アッピア街道

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アッピア街道の道筋。

アッピア街道(アッピアかいどう、Via Appia)は、現存するローマ街道の中でも最も有名なもののひとつで「街道の女王」の異名を持つ。新しいアッピア街道が1784年に旧道に平行して敷設されたため、アッピア旧街道(Via Appia Antica)とも呼ばれる。

概要・歴史[編集]

RomaViaAppiaAntica03.JPG
Via Appia Antica, Rome, 2004.jpg
始点のサン・セバスティアーノ門

紀元前312年に当時のケンソルであったアッピウス・クラウディウス・カエクスの要請により元老院の反対のなか、すでに存在したローマアルバーノ丘陵を結んでいた街道を改修、拡大し敷設が始まった。敷石には頑丈なウェスウィウス山火山岩が用いられた。

アッピア旧街道の当初のルートはローマ市内(カラカラ浴場の南東角、ヌーマ・ポンピリオ広場付近)とアリッチャ、アッピウスのフォルム、テッラチーナフォンディフォルミアミントゥルノ(ミントゥルナエ)、モンドラゴーネ(シヌエッサ)、カープアだった。

紀元前190年、街道はベネウェントゥム(現ベネヴェント)やウェヌシア(現ヴェノーザ)までさらに延長され、次の時代にはタレントゥム(現ターラント)とブルンディシウム(現ブリンディジ)まで延長された。

アッピア・トライアーナ、つまりトライヤヌスのアッピア街道はより線状にベネウェントゥムカヌシウム(現カノーザ)やバリウム(現バーリ)を繋いだ。

紀元前71年、約6000人の奴隷がスパルタクスに率いられ反乱を起こしたマルクス・リキニウス・クラッススによってこの奴隷反乱が鎮圧されると逮捕された反乱者たちは街道沿いに十字架にかけられ、それらはポンペイにまで達した。

ローマ帝国の滅亡後、街道は永らく使用されなかったが教皇ピウス6世の命により修復され再び利用された。

街道の広い部分は元の状態で現在まで保存されていて、ところどころは現在でも自動車道として使用されている(ヴェッレトリ近辺など)。ローマに近い街道沿いの部分では、ローマ時代の墓碑や初期キリスト教のカタコンベを多数見ることができる。

アッピア街道上にて初めてマイルストーンが見られた。

マイルストーン[編集]

マイルストーン

ローマ帝国が前120年頃の道路関連法「センプローニウス法」に基き、主要な街道に1ローママイル (1000歩) ごとに設置したのが始まりとされ、アッピア街道にはこのマイルストーンが現在でも残っている。 起点はフォロ・ロマーノである。

関連項目[編集]

終点のブリンディジ

参照[編集]

外部リンク[編集]