中山信敏

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中山 信敏(なかやま のぶとし、延宝7年(1679年) - 宝永8年3月8日1711年4月25日))は、常陸松岡藩の第6代当主、常陸太田藩の初代当主。常陸水戸藩附家老・中山家6代。

第3代当主・中山信治の七男。正室は小城藩主・鍋島直能の養女。子に娘(中山信昌正室)。官位は従五位下、備中守、備前守。通称は内記、主殿。

元禄10年(1697年)、兄信成の養子となる。元禄15年(1702年)12月18日、従五位下・備中守に叙任。元禄16年(1703年)10月、信成が没し、幼少だった嫡子・信順に代わって同年12月に家督を相続した。宝永元年(1704年)11月15日、備前守に遷任。宝永4年(1707年)、居所が常陸国久慈郡太田に知行替えとなり、陣屋を築き、5000石加増され、組付50騎の5000石と合わせて2万5000石を公称することとなる[1]。正徳元年(1711年)死去。甥で養子となっていた信順が跡を継いだ。墓所は埼玉県飯能市の智観寺。

脚注[編集]

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  1. ^ 小山譽城『徳川御三家付家老の研究』(清文堂出版、2006年) ISBN 4-7924-0617-X