キュラソー (軽巡洋艦)
| 艦歴 | |
|---|---|
| 発注 | ハーランド・アンド・ウルフ社造船所 |
| 起工 | 1916年7月 |
| 進水 | 1917年5月5日 |
| 就役 | 1918年2月18日 |
| 退役 | |
| その後 | 1942年10月2日に事故で沈没 |
| 除籍 | |
| 性能諸元 | |
| 排水量 | 常備:4,190トン 満載:5,200トン |
| 全長 | 450 ft (137.0 m) |
| 水線長 | 425 ft (129.5 m) |
| 全幅 | 43.6 ft (13.3 m) |
| 吃水 | 14 ft (4.3 m) |
| 機関 | ヤーロー式重油・石炭混焼水管缶6基 +ブラウン=カーチス式直結タービン(高速・低速)2組2軸推進 |
| 最大出力 | 40,000 shp |
| 最大速力 | 29.0ノット |
| 航続性能 | 15ノット/4,400海里 |
| 乗員 | 327名 |
| 兵装 | 竣工時:アームストロング Mark XII 15.2cm(45口径)単装速射砲5基 アームストロング Mark II 7.6cm(40口径)単装高角砲2基 Marks VIII 4cm(39口径)ポンポン砲1基 53.3cm三連装魚雷発射管2基 1939年時:アームストロング Mark XVI 10.2cm(45口径)連装高角砲4基 アームストロング Mark II 7.6cm(40口径)単装高角砲4基 ブローニング 12.7cm(62口径)連装機銃4基(1941年にエリコン 2cm(76口径)単装機銃4丁に換装) |
| 装甲 | 舷側:25~76mm(水線部) 甲板:25mm(主甲板) 司令塔:76mm(最厚部) |
キュラソー (HMS Curacoa, D41) は、イギリス海軍の軽巡洋艦。シアリーズ級軽巡洋艦の1隻。艦名はカリブ海のキュラソー島に因む。その名を持つ艦としては4隻目。
キュラソーは第二次世界大戦の間に事故で失われた。事故現場は1986年の戦跡保護法によって保護されている[1]。
目次 |
艦歴 [編集]
キュラソーは1916年7月にペンブルック・ドックのハーランド・アンド・ウルフ社で起工した。1917年5月5日に進水し、1918年2月18日に就役した。1919年5月13日、バルト海で触雷。修理後は大西洋艦隊や地中海艦隊に所属。
1935年の映画『たった一人の海戦 Brown on Resolution(en:Brown on Resolution (film))』ではドイツの巡洋艦役として出演している[2]。第二次世界大戦の初期には本国艦隊に所属し、防空巡洋艦への改装中であった。改装完了後、1940年4月にノルウェーの戦いに参加、アンダルスネスで対空防御に4日間従事したが、4月24日にドイツ空軍機による爆弾投下で大きく損傷し、修理のためイギリスに帰還、作業は8月まで及んだ[3]。
1941年8月、ノルウェー沖で損傷したフランス潜水艦リュビを駆逐艦ライヴリー、ライトニングとともにダンディーまで護衛[4]。
1942年10月2日、キュラソーはアメリカ陸軍第29歩兵師団[5]の兵20,000名近くを乗せた客船クイーン・メリー (RMS Queen Mary) をアイリッシュ海で護衛していた。アメリカ兵達はヨーロッパ戦線への援軍であった[6]。アイルランドからおよそ60km北方を航行中、クイーン・メリーは十分な距離を取らぬままキュラソーの航路を横切った。クイーン・メリーは28ノットの速度でキュラソーの船体中央部に衝突、キュラソーは真っ二つに折られて沈没した。この事故により338名が死亡した。クイーン・メリーはUボートによる攻撃の危険を避けるためそのまま航行を続けた。数時間後に船団の先導艦がキュラソーの生存者99名を救助した。その中には艦長のジョン・W・バウドウッド大佐も含まれた[2][7][8]。
事故原因はいくつかの要素が複合したものであった。クイーン・メリーの船長は護衛艦がクイーン・メリーの航路に従って航行し、調整を行うだろうという仮定をした[7]。他の船においては、キュラソー艦長は追い越す船が譲らなければならないものだと考えていた。両船の航路が重なっており、クイーン・メリーの一等航海士は航路修正の必要を報告したが、船長はそれを命じるのを忘れていた。
キュラソーの喪失は戦後まで報告されず、海軍は終戦後直ちにキュナード・ホワイト・スター・ラインを告発した[7]。
脚注 [編集]
- ^ Designation under the Protection of Military Remains Act 1986 by SI2008/950, Office of Public Sector Information, The National Archives. Retrieved 2008-07-17.
- ^ a b Great War Society (2008年7月). “St. Mihiel Trip-Wire: July 2008”. WorldWar1.com. 2009年8月10日閲覧。
- ^ Lt Cdr Geoffrey B Mason RN (2004年). “Service Histories of the Royal Navy Warships in World War 2”. Navy-Histories.net. 2009年8月10日閲覧。
- ^ Fighting Flotilla, p.117
- ^ Joseph Balkoski. Beyond the Beachhead. Stackpole Books. pp. 37–38. ISBN 0-8117-0221-9.
- ^ Brighton CSV Media Clubhouse (2004年6月11日). “Archives: HMS Curacao Tragedy”. BBC. 2009年8月10日閲覧。
- ^ a b c "Queen Mary / Curacoa Crash", Disasters of the Century. History Television, Canada.com Network. CanWest Media Inc, 2009.
- ^ uboat.net - Allied Warships - Light cruiser HMS Curacoa of the Ceres class
参考文献 [編集]
- Peter C. Smith, Fighting Flotilla: RN Laforey Class Destroyers in WW2, Pen & Sword, 2010, ISBN 978-1-84884-273-1
参考図書 [編集]
- 「世界の艦船増刊第46集 イギリス巡洋艦史」(海人社)
- 「世界の艦船2010年1月号増刊 第718集 近代巡洋艦史」(海人社)
外部リンク [編集]
- HMS Curacoa info at uboat.net防空巡洋艦時代の本艦の写真があるページ
- HMS Curacoa info at roll-of-honour.com
|
|||||||||||||||||||||||||||||