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書誌情報
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== 経歴 ==
== 経歴 ==
大学卒業後<ref name="kitakanto_321"/>、[[喜多英二]]の下で[[細菌学]]の手解きを受ける<ref name="kitakanto_321"/>。[[1991年]]5月、[[奈良県立医科大学]]にて[[博士(医学)]]号を取得<ref>M. Emoto, [http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000389152-00 Biological functions of mouse seminal vesicle fluid], 奈良県立医科大学博士論文, 乙第590号, 平成3(1991)年5月28日.</ref>。その後[[名古屋大学]]の[[吉開泰信]]の下で[[助教|助手]]として[[免疫学]]を研究した<ref name="kitakanto_321">江本正志, [https://www.jstage.jst.go.jp/article/kmj1997/54/4/54_4_321/_article/-char/ja/ 流浪の旅を振り返って], 北関東医学, Vol.54, No.4, pp.321-322, 2004.</ref>。[[光山正雄]]の勧めもあって[[1993年]]から[[ウルム大学]]で{{仮リンク|ステファン・カウフマン|en|Stefan H.E. Kaufmann}}に師事し、[[T細胞|NKT細胞]]の研究を行っている<ref name="kitakanto_321"/>。[[1996年]]には[[北里大学]]で助手を務めたが、カウフマンが[[マックス・プランク研究所|マックスプランク感染生物学研究所]]の所長となった事もあり翌[[1997年]]に再び[[ドイツ]]に渡った<ref name="kitakanto_321"/>。外国人として初めて同研究所の上級研究員になったが、日本人学生の教育を行いたいと考えて[[2003年]]12月に[[群馬大学]]の[[教授]]となった<ref name="kitakanto_321"/>。
大学卒業後<ref name="kitakanto_321"/>、[[喜多英二]]の下で[[細菌学]]の手解きを受ける<ref name="kitakanto_321"/>。[[1991年]]5月、[[奈良県立医科大学]]にて[[博士(医学)]]号を取得<ref>M. Emoto, [http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000389152-00 Biological functions of mouse seminal vesicle fluid], 奈良県立医科大学博士論文, 乙第590号, 平成3(1991)年5月28日.</ref>。その後[[名古屋大学]]の[[吉開泰信]]の下で[[助教|助手]]として[[免疫学]]を研究した<ref name="kitakanto_321">江本正志, [https://doi.org/10.2974/kmj.54.321 流浪の旅を振り返って]」『北関東医学 54 4号 2004年 p.321-322, 北関東医学会, {{doi|10.2974/kmj.54.321}}, {{naid|110001494224}}</ref>。[[光山正雄]]の勧めもあって[[1993年]]から[[ウルム大学]]で{{仮リンク|ステファン・カウフマン|en|Stefan H.E. Kaufmann}}に師事し、[[T細胞|NKT細胞]]の研究を行っている<ref name="kitakanto_321"/>。[[1996年]]には[[北里大学]]で助手を務めたが、カウフマンが[[マックス・プランク研究所|マックスプランク感染生物学研究所]]の所長となった事もあり翌[[1997年]]に再び[[ドイツ]]に渡った<ref name="kitakanto_321"/>。外国人として初めて同研究所の上級研究員になったが、日本人学生の教育を行いたいと考えて[[2003年]]12月に[[群馬大学]]の[[教授]]となった<ref name="kitakanto_321"/>。


[[2017年]]、[[科学における不正行為|論文不正]]および[[ツイッター]]や著書での大学・学生に対する中傷を理由として、群馬大学教授職を[[10月5日]]付で懲戒解雇された<ref name="日経20171011">{{Cite news|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO22138470R11C17A0CR8000/|title=論文不正で群馬大教授解雇 改ざんデータ使用|newspaper=[[日本経済新聞]]|date=2017-10-11|accessdate=2017-10-11}}</ref><ref name="NHK20171011">{{Cite news|url=http://www3.nhk.or.jp/news/html/20171011/k10011175161000.html|title=大学や学生をツイッターで中傷 群馬大教授を解雇|newspaper=[[日本放送協会|NHK News Web]]|date=2017-10-11|archiveurl=http://web.archive.org/web/20171012013053/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20171011/k10011175161000.html|archivedate=2017-10-12|accessdate=2018-01-07}}</ref>。その後、教授職の地位保全を求めて[[11月17日]]付で[[前橋地方裁判所]]に[[仮処分]]申請したことが報じられた<ref>{{Cite news|title=群馬大 解雇の男性 教授の地位保全、地裁に申し立て|url=https://mainichi.jp/articles/20171121/ddl/k10/040/070000c |newspaper=[[毎日新聞]]|date=2017-11-21|archiveurl=http://archive.fo/P1vcV|archivedate=2017-11-21|accessdate=2018-01-07}}</ref>。
[[2017年]]、[[科学における不正行為|論文不正]]および[[ツイッター]]や著書での大学・学生に対する中傷を理由として、群馬大学教授職を[[10月5日]]付で懲戒解雇された<ref name="日経20171011">{{Cite news|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO22138470R11C17A0CR8000/|title=論文不正で群馬大教授解雇 改ざんデータ使用|newspaper=[[日本経済新聞]]|date=2017-10-11|accessdate=2017-10-11}}</ref><ref name="NHK20171011">{{Cite news|url=http://www3.nhk.or.jp/news/html/20171011/k10011175161000.html|title=大学や学生をツイッターで中傷 群馬大教授を解雇|newspaper=[[日本放送協会|NHK News Web]]|date=2017-10-11|archiveurl=http://web.archive.org/web/20171012013053/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20171011/k10011175161000.html|archivedate=2017-10-12|accessdate=2018-01-07}}</ref>。その後、教授職の地位保全を求めて[[11月17日]]付で[[前橋地方裁判所]]に[[仮処分]]申請したことが報じられた<ref>{{Cite news|title=群馬大 解雇の男性 教授の地位保全、地裁に申し立て|url=https://mainichi.jp/articles/20171121/ddl/k10/040/070000c |newspaper=[[毎日新聞]]|date=2017-11-21|archiveurl=http://archive.fo/P1vcV|archivedate=2017-11-21|accessdate=2018-01-07}}</ref>。


== 略歴 ==
== 略歴 ==

2020年8月21日 (金) 08:26時点における版

江本 正志(えもと まさし)は、日本医学者。前群馬大学教授[1]。専門は検査技術科学

経歴

大学卒業後[2]喜多英二の下で細菌学の手解きを受ける[2]1991年5月、奈良県立医科大学にて博士(医学)号を取得[3]。その後名古屋大学吉開泰信の下で助手として免疫学を研究した[2]光山正雄の勧めもあって1993年からウルム大学ステファン・カウフマン英語版に師事し、NKT細胞の研究を行っている[2]1996年には北里大学で助手を務めたが、カウフマンがマックスプランク感染生物学研究所の所長となった事もあり翌1997年に再びドイツに渡った[2]。外国人として初めて同研究所の上級研究員になったが、日本人学生の教育を行いたいと考えて2003年12月に群馬大学教授となった[2]

2017年論文不正およびツイッターや著書での大学・学生に対する中傷を理由として、群馬大学教授職を10月5日付で懲戒解雇された[4][5]。その後、教授職の地位保全を求めて11月17日付で前橋地方裁判所仮処分申請したことが報じられた[6]

略歴

社会的活動

研究分野

著書

趣味

脚注

  1. ^ 江本 正志”. 群馬大学大学院保健学研究科. 2017年10月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年10月12日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 江本正志, 「流浪の旅を振り返って」『北関東医学』 54巻 4号 2004年 p.321-322, 北関東医学会, doi:10.2974/kmj.54.321, NAID 110001494224
  3. ^ M. Emoto, Biological functions of mouse seminal vesicle fluid, 奈良県立医科大学博士論文, 乙第590号, 平成3(1991)年5月28日.
  4. ^ a b “論文不正で群馬大教授解雇 改ざんデータ使用”. 日本経済新聞. (2017年10月11日). https://www.nikkei.com/article/DGXMZO22138470R11C17A0CR8000/ 2017年10月11日閲覧。 
  5. ^ “大学や学生をツイッターで中傷 群馬大教授を解雇”. NHK News Web. (2017年10月11日). オリジナルの2017年10月12日時点におけるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20171012013053/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20171011/k10011175161000.html 2018年1月7日閲覧。 
  6. ^ “群馬大 解雇の男性 教授の地位保全、地裁に申し立て”. 毎日新聞. (2017年11月21日). オリジナルの2017年11月21日時点におけるアーカイブ。. http://archive.fo/P1vcV 2018年1月7日閲覧。 
  7. ^ a b c d e f g h 江本 正志”. 2017年10月11日閲覧。
  8. ^ a b c d 江本正志のページ”. 2017年10月11日閲覧。

関連項目

外部リンク