党、ハルク派。

1973年、ムハンマド・ダーウードのクーデターに参加し、将官の逮捕に従事した。アフガニスタン空軍司令官副官。1976年10月~1977年3月、ソ連空軍飛行士特技向上航空課程研修。

1978年4月、四月革命に参加し、政府軍との戦闘で負傷した。同年、革命軍事会議議員、軍内の党業務組織委員会委員となり、ヌール・ムハンマド・タラキーの側近となった。1978年7月、通信相。1979年、内務相。1979年9月14日、タラキーがハフィーズッラー・アミーンに打倒されると、地下に潜伏した。

  • 1980年1月11日~1988年 – 内務相
  • 1980年~ – アフガニスタン人民民主党中央委員会委員
  • 1987年~1988年10月 – アフガニスタン人民民主党政治局員
  • 1988年11月25日~1990年 - 駐ソ連・フィンランドルーマニア大使

1990年3月、シャフナワーズ・タナイ将軍の反乱への関与で起訴され、罷免されたが、帰国を拒否した。1990年代、モスクワに転居。

2005年、アフガニスタン議会代議員。

家族[編集]

妻とは死別。3児を有する。