コンテンツにスキップ

諫早市立本野小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
諫早市立本野小学校
地図北緯32度53分37.6秒 東経130度1分30.5秒 / 北緯32.893778度 東経130.025139度 / 32.893778; 130.025139座標: 北緯32度53分37.6秒 東経130度1分30.5秒 / 北緯32.893778度 東経130.025139度 / 32.893778; 130.025139
過去の名称 本野尋常高等小学校
諫早市本野国民学校
国公私立の別 公立学校
設置者 諫早市
併合学校 簡易湯野尾小学校
中本明尋常小学校
大渡野尋常小学校
設立年月日 1875年明治8年)
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B142210000769 ウィキデータを編集
所在地 854-0093
長崎県諫早市本野町94番地
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示

諫早市立本野小学校(いさはやしりつ もとのしょうがっこう)は、長崎県諫早市本野町にある公立小学校

概要

[編集]
歴史
1872年明治5年)に開校した「中本明小学校」と1875年(明治8年)[1]に開校した「大渡野小学校」を前身とする。1875年を創立年としている。
学校教育目標
「仲良く支え合う子、よく考えくふうする子、明るく元気な子」
校章
花弁を背景にして、中央に校名の「本野」の文字(縦書き)を置いている。
校歌
歌詞は3番まであり、各番に校名の「本野小学校」が登場する。
校区
諫早市本野地区(本野町、富川町、湯野尾町、上大渡野町、下大渡野町、本明町<一部>)。中学校区は諫早市立明峰中学校[2]

沿革

[編集]
前史
旧・中本明小学校
  • 1872年(明治5年)- 学制が頒布される。中本明村に「中本明小学校」が創立。
  • 1874年(明治7年)10月29日 - 中本明小学校が正式に長崎県によって「第五大学区長崎県管下第一中学区の小学校」として認可される[3]
  • 1886年(明治19年)9月 - 小学校令の施行により、尋常科(修業年限4年)を設置の上、「尋常中本明小学校」に改称。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により本野村立の小学校となる。(中明村と大渡村が合併し本野村となる)
  • 1891年(明治24年)4月 - 簡易湯野尾小学校を統合。
  • 1892年(明治25年)4月 - 「中本明尋常小学校」に改称(「尋常」の位置が変更になる)。
  • 1908年(明治41年)4月 - 小学校令の改正により、義務教育年限(尋常科の修業年限)が4年から6年に延長されたため、尋常科5年を設置。
  • 1909年(明治42年)4月 - 尋常科6年を設置。
旧・大渡野小学校
  • 1875年(明治8年)- 大渡野村に「大渡野小学校」が創立[1]
  • 1886年(明治19年)9月 - 小学校令の施行により、尋常科(修業年限4年)を設置の上、「尋常大渡野小学校」に改称。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により本野村立の小学校となる。(大渡村と中明村が合併し本野村となる)
  • 1892年(明治25年)4月 - 「大渡野尋常小学校」に改称(「尋常」の位置が変更になる)。
  • 1908年(明治41年)4月 - 小学校令の改正により、義務教育年限(尋常科の修業年限)が4年から6年に延長されたため、尋常科5年を設置。
  • 1909年(明治42年)4月 - 尋常科6年を設置。
旧・湯野尾小学校
  • 1875年(明治8年)- 中本明村湯野尾に「湯野尾小学校」が創立。
  • 1886年(明治19年)9月 - 小学校令の施行により、簡易科(修業年限3年)を設置の上、「簡易湯野尾小学校」に改称。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により本野村立の小学校となる。
  • 1891年(明治24年)4月 - 中本明尋常小学校に統合され閉校。
統合・本野小学校
  • 1914年大正3年)4月1日 - 大渡野尋常小学校と中本明尋常小学校を統合の上、高等科を併置し「本野尋常高等小学校」となる(尋常科6年・高等科2年)。
  • 1940年(昭和15年)9月1日 - 諫早市の発足[4]に伴い、諫早市立の小学校となる。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「諫早市本野国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める(初等科6年・高等科2年)。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
    • 国民学校の初等科が改組され、「諫早市立本野小学校」(現校名)となる。分教場2校を「分校」に改称。
    • 国民学校の高等科が改組され、新制中学校「諫早市立本野中学校」が発足。独立校舎が完成するまでの間、小学校に併設される。
  • 1957年(昭和32年)7月 - 諌早大水害により被災。
  • 1959年(昭和34年)- 鉄筋コンクリート造3階建ての新校舎が完成。
  • 1960年(昭和35年)- 校門が完成。
  • 1962年(昭和37年)- 頌徳碑を再建。
  • 1964年(昭和39年)- 給食室が完成し完全給食を開始。
  • 1965年(昭和40年)4月 - 特殊学級を設置。
  • 1966年(昭和41年)4月 - 諫早市指定家庭教育学級を開設。
  • 1972年(昭和47年)4月 - 赤水地区に通学専用バスの運行を開始。
  • 1975年(昭和50年)- 体育館プールが完成。
  • 1985年(昭和60年)
    • 3月31日 - 諫早市立本野中学校が閉校(新設の諫早市立明峰中学校に統合された)。
    • この年 - 本野中学校跡地が運動場として移管される。
  • 1990年(平成2年)- 諫早市市制施行50周年を記念してタイムカプセルを設置。
  • 2001年(平成13年)- パソコン室を設置。
  • 2012年(平成24年)- 体育館の耐震補強工事を実施。

アクセス

[編集]
最寄りのバス停
最寄りの国道・県道

周辺

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b ただし、長崎県教育史(上巻)p.553 国立国会図書館近代デジタルライブラリーには1874年(明治7年)10月29日設立とある。
  2. ^ 諫早市立小・中学校の通学区域に関する規則 - 諫早市ウェブサイト
  3. ^ 長崎県教育史(上巻)p.553 国立国会図書館近代デジタルライブラリーによる。
  4. ^ この時1町(諫早)6村(小栗・小野・有喜・真津山・本野・長田)が合併し諫早市が発足した。

関連事項

[編集]

外部リンク

[編集]