コンテンツにスキップ

「塩原太助」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
img,上毛かるたの「沼田城下の~」は沼田藩領という意味かと
出典・脚注の追加。
1行目: 1行目:
{{出典の明記|date=2021-05}}
{{出典の明記|date=2021-05}}
[[ファイル:Tasuke No Sato Shiobara Tasuke and Ao statue.jpg|thumb|塩原太助と愛馬「あお」の銅像(群馬県みなかみ町)]]
[[ファイル:Tasuke No Sato Shiobara Tasuke and Ao statue.jpg|thumb|塩原太助と愛馬「あお」の銅像(群馬県みなかみ町)]]
'''塩原 太助'''(しおばら たすけ、[[寛保]]3年[[2月3日_(旧暦)|2月3日]]([[1743年]][[2月26日]]) - [[文化_(元号)|文化]]13年閏[[8月14日_(旧暦)|8月14日]]([[1816年]][[10月5日]]))は、[[三遊亭円朝]]の「[[塩原多助一代記]]」で有名な[[江戸時代]]の豪商。幼名は彦七。裸一貫から身を起こし、大商人へと成長。「本所に過ぎたるものが二つあり、[[弘前藩|津軽]]屋敷に炭屋塩原」と歌にまで詠われるほどの成功をおさめた。こうしたサクセスストーリーが、多くの人々の心をつかんだ。戦前には立志伝型人物として教科書にも登場した。
'''塩原 太助'''(しおばら たすけ、[[寛保]]3年[[2月3日_(旧暦)|2月3日]]([[1743年]][[2月26日]]) - [[文化_(元号)|文化]]13年閏[[8月14日_(旧暦)|8月14日]]([[1816年]][[10月5日]]))は、[[三遊亭円朝]]の「[[塩原多助一代記]]」で有名な[[江戸時代]]の豪商。幼名は彦七。裸一貫から身を起こし、大商人へと成長。「本所に過ぎたるものが二つあり、[[弘前藩|津軽]]屋敷に炭屋塩原」と歌にまで詠われるほどの成功をおさめた<ref>{{Cite web |title=塩原太助翁記念公園(塩原太助生家) 自然・旧跡 みなかみ町観光協会 みなかみパーフェクトガイド |url=http://www.enjoy-minakami.jp/ |website=www.enjoy-minakami.jp |access-date=2022-05-05 |language=ja |last=みなかみ町観光協会}}</ref>。こうしたサクセスストーリーが、多くの人々の心をつかんだ。戦前には立志伝型人物として教科書にも登場した。


== 経歴 ==
== 経歴 ==
7行目: 7行目:
*[[1761年]] 江戸に出る。
*[[1761年]] 江戸に出る。
*[[1785年]] 炭屋山口屋で奉公。勤勉な働きぶりで蓄財に励む。後に独立し、大商人に成長。
*[[1785年]] 炭屋山口屋で奉公。勤勉な働きぶりで蓄財に励む。後に独立し、大商人に成長。
*木炭の粉に[[海藻]]を混ぜ固めた[[炭団]]を発明し大成功する<ref>[http://www.town.inagawa.lg.jp/kanko/bunka_sport/rekishiwalk/1417707946103.html 猪名川町「いながわ歴史ウォーク > 第69話 木炭製造と炭団」]</ref>
*木炭の粉に[[海藻]]を混ぜ固めた[[炭団]]を発明し大成功する<ref>[http://www.town.inagawa.lg.jp/kanko/bunka_sport/rekishiwalk/1417707946103.html 猪名川町「いながわ歴史ウォーク > 第69話 木炭製造と炭団」]</ref>
*富豪になってからも謙虚な気持ちで清潔な生活を送り、私財を投じて道路改修や治水事業などを行った。
*富豪になってからも謙虚な気持ちで清潔な生活を送り、私財を投じて道路改修や治水事業などを行った。
*[[1816年]] 死去。墓は万年山東陽寺(東京都足立区東伊興)。
*[[1816年]] 死去。墓は万年山東陽寺(東京都足立区東伊興)。
21行目: 21行目:
== 後世 ==
== 後世 ==
*二代目は放蕩息子で、塩原家は没落したと伝えられるが、生家はみなかみ町に存続している。
*二代目は放蕩息子で、塩原家は没落したと伝えられるが、生家はみなかみ町に存続している。
*[[1878年]]、[[三遊亭圓朝]]が太助をモデルにして「[[塩原多助一代記]]」を創作し<ref name=":0">{{Cite|和書|ref=harv|title=塩原多助一代記|author=[[三遊亭円朝]]|date=1957-06|publisher=岩波書店|pages=241-250}}</ref>、1891年明治天皇の御前で演じた<ref name=":0" />。[[1885年]]「塩原多助一代記」が出版され<ref>{{Citation|title=拾い物立身譚 : 藁しべ長者から塩原多助へ|last=中込|first=重明|date=1999-07-10|url=https://doi.org/10.15002/00020068|publisher=法政大学国文学会|language=ja|doi=10.15002/00020068|access-date=2022-05-05}}</ref>、12万部という驚異的なベストセラーになる<ref>{{Citation|title=明治修身教科書における子どもの倫理 : 二宮金次郎と塩原多助|last=坂本|first=麻裕子|date=2012-02-17|url=https://doi.org/10.18999/isslc.13.45|publisher=名古屋大学大学院国際言語文化研究科日本言語文化専攻|language=ja|doi=10.18999/isslc.13.45|access-date=2022-05-05}}</ref>。また、[[1892年]]には歌舞伎『[[塩原多助一代記 (歌舞伎)|塩原多助一代記]]』が初演される<ref name=":0" />。
*[[1878年]] [[三遊亭圓朝]]が太助をモデルにして「[[塩原多助一代記]]」を創作し、高座にかけて人気が出る。
*[[1885年]] 「塩原多助一代記」を出版。12万部という驚異的なベストセラーになる。
*[[1892年]] 歌舞伎『[[塩原多助一代記 (歌舞伎)|塩原多助一代記]]』が初演される。
*[[1928年]] [[関東大震災]]の復興事業として[[墨田区]]竪川に「塩原橋」が架けられた。[[国道17号]]沿いに塩原太助公園が整備される。
*[[1928年]] [[関東大震災]]の復興事業として[[墨田区]]竪川に「塩原橋」が架けられた。[[国道17号]]沿いに塩原太助公園が整備される。
*[[1947年]] [[上毛かるた]]に取り上げられる(「[[沼田城]]下の・・・」<ref>{{Cite web |url=https://gunma.coopnet.or.jp/event/look/walk_164.html |title=NO.164 上毛かるた 「ぬ」の札(2015年12月号) |publisher=コープぐんま |accessdate=2021-05-08 }}</ref>)。
*[[1947年]] [[上毛かるた]]に取り上げられる(「[[沼田城]]下の・・・」<ref>{{Cite web |url=https://gunma.coopnet.or.jp/event/look/walk_164.html |title=NO.164 上毛かるた 「ぬ」の札(2015年12月号) |publisher=コープぐんま |accessdate=2021-05-08 }}</ref>)。

2022年5月5日 (木) 07:44時点における版

塩原太助と愛馬「あお」の銅像(群馬県みなかみ町)

塩原 太助(しおばら たすけ、寛保3年2月3日1743年2月26日) - 文化13年閏8月14日1816年10月5日))は、三遊亭円朝の「塩原多助一代記」で有名な江戸時代の豪商。幼名は彦七。裸一貫から身を起こし、大商人へと成長。「本所に過ぎたるものが二つあり、津軽屋敷に炭屋塩原」と歌にまで詠われるほどの成功をおさめた[1]。こうしたサクセスストーリーが、多くの人々の心をつかんだ。戦前には立志伝型人物として教科書にも登場した。

経歴

  • 1743年 上野国利根郡新治村(現在の群馬県みなかみ町)に生まれる。
  • 1761年 江戸に出る。
  • 1785年 炭屋山口屋で奉公。勤勉な働きぶりで蓄財に励む。後に独立し、大商人に成長。
  • 木炭の粉に海藻を混ぜ固めた炭団を発明し大成功する[2]
  • 富豪になってからも謙虚な気持ちで清潔な生活を送り、私財を投じて道路改修や治水事業などを行った。
  • 1816年 死去。墓は万年山東陽寺(東京都足立区東伊興)。

奉納・寄進

後世

塩原太助を扱った作品

歌謡曲

関連施設

  • 太助の郷(群馬県利根郡みなかみ町新巻497) - 資料館、農産物直売所[7]
  • 塩原太助生家(同)[8]
  • 塩原太助馬つなぎの松(群馬県吾妻郡高山村中山) - あおとの別れの際につないだ松で、現在のものは2代目にあたる[9]

脚注

  1. ^ みなかみ町観光協会. “塩原太助翁記念公園(塩原太助生家) 自然・旧跡 みなかみ町観光協会 みなかみパーフェクトガイド”. www.enjoy-minakami.jp. 2022年5月5日閲覧。
  2. ^ 猪名川町「いながわ歴史ウォーク > 第69話 木炭製造と炭団」
  3. ^ a b c 三遊亭円朝『塩原多助一代記』岩波書店、1957年6月、241-250頁。 
  4. ^ 中込重明『拾い物立身譚 : 藁しべ長者から塩原多助へ』法政大学国文学会、1999年7月10日。doi:10.15002/00020068https://doi.org/10.15002/000200682022年5月5日閲覧 
  5. ^ 坂本麻裕子『明治修身教科書における子どもの倫理 : 二宮金次郎と塩原多助』名古屋大学大学院国際言語文化研究科日本言語文化専攻、2012年2月17日。doi:10.18999/isslc.13.45https://doi.org/10.18999/isslc.13.452022年5月5日閲覧 
  6. ^ NO.164 上毛かるた 「ぬ」の札(2015年12月号)”. コープぐんま. 2021年5月8日閲覧。
  7. ^ 太助の郷”. 全国観るなび. 日本観光振興協会. 2021年5月8日閲覧。
  8. ^ 塩原太助生家”. 全国観るなび. 日本観光振興協会. 2021年5月8日閲覧。
  9. ^ 塩原太助馬つなぎの松”. 全国観るなび. 日本観光振興協会. 2021年5月8日閲覧。