ウィリアム・ジョーンズ (言語学者)
ウィリアム・ジョーンズ(Sir William Jones、1746年9月28日 - 1794年4月27日)は、イギリスの裁判官。言語学上の功績から、言語学者として記されることが多い。イギリスによる初期のインド研究を担った。
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概要 [編集]
ロンドンに生まれ、ハーロー校をへて、オックスフォード大学に学んだ[1]。早くから語学に才能を示し、ラテン語やギリシャ語などヨーロッパの古典語を含む諸言語に精通(晩年にはヘブライ語、ペルシャ語、アラビア語を含め、13言語)していたが、家族のために法律の職業を選んだ。当時イギリスはインドの植民地化をすすめていたが、一方で考古学的研究も盛ん[要出典]であり、ジョーンズは1783年、カルカッタ(現:コルカタ)にイギリス東インド会社の雇用による上級裁判所の判事として赴任し、ベンガル・アジア協会を設立して会長となり[1]、翌年インド考古学調査の研究会を発足させた[要出典]。サンスクリットを学び、『マヌ法典』や『シャクンタラー』の飜訳を出版した。
1786年、サンスクリットが古典ギリシャ語やラテン語と共通の起源を有する可能性があることを指摘し、この研究成果は同時代の西欧社会に大きな反響を呼んだ[2]。 1794年、カルカッタで死去した。
印欧語の発見 [編集]
インドにはサンスクリット語による古典文献が豊富にあったが、肝心の英訳のシステムが整っていなかった。ムスリム政権であるムガル朝では行政用語としてペルシア語が採用されており、そのため、サンスクリットはいったんペルシア語に飜訳してから英語に訳すという手順をふまなければならなかった。ジョーンズはより良い理解に努めようと、サンスクリットを勉強し始めたところ、サンスクリットと西欧語とのあいだに以下の類似点を発見する。例えば単語では次のような対応関係がみられた(ここでは文字は全てラテン文字に直している)。
| 2 | 3 | 私は | 私を | 私へ | 君 | (私は)です | …だった | 父 | 母 | 新しい | |
| 英語 | two | three | I | me | me | thou | am | was | father | mother | new |
| ラテン語 | duo | tres | ego | mihi | me | tu | sum | vesta | pater | mater | novus |
| ギリシャ語 | duo | treis | ego | moi | me | tu | eimi | heista | pater | mater | neos |
| サンスクリット | dvi | traya | aham | me | mam | tvam | asmi | vasati | pitar | matar | nava |
語彙が似ているだけではなく、文法面において格変化をともなう点でも似ており、しかも、サンスクリットの方がより活用変化も複雑だった。例えば格変化は英語が3格、フランス語やドイツ語は4格、ギリシャ語が5格、ラテン語は7格だが、サンスクリットはこれらを全て含む8格を有している。
ジョーンズはこれらの研究をまとめ、1786年2月2日カルカッタの学会に"On the Hindu's"「インド人について」[3]の題で発表した。この一文は日本においても、多くの書籍に引用されるほど有名なものである。この印欧語族の発見そして予言とも言える発表により、西欧の言語学界は衝撃にさらされた。
サンスクリットは、その古さもさることながら、驚くべき構造をしている。ギリシャ語より完璧であり、ラテン語より豊富であり、そのどちらよりも精巧だが、動詞の起源や文法の様式において、これらの言語と偶然とはとても思えないほどの強い類似性を持っている。実際、その類似性の強さは、どんな言語学者でもその3言語をすべて調べれば、おそらくは既に消滅してしまった共通の祖語から派生したのだと信じずにはいられないくらいである。同様に、ギリシャ語やラテン語ほど顕著ではないが、ゴート語とケルト語も、他の言語との混合も見られるが、サンスクリットと同じ起源を持っていたと思われる。さらに、今日のテーマが古代ペルシャを論じるものであったなら、古代ペルシャ語を同じ仲間のリストに加えてもよかっただろう。[4]
ジョーンズ自身はその後、この研究を継続しなかったが、1789年、カルカッタで創刊された『アジア研究誌』は、ウィリアム・ジョーンズふくむイギリス東インド会社に雇用された学者[5]たちの研究成果をヨーロッパに伝えている。これらの業績により、ジョーンズの名は比較歴史言語学界で永久にその名を記される存在となり、その後グリム兄弟等によって、印欧語比較言語学が輝かしいスタートをきった[6] 。
脚注 [編集]
- ^ a b 『南アジアを知る事典』(1992)
- ^ 藤井(2007)
- ^ ベンガル・アジア協会3周年記念講演の席においてであった。『南アジアを知る事典』(1992)
- ^ Sir William Jones: "The Third Anniversary Discourse, On The Hindus", delivered 2 February. Works I, pp. 19-34, 1786. as quoted by Winfred P. Lehmann: "A Reader in Nineteenth Century Historical Indo-European Linguistics"[1]
- ^ 他に、イギリス東インド会社に雇用されていた社員の学者には、J.Z.ホルウェル(1711-98)、A.ダウ(1730?-79)、N.B.ハルヘド(1751-1830)、C.ウィルキンス(1749-1836)、H.H.ウィルソン(1786-1860)などがいた。藤井(2007)
- ^ なお近代比較言語学のきっかけ自体は他に先例があり、有名なものではフランス人神父ケールドゥー(G.L.Coeurdoux)が1767年に、やはりインドでラテン語とサンスクリットの類似性を指摘しているが、これは宗教的な共通性を感じたというだけで、手紙自体は1808年に公開された。また比較言語学の発足自体も、非印欧語圏であるハンガリーで先に始まっていた。
参考文献 [編集]
- 藤井毅『インド社会とカースト』山川出版者<世界史リブレット86>2007.12、ISBN 4-634-34860-8
- 辛島昇・前田専学・江島惠教ら監修『南アジアを知る事典』平凡社、1992.10、ISBN 4-582-12634-0
関連項目 [編集]
- Urs App: William Jones's Ancient Theology. Sino-Platonic Papers Nr. 191 (September 2009) (PDF 3.7 Mb PDF, 125 p.; ウィリアム・ジョーンズの第三、第六、第九”Yearly discourse"を含む )
- イギリス東インド会社
- インド・ヨーロッパ語族