オルベテッロ

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オルベテッロ
Orbetello
オルベテッロの風景
プロモントリオから見たオルベテッロ
行政
イタリア国旗 イタリア
Flag of Tuscany.svg トスカーナ
Blank.png グロッセート
CAP(郵便番号) 58010 58015
市外局番 0564
ISTATコード 053018
識別コード G088
分離集落 Albinia, Ansedonia, Fonteblanda, Giannella, Talamone
隣接コムーネ #隣接コムーネ参照
公式サイト リンク
人口
人口 14,666 [1](2012-01-01)
人口密度 64.6 人/km2
文化
住民の呼称 Orbetellani
守護聖人 San Biagio
祝祭日 2月3日
地理
座標 北緯42度26分34秒 東経11度13分29秒 / 北緯42.44278度 東経11.22472度 / 42.44278; 11.22472座標: 北緯42度26分34秒 東経11度13分29秒 / 北緯42.44278度 東経11.22472度 / 42.44278; 11.22472
標高 3 (0 - 354) [2] m
面積 226.98 [3] km2
オルベテッロの位置
オルベテッロの位置
グロッセート県におけるコムーネの領域
グロッセート県におけるコムーネの領域
Flag of Italy.svg ポータル イタリア
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オルベテッロイタリア語: Orbetello)は、イタリア共和国トスカーナ州グロッセート県にある、人口約1万5000人の基礎自治体コムーネ)。

ローマの北西約120kmに位置するオルベテッロの潟湖は、戦間期のイタリアにおいて水上飛行場として利用され、大西洋横断飛行の出発地などイタリア空軍の航空イベントの舞台となった。オルベテッロの集落は、潟湖中央の砂州上に立地する。

地理[編集]

位置・広がり[編集]

グロッセート県南部、マレンマ英語版地方に属するコムーネである。オルベテッロの集落は、県都グロッセートから南南東へ約37km、州都フィレンツェから南へ約148km、首都ローマから北西へ約120kmの距離にある。

コムーネの領域はティレニア海に面しており、南西部にはオルベテッロ潟英語版が広がっている。潟湖の対岸(プロモントリオ)はモンテ・アルジェンターリオである。

隣接コムーネ[編集]

隣接するコムーネは以下の通り。

地勢[編集]

本土側から、プロモントリオに向かって3本の砂州が伸びる。西北側(Giannella砂州)と東南側(Feniglia砂州)の2本によってプロモントリオと本土が結ばれており、もともとは島であったプロモントリオを陸繋島にしている。中央の砂州と堤防(土手道)によってオルベテッロ潟は2つに分けられており、西側の潟湖を Laguna di Ponente、東側の潟湖を Laguna di Levante と言う。潟湖一帯は、重要な自然保護区である。

オルベテッロ潟の風車 
オルベテッロ潟 
パラッツォ 

主要な集落[編集]

オルベテッロの中心集落はコムーネの南部、潟湖に突き出した中央の砂州の上に位置している。コムーネ中部、アルベーニャ川河口にはアルビニア (it:Albiniaの集落がある。

このほか、コムーネ北部の沿岸部にフォンテブランダ (it:Fonteblandaとタラモネ (it:Talamoneがある。コムーネ南部のアンセドニア (it:Ansedoniaは、ローマ共和政初期の植民市コーサ (Cosaに起源を持つ。また、コムーネ西部のプロモントリオ側にはジャンネッラ (it:Giannellaがある。

オルベテッロ 
フォンテブランダ 
タラモネ 

歴史[編集]

古代[編集]

オルベテッロはエトルリア人の居住地であった。植民市コーサ (Cosaを築いたローマ人は、紀元前280年頃にオルベテッロ一帯をその支配下に収めた。紀元前225年には、現在のタラモーネ付近で、ローマ人とガリア人テラモンの戦い英語版が行われている。

中世・近世[編集]

中世、オルベテッロはアルドブランデスキ家 (Aldobrandeschi familyの所領であり、14世紀にオルヴィエートに代わった。ピティリアーノオルシーニ家とオルヴィエートとの間に紛争が繰り返されたのち、シエーナ共和国の支配下に入った。16世紀の半ば、スペインの傀儡国家であるプレシディ領 (State of Presidiの一部となり、その首都がおかれた。

1646年には、西仏戦争英語版中の戦闘であるオルベテッロの戦い (Battle of Orbetelloが、オルベテッロ潟周囲で行われた。

近代・現代[編集]

その後トスカーナ大公国領となり、以後1860年のイタリア統一までその支配下にあった。

ファシスト政権下、オルベテッロ潟はイタリア空軍の重要な航空イベントの舞台となった。イタロ・バルボ空軍大臣自ら率いるサヴォイア・マルケッティ S.55の編隊は、1930年にはブラジルへの大西洋横断飛行 (it:Crociera aerea transatlantica Italia-Brasileに、1933年にはアメリカ合衆国への大西洋横断飛行 (it:Crociera aerea del Decennaleに、いずれもオルベテッロ潟から出発している。

社会[編集]

人口推移[編集]

交通[編集]

潟湖上の土手道を走るSS440。かつては鉄道が走っていた。
オルベテッロ=モンテ・アルジェンタリーオ駅
オルベテッロ=モンテ・アルジェンタリーオ駅

道路[編集]

ピサとローマを結ぶ鉄道幹線で、欧州自動車道路としても指定されているSS1(国道1号線アウレリア街道)が市域を南北に縦貫する。ティレニア海の海岸沿いに南下したSS1は、潟湖東岸を走り、アンセドニア北方に至る。市域北部のアルビニアではSS1からSS74とSS323が分かれている。SS440はSS1から西へ分岐して砂洲上にあるオルベテッロの集落を貫き、ポルト・サント・ステーファノに至る。

欧州自動車道路
国道

鉄道[編集]

ピサとローマを結ぶ鉄道幹線であるピサ=リヴォルノ=ローマ線が市域を南北に縦貫している。

かつて、オルベテッロ=モンテ・アルジェンタリーオ駅からは、モンテ・アルジェンターリオのポルト・サント・ステーファノやポルト・エルコーレとを結ぶ鉄道路線 (it:Ferrovia Orbetello-Porto Santo Stefanoがあったが、第二次世界大戦で破壊され、その後再建されなかった。

脚注[編集]

外部リンク[編集]