イサドラ・ダンカン

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イサドラ・ダンカン

イサドラ・ダンカンIsadora Duncan, 1878年5月27日- 1927年9月14日)は、20世紀を代表するアメリカダンサーモダンダンスの祖。

生涯[編集]

サンフランシスコ生まれ。両親はアイルランド人。音楽教師であった母親から音楽の基礎教育を受けた。早くから古典舞踊を学んだが、その慣習的な動きに満足できず、自分自身の創作する自由な舞踊を考えた。アメリカでダンスの仕事を少しした後、ヨーロッパに渡る。フランソワ・デルサルトに強く影響を受け、また古代ギリシアの壷やパルテノンの壁画などから感化を受け、当時のギリシア・リバイバルの波に乗り新しいダンスを生み出した。衣装も、ギリシア風のチュニックを用い、靴を用いず、裸足で踊った。

ベルリンパリ、そしてロシア革命後のモスクワにダンス学校を創立。20世紀のダンス、舞踊だけでなく、身体表現の形そのものを変革したといわれる。「裸足のイサドラ」のあだ名で呼ばれた。

1927年9月14日フランスニース近郊で、首にまいたスカーフが自動車の車輪に巻き込まれ、転倒して惨死した(49歳没)。遺体は荼毘に付され、遺灰がパリペール・ラシェーズ墓地に埋葬された。

彼女の舞踊は即興的な面が多く一定の理論を持たなかったため、その死と共に途絶えたが、近代舞踊に多大な影響を与えた事は高く評価されている[1]。大のカメラ嫌いとしても知られ、彼女の舞踏を記録した映像は屋外で隠し撮りされたものが一つ存在するのみである。この映像は1995年3月25日に「映像の世紀第1集 20世紀の幕開け カメラは歴史の断片をとらえ始めた」で放送された。

1968年にはヴァネッサ・レッドグレイヴ主演で彼女の伝記映画「裸足のイサドラ」が制作された[1]

逸話[編集]

ある時、イサドラ・ダンカンはイギリスの著名な作家バーナード・ショーに結婚を申し込み、こう言った、「あなたの頭脳と私の肉体を持った子供が生まれたらどんなにすばらしい事でしょう」。しかしショーはこう答えて拒絶した、「私の肉体とあなたの頭脳を持った子供が生まれたら大変ですよ」。

これは遺伝学・人類学の入門書や雑文などで時おり引用される逸話である。バーナード・ショーが皮肉屋として知られていたのは確かであるが、相手はダンカンではなくサラ・ベルナール(フランスの大女優。舞台を中心に活動)とする話もあり、真偽のほどは不明。都市伝説の可能性もある。

脚注[編集]

  1. ^ a b 『オックスフォード バレエダンス事典』286-287頁。

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • デブラ・クレイン、ジュディス・マックレル 『オックスフォード バレエダンス事典』 鈴木晶監訳、赤尾雄人・海野敏・長野由紀訳、平凡社、2010年。ISBN 978-4-582-12522-1

外部リンク[編集]