クレオパトラ (軽巡洋艦・2代)

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艦歴
発注
起工 1939年1月5日
進水 1940年3月27日
就役 1941年12月5日
退役
その後 1958年にスクラップとして売却
除籍
性能諸元
排水量 基準:5,600トン、満載:6,850トン
全長 156m
全幅 15.4m
吃水 4.3m
機関 アドミラリティ式三胴型重油専焼水管缶 4基、パーソンズ式ギアード・タービン 4基、(62,000 shp)、4軸推進
最大速 32.25ノット
航続距離 16ノットで6,824km(4,240 マイル)
乗員 約480名
兵装 (竣工時)
5.25インチ(133mm)連装砲 5基
2ポンド単装ポムポム砲(37mm/40mm pom-pom gun) 2門
2ポンド4連装ポムポム砲(37mm/40mm pom-pom gun) 2基
0.8インチ(20mm)単装機関砲 8門
21インチ(533mm)3連装魚雷発射管 2基
(1943年)
5.25インチ連装砲 4基
ボフォース Mk III 40mm単装機関砲 3門
0.8インチ連装機関砲 6基
0.8インチ単装機関砲 4門
21インチ3連装魚雷発射管 2基
装甲 舷側3インチ(76.19mm)
甲板1インチ(25.4mm)
砲塔2インチ(50.8mm)
隔壁1インチ(25.4mm)

クレオパトラ (HMS Cleopatra, 33) は、1940年進水イギリス海軍軽巡洋艦ダイドー級

艦歴[編集]

「クレオパトラ」はヘブバーン英語版ホーソン・レスリー社で1939年1月5日起工。1940年3月27日に進水し1941年12月5日に竣工した。

1942年2月、ジブラルタル経由でマルタへ移動。2月11日、マルタ到着。同日、爆撃を受けて損傷。マルタでの修理後アレクサンドリアへ移動、第15巡洋艦戦隊(15th Cruiser Squadron)所属となる。

1942年3月22日、「クレオパトラ」はフィリップ・ヴィアン英語版少将の旗艦として第2次シルテ湾海戦に参加。イタリア艦隊との交戦中に、「クレオパトラ」は軽巡洋艦「ジョヴァンニ・デレ・バンデ・ネーレ」からの15.2cm砲弾が艦橋に命中、レーダーと無線室が破壊され死傷者を出した。

1942年6月、マルタへの輸送作戦の護衛としてヴィガラス作戦に参加。8月13日、ペデスタル作戦の陽動として実行されたMG4作戦ロドス島砲撃を実施。9月、マッサワで小規模修理と清掃のため入渠して5日後、ドックへの注水中に木製の盤木が破損して「クレオパトラ」の艦体はドック内で傾いた。しかしこの事故で艦体への損害はほとんどなかった。

11月と12月、マルタへの補給作戦ストーンエイジポートカリスに参加。この後ボーヌを拠点とするQ部隊に加わる。

1943年1月23日、軽巡洋艦「ユーライアラス」などと共にリビアズワーラを砲撃。

第12巡洋艦戦隊所属となり、1943年7月にハスキー作戦シチリア島上陸)に参加。7月16日、イタリア潜水艦「エンリコ・ダンドロ」の攻撃で被雷損傷。1943年10月までマルタで応急修理の後、フィラデルフィア海軍工廠で本格的な修理を行う。この際、「クレオパトラ」にはポムポム砲とB砲塔の位置にボフォース4連装機銃が装備された。

1944年11月に修理は完了し、1945年にインド洋へ移った。日本の降伏後、1945年9月にシンガポールの再占領に参加。

戦後は修理のため1946年2月7日にポーツマスへ戻るまで第5巡洋艦戦隊(5th Cruiser Squadron)まで活動。イギリスへ戻った後は、本国艦隊地中海艦隊に所属した。

地中海艦隊在籍時の1953年に、「クレオパトラ」はセシル・スコット・フォレスターの小説を原作とした映画「たった一人の戦い英語版」の撮影に用いられ、架空の軽巡洋艦「エイムズベリー (HMS Amesbury)」と「ストラトフォード (HMS Stratford)」を演じた。

1953年2月12日に「クレオパトラ」は解役のためチャタム工廠へ戻る。同年6月、「クレオパトラ」はエリザベス2世女王戴冠記念観艦式に参加。1953年後半から1956年まで予備役戦隊旗艦を務める。1958年12月15日、「クレオパトラ」は解体のためニューポートジョン・キャッシュモア英語版社の解体場へ到着した。

外部リンク[編集]