グウィリム・ロイド・ジョージ (初代テンビー子爵)
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(グウィリム・ロイド・ジョージから転送)
初代テンビー子爵グウィリム・ロイド・ジョージ(英語: Gwilym Lloyd-George, 1st Viscount Tenby, TD, PC、1894年12月4日 - 1967年2月14日)は、イギリスの政治家、貴族。
保守党政権下で閣僚職を歴任した。首相デイヴィッド・ロイド・ジョージの三男にあたる。
経歴
[編集]1894年12月4日に自由党の革新政治家デイヴィッド・ロイド・ジョージ(後の首相)とその先妻マーガレット(旧姓オーウェン)の三男として生まれる[1]。
イーストボーン・カレッジを経てケンブリッジ大学ジーザス・カレッジへ進学した[2]。
1922年から1924年までと、5年間の落選期を挟んで、1929年から1950年までペンブルックシャー選挙区から、ついで1950年から叙爵される1957年まで北ニューカッスル・アポン・タイン選挙区から選出されて庶民院議員を務めた。所属政党ははじめ自由党、後に保守党に転じた[2]。
第1次チャーチル内閣では1942年から1945年まで動力大臣を務める。第2次チャーチル内閣とイーデン内閣では1951年から1954年にかけて食糧大臣、1954年から1957年まで内務大臣を務めた[3][4]。
1957年にテンビー子爵に叙され、貴族院議員に列した[3]。
家族
[編集]1921年にエドナー・ジョーンズと結婚した。彼女との間に以下の2男を儲ける[2]。
- 第1子(長男)デイヴィッド・ロイド・ジョージ (1922-1983)、第2代テンビー子爵。
- 第2子(次男)ウィリアム・ロイド・ジョージ (1927-2023)、第3代テンビー子爵
出典
[編集]- ^ Lundy, Darryl. “David Lloyd George, 1st Earl Lloyd George of Dwyfor” (英語). thepeerage.com. 2015年8月10日閲覧。
- ^ a b c d Lundy, Darryl. “Gwilym Lloyd George, 1st Viscount Tenby” (英語). thepeerage.com. 2015年8月10日閲覧。
- ^ a b c UK Parliament. “Mr Gwilym Lloyd George” (英語). HANSARD 1803–2005. 2015年8月10日閲覧。
- ^ 秦郁彦編 2001, p. 515.
参考文献
[編集]- 秦郁彦『世界諸国の組織・制度・人事 1840―2000』東京大学出版会、2001年。ISBN 978-4130301220。
外部リンク
[編集]- Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by the Viscount Tenby
グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国議会 | ||
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先代 エヴァン・ジョーンズ |
ペンブルックシャー選挙区 選出庶民院議員 1922年 – 1924年 |
次代 チャールズ・プライス |
先代 チャールズ・プライス |
ペンブルックシャー選挙区 選出庶民院議員 1929年 – 1950年 |
次代 デズモンド・ドネリー |
先代 カスバート・ハードランプ |
北ニューカッスル・アポン・タイン選挙区 選出庶民院議員 1951年 - 1957年 |
次代 ウィリアム・エリオット |
公職 | ||
先代 ロバート・ブースビー |
食糧省政務次官 1940年 – 1942年 |
次代 ウィリアム・マベイン |
新設 通商庁からの分離
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動力大臣 1942年 – 1945年 |
次代 マニー・シンウェル |
先代 モーリス・ウェブ |
食糧大臣 1951年 –1954年 |
次代 デリック・ヒースコート=エイモリー Minister of Agriculture, Fisheries and Foodとして |
先代 サー・デイヴィッド・マクスウェル・ファイフ |
内務大臣 1954年 – 1957年 |
次代 ラブ・バトラー |
イギリスの爵位 | ||
爵位創設 | 初代テンビー子爵 1957年 – 1967年 |
次代 デイヴィッド・ロイド・ジョージ |