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[[ファイル:Xihe(deity).jpg|thumb|19世紀に描かれたという、十の[[太陽]]に産湯をつかわせる羲和。]]
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'''羲和'''(ぎわ、ぎか、{{ピン音|Xīhé}})は、[[中国神話]]に登場する[[太陽]]にまつわる[[神]]である。或いは、伝説上の官吏ともいわれる。神としての羲和は、太陽の[[御者]]、若しくは太陽の[[母]]とみなされる。官吏としての羲和は、羲氏と和氏の4人に分けられて四方に配され、天文を司ったとされる{{R|nipponica}}。

== 淵源 ==
[[ファイル:Butterfly-shaped ivory vessel with the pattern of two birds facing the sun(Neolithic) in Zhejiang Museum.JPG|thumb|2羽の[[鳥]]と太陽が描かれた[[河姆渡文化]]の出土品([[浙江省]]博物館)。]]
[[中国]]において、太陽の運行を司る存在というモチーフが登場したのは、[[紀元前]]5000年頃に、[[杭州湾]]一帯に興った[[河姆渡文化]]ではないかとみられる。河姆渡文化では、[[土器]]などに[[鳥]]の[[文様]]が用いられたが、その中で[[骨]]製の[[匙]]の柄と予想されるものに、背中合わせの一対の鳥と、その背に光芒がついた円を背負う姿が二組描かれたものが見つかっており、この円は太陽と[[月]]を表すとみられる。[[考古学者]]の[[林巳奈夫]]は、太陽を背負う一対の鳥が、太陽を運ぶ車を操る「太陽の御者」としての羲和にあたると考えた{{R|sugimoto94}}。

== 記述 ==
文献に登場する羲和の[[神話]]には、大まかに2つの類型がある。一つは太陽の御者(日御)としての羲和、もう一つは10個の太陽を生んだ母神(十日の母)としての羲和である。一方、羲和を四人に分けて官吏として記した文献もある{{R|nipponica}}。
=== 日御 ===
[[ファイル:Xi He.JPG|thumb|[[西湖 (杭州市)#西湖新十景|満隴桂雨]]公園にある羲和像。[[竜]]車を御する姿を表現している。]]
太陽の御者としての羲和の名前が知られるようになったのは、[[屈原]]の[[楚辞]]『[[離騒]]』に詠まれたことによる。『離騒』には、
{{Quotation|吾、羲和をして節を{{Ruby|弭|とど}}めて、{{Ruby|崦嵫|えんじ}}を望んで、迫る勿からしむ。<br />(羲和に車を止めるよう命じて、夕日を崦嵫(日の入る山)に近づけさせないようにした。)|屈原|『離騒』|{{R|jin18}} }}
とある。同様に、羲和を太陽の御者として扱っている古典には、思想書『[[淮南子]]』がある。その天文訓には、
{{Quotation|爰に羲和を止め、爰に六[[螭]]を息む、是を懸車と謂ふ。|2= |『淮南子』巻三 天文訓|{{R|saeki16}} }}
とあり、『淮南子』のこの記述を引用した[[類書]]『[[初学記]]』には、
{{Quotation|日車に乘り、駕するに六[[龍]]を以てし、羲和之を御す。|2= |『初學記』巻一|{{R|saeki16}} }}
と注釈が付けられていて、六頭の龍が牽引し太陽を運ぶ懸車を羲和が御する、という伝説のあったことがわかる{{R|murata06}}{{Refnest|group="注"|太陽を引く車にまつわる「太陽の馬車」神話は世界各地にあるが、羲和の場合は[[竜]]が引く「竜車」であることに特徴があり、太陽と竜蛇の結び付きが強い[[中国]]古代の信仰の現れとみられる<ref name="matsumae64">{{Citation |和書 |last=松前 |first=健 |author-link=松前健 |date=1964-08-31 |title=伏羲・女媧の神話と華南の竜蛇崇拝(第二回研究大会) |journal=民族學研究 |volume=29 |issue=1 |pages=71-74 |doi=10.14890/minkennewseries.29.1_71 }}</ref>。}}

=== 十日の母 ===
[[ファイル:Imperial Encyclopaedia - Borders - pic138 - 羲和國.png|thumb|『[[山海経]]』大荒南経を引いた『[[古今図書集成]]』方輿彙編・辺裔典の[[挿絵]]にみられる「羲和國」{{R|gtj}}。]]
[[ファイル:Wu liang shrine relief depicting xihe, yi, and fusang tree.jpg|thumb|[[武氏祠]]の[[画像石]]の一つ([[拓本]])。[[扶桑]]の木と、そこに懸車を繋ごうとする羲和、太陽を射ようとする[[羿]]を描いている{{R|edouard}}。]]
太陽の母としての羲和を描いたものとして有名な古典には、『[[山海経]]』がある。その「大荒南経」には、
{{Quotation|東南海之外、甘水之間、有羲和之国、有女子名日羲和、方日浴于甘淵、羲和者、[[帝俊]]之妻、生十日<br />(東南海の外、甘水の間に羲和の国がある。女性がいて、名は羲和といい、甘淵で太陽に水浴びさせた。羲和は帝俊の妻であり、十の太陽を生んだ。)|2= |『山海経』大荒南経|{{R|iizuka14|yin17}} }}
とある。ここで羲和が太陽に水浴びさせる「甘淵」は、同じ『山海経』の海外東経、大荒東経にみえる、[[扶桑]]の大木があり、10個の太陽が湯浴みをするという「湯谷」と同一視される{{R|iizuka14|yon11}}。湯浴みをした太陽は、1日に1個ずつ扶桑の枝から昇るとされ、これは[[甲]]・[[乙]]・[[丙]]・[[丁]]・[[戊]]・[[己]]・[[庚]]・[[辛]]・[[壬]]・[[癸]]の[[十干]]を十日として一くくりにした「[[旬 (単位)|旬]]」を一つの[[単位]]とする、中国の古い[[暦]]の根拠となる十日説話の基となっている{{R|iizuka14|yon11|toyota10}}{{Refnest|group="注"|十日説話については、『[[淮南子]]』巻八 本経訓に、10個の太陽が一斉に昇ってしまったため、地上が大いに乱れ、[[堯]]が[[弓]]の名手である[[羿]]に命じて10個の太陽を射させた、という説話もある。羿の妻は姮娥([[嫦娥]])とされるが、嫦娥は元々は[[常羲]]だったともいわれ、常羲は羲和と同じく帝俊の妻で十二月を生んだとされ、後世には羲和と同一とみなされることもあった<ref name="iizuka14">{{Citation |和書 |last=飯塚 |first=勝重 |date=2014-02-28 |title=三足烏原像試探 |journal=アジア文化研究所研究年報 |volume=48 |pages=1-14 |url=http://id.nii.ac.jp/1060/00006374/ }}</ref><ref name="yon11">{{Citation |和書 |last=延 |first=恩株 |date=2011-03 |title=新羅の始祖神話と日神信仰の考察 &mdash;三氏(朴・昔・金)の始祖説話と娑蘇神母説話を中心に&mdash; |journal=[[桜美林大学|桜美林]]論考『言語文化研究』 |volume=2 |pages=83-100 |issn=21850674 |url=http://id.nii.ac.jp/1598/00000737/ }}</ref>
<ref name="sugimoto94">{{Citation |和書 |last=杉本 |first=憲司 |date=1994 |title=呉越文化の鳥 |journal=鷹陵史学 |volume=19 |pages=1-17 |url=https://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/OS/0019/OS00190R001.pdf |format=PDF }}</ref>。}}。太陽を生んだ羲和は、本来は[[太陽神]]そのものであったと解釈され、[[中国思想史]]学者の御手洗勝は、諸外国の太陽神にみられるような竜車を駆る太陽神であった羲和が、太陽と御者が別者と考えられるに至って、太陽の御者と太陽の母に変化していったものとしている{{R|mitarai84}}。

=== 天文官 ===
[[儒家]]の経典『[[書経|尚書]]』の堯典には、
{{Quotation|{{Ruby|乃|すなわ}}ち羲和に命じて、{{Ruby|欽|つつし}}んで{{Ruby|昊天|こうてん}}に{{Ruby|若|したが}}い、日月星辰を{{Ruby|曆象|れきしょう}}して、{{Ruby|敬|つつし}}んで民に時を授けしめる。|2= |『尚書』堯典 |{{R|koba16}} }}
とあり、羲和は[[堯]]の命令で天の神にしたがい、太陽・月・星を観測して人々に[[農事暦]]を授けたとされる{{R|toyota10}}。また、堯典の別の箇所によると、羲和は羲氏と和氏の総称であり、羲仲・羲叔・和仲・和叔の4人に四方を治めさせたことになっている{{R|matsumae64|ikeda81}}。しかし、[[卜辞]]や『山海経』にみられる四方を司る神と堯典の記述を比較すると、羲・和の4人は後代に置き換えられたもので、この4人は、本来日御あるいは太陽神である羲和の羲と和を分け、その両者に[[兄弟]]の順位を示す仲・叔を付けて4人としたに過ぎないと考えられる{{R|mitarai84|sm51}}。

== 現代への影響 ==
古代中国では、羲和とも深く関係がある十日説話の基になったとみられる、十日をまとめた「旬」を暦の単位としており、現在も[[月 (暦)|1ヶ月]]を3つに分け、1日から10日を上旬、11日から20日を中旬、21日から月末を下旬という言葉にそれが残っている{{R|sm51|nikkokuseisen|toyota10}}。

2021年10月、[[中華人民共和国|中国]]が同国初の太陽[[宇宙望遠鏡|観測衛星]]を打ち上げた。それまでは、&ldquo;'''C'''hinese '''H'''-'''a'''lpha '''S'''olar '''E'''xplorer&rdquo;のアクロニムでCHASEと呼ばれていたが、打ち上げ成功に伴い、中国神話の太陽神にちなんで「羲和号」と名付けられた{{R|sorae211022}}。

== 脚注 ==
{{Reflist |group="注" |refs=
}}

=== 出典 ===
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<ref name="jin18">{{Citation |和書 |last=金 |first=中 |date=2018-03 |title=「西山夕陽」考 &mdash;古今集204番歌の解釈をめぐって&mdash; |journal=[[東京外国語大学]]日本研究教育年報 |volume=22 |pages=110-128 |url=http://hdl.handle.net/10108/91276 }}</ref>
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<ref name="koba16">{{Citation |和書 |last=木庭 |first=元晴 |date=2016-03-31 |title=飛鳥時代推古期による天の北極及び暦数の獲得 |journal=[[関西大学博物館]]紀要 |volume=22 |pages=1-22 |url=http://hdl.handle.net/10112/11175 }}</ref>
<ref name="ikeda81">{{Citation |和書 |last=池田 |first=秀三 |author-link=池田秀三 |date=1981-03-14 |title=周禮疏序譯注 |journal=東方學報 |volume=53 |pages=547-588 |doi=10.14989/66598 }}</ref>
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<ref name="nikkokuseisen">{{Citation |和書 |contribution=じゅん【旬】 |title=精選版 [[日本国語大辞典]] |publisher=小学館 |contribution-url=https://kotobank.jp/word/%E6%97%AC-529615 }}</ref>
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}}

== 関連文献 ==
* {{Cite book |和書 |last=森村 |first=宗冬 |title=太陽と月の伝説 |date=2010-11-25 |chapter=第4章 環太平洋に伝わる射日神話 |publisher=[[新紀元社]] |url=https://books.google.co.jp/books?id=Fn1nDwAAQBAJ }}

== 関連項目 ==
* [[祝融]]

== 外部リンク ==
* [https://kotobank.jp/word/%E8%88%9C-78515 舜とは] - [[コトバンク]]

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[[Category:中国神話の神々]]
[[Category:太陽の神々]]

2021年11月20日 (土) 13:21時点における版

19世紀に描かれたという、十の太陽に産湯をつかわせる羲和。

羲和(ぎわ、ぎか、拼音: Xīhé)は、中国神話に登場する太陽にまつわるである。或いは、伝説上の官吏ともいわれる。神としての羲和は、太陽の御者、若しくは太陽のとみなされる。官吏としての羲和は、羲氏と和氏の4人に分けられて四方に配され、天文を司ったとされる[1]

淵源

2羽のと太陽が描かれた河姆渡文化の出土品(浙江省博物館)。

中国において、太陽の運行を司る存在というモチーフが登場したのは、紀元前5000年頃に、杭州湾一帯に興った河姆渡文化ではないかとみられる。河姆渡文化では、土器などに文様が用いられたが、その中で製のの柄と予想されるものに、背中合わせの一対の鳥と、その背に光芒がついた円を背負う姿が二組描かれたものが見つかっており、この円は太陽とを表すとみられる。考古学者林巳奈夫は、太陽を背負う一対の鳥が、太陽を運ぶ車を操る「太陽の御者」としての羲和にあたると考えた[2]

記述

文献に登場する羲和の神話には、大まかに2つの類型がある。一つは太陽の御者(日御)としての羲和、もう一つは10個の太陽を生んだ母神(十日の母)としての羲和である。一方、羲和を四人に分けて官吏として記した文献もある[1]

日御

満隴桂雨公園にある羲和像。車を御する姿を表現している。

太陽の御者としての羲和の名前が知られるようになったのは、屈原楚辞離騒』に詠まれたことによる。『離騒』には、

吾、羲和をして節をとどめて、崦嵫えんじを望んで、迫る勿からしむ。
(羲和に車を止めるよう命じて、夕日を崦嵫(日の入る山)に近づけさせないようにした。) — 屈原、『離騒』、[3]

とある。同様に、羲和を太陽の御者として扱っている古典には、思想書『淮南子』がある。その天文訓には、

爰に羲和を止め、爰に六を息む、是を懸車と謂ふ。 — 『淮南子』巻三 天文訓、[4]

とあり、『淮南子』のこの記述を引用した類書初学記』には、

日車に乘り、駕するに六を以てし、羲和之を御す。 — 『初學記』巻一、[4]

と注釈が付けられていて、六頭の龍が牽引し太陽を運ぶ懸車を羲和が御する、という伝説のあったことがわかる[5][注 1]

十日の母

山海経』大荒南経を引いた『古今図書集成』方輿彙編・辺裔典の挿絵にみられる「羲和國」[7]
武氏祠画像石の一つ(拓本)。扶桑の木と、そこに懸車を繋ごうとする羲和、太陽を射ようとする羿を描いている[8]

太陽の母としての羲和を描いたものとして有名な古典には、『山海経』がある。その「大荒南経」には、

東南海之外、甘水之間、有羲和之国、有女子名日羲和、方日浴于甘淵、羲和者、帝俊之妻、生十日
(東南海の外、甘水の間に羲和の国がある。女性がいて、名は羲和といい、甘淵で太陽に水浴びさせた。羲和は帝俊の妻であり、十の太陽を生んだ。) — 『山海経』大荒南経、[9][10]

とある。ここで羲和が太陽に水浴びさせる「甘淵」は、同じ『山海経』の海外東経、大荒東経にみえる、扶桑の大木があり、10個の太陽が湯浴みをするという「湯谷」と同一視される[9][11]。湯浴みをした太陽は、1日に1個ずつ扶桑の枝から昇るとされ、これは十干を十日として一くくりにした「」を一つの単位とする、中国の古いの根拠となる十日説話の基となっている[9][11][12][注 2]。太陽を生んだ羲和は、本来は太陽神そのものであったと解釈され、中国思想史学者の御手洗勝は、諸外国の太陽神にみられるような竜車を駆る太陽神であった羲和が、太陽と御者が別者と考えられるに至って、太陽の御者と太陽の母に変化していったものとしている[13]

天文官

儒家の経典『尚書』の堯典には、

すなわち羲和に命じて、つつしんで昊天こうてんしたがい、日月星辰を曆象れきしょうして、つつしんで民に時を授けしめる。 — 『尚書』堯典 、[14]

とあり、羲和はの命令で天の神にしたがい、太陽・月・星を観測して人々に農事暦を授けたとされる[12]。また、堯典の別の箇所によると、羲和は羲氏と和氏の総称であり、羲仲・羲叔・和仲・和叔の4人に四方を治めさせたことになっている[6][15]。しかし、卜辞や『山海経』にみられる四方を司る神と堯典の記述を比較すると、羲・和の4人は後代に置き換えられたもので、この4人は、本来日御あるいは太陽神である羲和の羲と和を分け、その両者に兄弟の順位を示す仲・叔を付けて4人としたに過ぎないと考えられる[13][16]

現代への影響

古代中国では、羲和とも深く関係がある十日説話の基になったとみられる、十日をまとめた「旬」を暦の単位としており、現在も1ヶ月を3つに分け、1日から10日を上旬、11日から20日を中旬、21日から月末を下旬という言葉にそれが残っている[16][17][12]

2021年10月、中国が同国初の太陽観測衛星を打ち上げた。それまでは、“Chinese H-alpha Solar Explorer”のアクロニムでCHASEと呼ばれていたが、打ち上げ成功に伴い、中国神話の太陽神にちなんで「羲和号」と名付けられた[18]

脚注

  1. ^ 太陽を引く車にまつわる「太陽の馬車」神話は世界各地にあるが、羲和の場合はが引く「竜車」であることに特徴があり、太陽と竜蛇の結び付きが強い中国古代の信仰の現れとみられる[6]
  2. ^ 十日説話については、『淮南子』巻八 本経訓に、10個の太陽が一斉に昇ってしまったため、地上が大いに乱れ、の名手である羿に命じて10個の太陽を射させた、という説話もある。羿の妻は姮娥(嫦娥)とされるが、嫦娥は元々は常羲だったともいわれ、常羲は羲和と同じく帝俊の妻で十二月を生んだとされ、後世には羲和と同一とみなされることもあった[9][11] [2]

出典

  1. ^ a b 桐本東太「羲和」『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館https://kotobank.jp/word/%E7%BE%B2%E5%92%8C-53943 
  2. ^ a b 杉本憲司「呉越文化の鳥」(PDF)『鷹陵史学』第19巻、1-17頁、1994年https://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/OS/0019/OS00190R001.pdf 
  3. ^ 金中「「西山夕陽」考 —古今集204番歌の解釈をめぐって—」『東京外国語大学日本研究教育年報』第22巻、110-128頁、2018年3月http://hdl.handle.net/10108/91276 
  4. ^ a b 佐伯雅宣「何遜詩訳注 (1)」『中國古典文學研究』第13巻、8-31頁、2016年3月30日。doi:10.15027/42572ISSN 1349-3639NAID 40020844751NCID AA12025183 
  5. ^ 村田和弘「徐渭の代応制詞16首について(その1)」『北陸大学 紀要』第30巻、55-67頁、2006年12月31日。doi:10.15066/00000017ISSN 0387074XNAID 40015492803 
  6. ^ a b 松前健「伏羲・女媧の神話と華南の竜蛇崇拝(第二回研究大会)」『民族學研究』第29巻、第1号、71-74頁、1964年8月31日。doi:10.14890/minkennewseries.29.1_71 
  7. ^ ウィキソース出典 方輿彙編/邊裔典/第107卷” (中国語), 欽定古今圖書集成, ウィキソースより閲覧。  [スキャンデータ]
  8. ^ Chavannes, Édouard, Mission archéologique dans la Chine septentrionale, 3, p. Pl. LI, doi:10.20676/00000254 
  9. ^ a b c d 飯塚勝重「三足烏原像試探」『アジア文化研究所研究年報』第48巻、1-14頁、2014年2月28日http://id.nii.ac.jp/1060/00006374/ 
  10. ^ 尹青青「『山海経』に見る帝俊説話 —黄帝説話との比較を中心に—」『中央大学人文科学研究所紀要』第88巻、81-109頁、2017年9月30日。ISSN 0287-3877http://id.nii.ac.jp/1648/00008736/ 
  11. ^ a b c 延恩株「新羅の始祖神話と日神信仰の考察 —三氏(朴・昔・金)の始祖説話と娑蘇神母説話を中心に—」『桜美林論考『言語文化研究』』第2巻、83-100頁、2011年3月。ISSN 21850674http://id.nii.ac.jp/1598/00000737/ 
  12. ^ a b c 豊田久「東アジア文化の中から見た鳥取における「湖山長者」の伝説について —中国資料を中心に—」『地域学論集』第7巻、第2号、291-300頁、2010年12月8日。ISSN 1349-5321https://repository.lib.tottori-u.ac.jp/3023 
  13. ^ a b 御手洗, 勝「第六章 羲和の始原的性格 —古代中國における「太陽の御者」傳説」『古代中國の神々 —古代傳説』創文社、1984年2月28日、477-505頁。 
  14. ^ 木庭元晴「飛鳥時代推古期による天の北極及び暦数の獲得」『関西大学博物館紀要』第22巻、1-22頁、2016年3月31日http://hdl.handle.net/10112/11175 
  15. ^ 池田秀三「周禮疏序譯注」『東方學報』第53巻、547-588頁、1981年3月14日。doi:10.14989/66598 
  16. ^ a b 杉本直治郎; 御手洗勝「古代中國における太陽説話 —特に扶桑傳説について—」『民族学研究』第15巻、第3,4号、304-327頁、1951年3月。doi:10.14890/minkennewseries.15.3-4_304 
  17. ^ じゅん【旬】」『精選版 日本国語大辞典』小学館https://kotobank.jp/word/%E6%97%AC-529615 
  18. ^ 出口, 隼詩 (2021年10月22日). “中国、初の太陽観測衛星を打ち上げ Hαスペクトルを使用した分光器を搭載”. sorae. 2021年11月19日閲覧。

関連文献

関連項目

外部リンク