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鍋島直能

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鍋島 直能
鍋島直能像(玉毫寺蔵)
時代 江戸時代前期
生誕 元和8年12月17日1623年1月17日
死没 元禄2年8月26日1689年10月9日
改名 直能、伯儀(法号)
別名 飛騨(通称)、直宗(別名)
戒名 弘徳院殿星巌元晃大居士
墓所 佐賀県小城市鷲原の祥光山星巌寺
官位 従五位下、飛騨守、加賀
幕府 江戸幕府
肥前小城藩
氏族 鍋島氏
父母 父:鍋島元茂、母:お仁王(高岳院、鍋島茂里の娘)
兄弟 直能直朗直治
正室:鶴子(南祥院・多久茂辰娘・鍋島勝茂養女)
側室:伊賀子(長寿院、坊城俊完の娘)
直将(長男)、娘(田尻興種室)、元武元敦(3男)、晃惇(4男)、三浦能冬(5男)、娘(三浦明敬正室)、養女(中山信敏室)
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鍋島 直能(なべしま なおよし)は、肥前小城藩の第2代藩主。

生涯

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元和8年(1622年)12月17日、初代藩主・鍋島元茂の長男として江戸桜田屋敷で生まれる。承応3年(1654年)に父が死去したため、家督を継いだ。

文学肌の人物で、寛永12年(1672年)に「夫木類句和歌集」などを編纂している。そのため公家とも親交があったといわれる。

延宝7年(1679年)12月、次男の元武に家督を譲って隠居する。これは本家の佐賀藩や他の支藩と仲が悪く対立しており、佐賀藩の干渉を受けたためとされている。天和元年(1681年)に出家するが、以後も文学活動は続け、貞享元年(1684年)には庭園である「自楽園」を造庭している。

元禄2年(1689年)8月26日に小城の西岡館で死去した。享年68。

系譜

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父母

正室

側室

子女

養女