アントニオ・マリア・ダ・シルヴァ

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アントニオ・マリア・ダ・シルヴァポルトガル語: António Maria da Silva, GCTE英語版, ポルトガル語発音: [ɐ̃ˈtɔniu mɐˈɾiɐ dɐ ˈsiɫvɐ]1872年5月26日 リスボン - 1950年10月14日)は、ポルトガル第一共和政の政治家、工学者ポルトガル共和党で精力的に活動した党員だった。ポルトガル第一共和政では首相を4度務めた[1]マヌエル・テイシェイラ・ゴメス英語版大統領への反対運動に成功して1925年にゴメスを辞任させたが、自身も1926年5月28日クーデターの2日後に辞任を余儀なくされた。

脚注[編集]