ジョゼ・ソクラテス
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| 任期 2005年3月12日 – 2011年6月21日 |
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| 大統領 | ジョルジェ・サンパイオ アニーバル・カヴァコ・シルヴァ |
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| 代理官 | ルイス・アマド |
| 前任者 | ペドロ・サンタナ・ロペス |
| 後任者 | ペドロ・パッソス・コエーリョ |
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| 任期 2007年7月1日 – 2008年1月1日 |
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| 前任者 | アンゲラ・メルケル |
| 後任者 | ヤネス・ヤンシャ |
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| 任期 1999年10月25日 – 2002年4月6日 |
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| 前任者 | エリーザ・フェレイラ |
| 後任者 | アルリンド・クーニャ |
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| 任期 1997年11月25日 – 1999年10月25日 |
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| 前任者 | なし |
| 後任者 | アントニオ・ジョゼ・セグロ |
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| 任期 1995年10月30日 – 1997年11月25日 |
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| 前任者 | なし |
| 後任者 | なし |
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| 現職 | |
| 就任 1987年8月13日 |
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| 選挙区 | カステロ・ブランコ県 |
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| 出生 | 1957年9月6日(55歳) |
| 政党 | 社会党 (1981–現在) |
| 協力政党 | 社会民主党 (-1981) |
| 居住地 | |
| 信仰 | 不可知論 |
| 署名 | |
ジョゼ・ソクラテス・カルヴァリョ・ピント・デ・ソーザ(ポルトガル語: José Sócrates Carvalho Pinto de Sousa、 1957年9月6日 - )は、ポルトガルの政治家。同国の前首相(2005年 - 2011年)、社会党前党首(書記長)。
ジョゼ・ソクラテスは衛生工学を学び、土木技師であった。彼は1981年から社会党のメンバーであり、1987年には議員に選出された。1995年に彼はアントニオ・グテレスの第一次内閣で国務長官として入閣した。二年後に彼は青年スポーツ大臣に就任し、ポルトガルで開催されたUEFA EURO 2004の主催者の一人となった。1999年に彼はグテレスの第二次内閣で環境大臣に就任した。2002年の選挙でソクラテスの社会党は野党に下る。フェロ・ロドリゲスが2004年に党首を辞任した後、2004年9月24日に行われた党首選挙で投票数の80%を獲得し、マヌエル・アレグレおよびジョアン・ソアレスを破り党首に就任した。
2005年ポルトガル議会選挙で社会党は圧倒的勝利を収め、ソクラテスは組閣のため2月24日にジョルジェ・サンパイオ大統領に呼び出された。新内閣の発足とソクラテスの首相就任は2005年3月12日に行われた。2009年ポルトガル議会選挙において社会党は過半数を下回ったが、第一党を維持したため政権を維持することに成功した。しかし、税収の伸び悩みと財政赤字削減が進まないことに起因した財政危機が表面化し、厳しい政権運営を強いられた。そして財政再建のための追加緊縮策が全野党に反対され議会で否決された事を受け、2011年3月23日に首相を辞任した[1](その後も暫定政権は維持したが、6月21日に正式に退陣した)。2011年ポルトガル議会選挙で社会党は敗北し、党首辞任を表明した[2]。
現在は離婚しており、2人の子供がいる。
出典 [編集]
- ^ 財政緊縮策否決でポルトガル首相辞任、政治危機へ突入か-2011年3月25日9時9分配信AFP
- ^ “ポルトガル議会選、与党敗北 政権交代へ”. AFPBB News (フランス通信社). (2011年6月6日) 2011年6月6日閲覧。
| 官職 | ||
|---|---|---|
| 先代: ペドロ・サンタナ・ロペス |
第119代:2005 - 2011 |
次代: ペドロ・パッソス・コエーリョ |
| 議会 | ||
| 先代: (複数人選出) |
カステロ・ブランコ県選出議員 1987 - |
次代: (複数人選出) |
| 外交職 | ||
| 先代: アンゲラ・メルケル ドイツ |
2007 - 2008 |
次代: ヤネス・ヤンシャ スロベニア |
| 党職 | ||
| 先代: フェッロ・ロドリゲス |
社会党書記長 第7代:2004 - |
次代: (現職) |