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西子湾隧道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
西子湾隧道
東側入口
概要
正式名称 西子灣隧道
別名 寿山洞
位置 中華民国の旗 高雄市鼓山区
座標 北緯22度37分27.8秒 東経120度16分10.1秒 / 北緯22.624389度 東経120.269472度 / 22.624389; 120.269472
現況 供用中
起点 鼓山区臨海二路
終点 国立中山大学
運用
建設開始 1927年
開通 1928年
正式供用は1933年
技術情報
設計技師 海野組
全長 260 m
高さ 3.6 m
6 m
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西子湾隧道 (せいしわんずいどう、繁体字中国語: 西子灣隧道)、または西子湾トンネルは台湾高雄市鼓山区にある防空壕跡と人道トンネル寿山を貫いて国立中山大学哈瑪星を結んでいる。本項ではトンネルに併設された防空壕跡についても併記する。

沿革

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日本統治時代

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日本統治時代の台湾で、高雄州高雄市西子湾には海水浴場が1916年(大正5年)に開業していたが、利用客は寿山の山道を上り下りするなど不便を強いられていた[1](p49)

市街地から寿山を貫き、トンネルを敷設する計画は1920年(大正9年)に浮上している[2](p133)湊町中国語版で国立公園設立のために1926年計画が進展した。

1927年(昭和2年)6月17日に起工式が行われ[2](p136)、台湾で創業した日系建設業の海野組の施工により2か月後の8月29日に貫通した[2](p136)1928年(昭和3年)10月にトンネルが完工、1933年(昭和8年)に正式供用[3]。西子湾観光の利便性は飛躍的に向上し、飲食店や宿泊業が賑わった[2](p92)。高雄州知事の太田吾一により寿山洞と命名された[1](p57)

多くの文献では海野組創業者の海野三次郎 (1866 - 1939) が建設中にも深く関わっているとされるが、三次郎は50歳を迎えた1916年に家業を婿養子の利作に譲っているため、着工後の関与は多くない[1](p57)

戦後

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1949年、台湾省政府交通処は高雄港からの危険物輸送で安全確保のために西子湾に専用埠頭を建設し、併せて高雄港駅から縦貫線を1.8キロメートル延伸する構想を検討した。しかし当時の車両寸法が大きすぎたため断念している[1](pp62-63)

1963年4月25日に換気施設や照明などを一新する修復工事が完了した[2](p145)1980年、トンネル西側にあった西子湾動物園が閉鎖され、跡地は国立中山大学のキャンパスとなる。動物園は1986年に寿山の反対側に移転し、寿山動物園となった[2](pp146-147)

1990年、市政府はトンネル修復に着手[2](p147)

2004年、高雄市政府はトンネルおよび附帯する防空壕を歴史建築に指定[4]

2008年2010年に中山大学により出入口にベンチ増設などの景観改善工事がなされている[1](p70)

建築

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西子湾隧道および防空施設
Sizihwan Bay Tunnel & Air-raid Shelter[5]
中華民国の旗 中華民国 文化資産
トンネル内部 地図
登録名称西子灣隧道及其防空設施[4]
旧称寿山洞(壽山洞
等級高雄市定歴史建築
文化資産登録
公告時期
2004年4月9日[4]
位置中華民国の旗 台湾 高雄市鼓山区臨海二路と哨船街の交差点
建設年代大日本帝国の旗昭和2 - 3年(1927 - 28年)
開放時間24時間
材質コンクリート、煉瓦混合
観覧費無料

全長260メートル、幅6メートル、高さ3.6メートル[3]。内部は前部、中間部、後部の3つの区画で構成されており、出入口部はコンクリート素材のアーチ形状。

事前に軍部の意見聴取が行われ、意義がなく着工に至った。トンネルを含む当時の道路計画は以下の通りだった[6][1](p53)

  • 起点:高雄市湊町(運河付近)
  • 終点:西仔湾
  • 長さ:177間5分(トンネル139間:252.727メートル)
  • 道路幅:30尺(9.09メートル)
    • トンネル幅:21尺(6.36メートル)
  • 高さ:14尺(4.24メートル)
  • 勾配:150分の1

防空壕

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第二次世界大戦中はトンネル北側に防空壕が拡張された[注釈 1][3]1944年5月26日大日本帝国海軍が米軍の空襲に備え作戦指揮機能も備えた長さ9.5メートルのコンクリート製防空壕を完成させている[1](p64)。トンネル本体を含めて約2,150人が収容でき、電気と水道も利用可能で、リビング、バスルームも備えられていた[3]

1950年以降は舟山群島MiG戦闘機が墜落するなどで対人民解放軍で劣勢となり、防空壕は国民政府による台湾本土防衛の施設となった[1](p65)

1950年から1953年の間に3,093人を収容できる規模の防空壕へと改築され、1955年時点で総延長は1,000メートルとなっていた[注釈 2]

その後も1958年、1967年、1972年と三度にわたって拡張が続けられた[注釈 2]

2017年11月11日、トンネル脇にある戦前の防空壕部分が初めて公開された[7]

交通

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脚注

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註釈

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  1. ^ 2016 高雄市歷史建築西子灣隧道及其防空設施修復及再利用計畫(国立高雄大学)圖13 西子灣隧道防空設施擴建順序圖[1](p67)
  2. ^ a b 高雄港30年志[1](pp65-67)

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j (繁体字中国語)陳啟仁 (2018-08-01). “西子灣隧道及防空設施之歷史沿革初探”. 高雄文獻 (高雄市立歴史博物館) (8卷2期): pp.46-73. ISSN 2222-8306. http://www.kaohsiunghistoriography.tw/index.php?PA=history. 
  2. ^ a b c d e f g (繁体字中国語)「104 年壽山國家自然公園史料調查及重要史蹟解說手冊編製計畫”. 內政部營建署壽山國家自然公園 (2016年5月). 2019年7月28日閲覧。
  3. ^ a b c d (英語)Secret Japanese tunnel opens to public for first time in Kaohsiung”. Taiwan News (13 November 2017). 14 November 2017閲覧。
  4. ^ a b c (繁体字中国語)西子灣隧道及其防空設施”. 文化部文化資産局 国家文化資産網. 2019年7月28日閲覧。
  5. ^ (英語)Sizihwan Bay Tunnel & Air-raid Shelter - ウェイバックマシン(2017年11月14日アーカイブ分) 高雄市政府文化局
  6. ^ 台湾軍参謀長 渡邊金造 (1927年5月10日). “密大日記-S2-4-12 件名:高雄港付近道路新設に関する件”. 陸軍省. pp. 949-951. 2019年7月28日閲覧。 国立公文書館アジア歴史資料センター
  7. ^ a b c d 金名 (2017年11月11日). “西子灣秘境隧道揭面紗 日治軍事基地工程浩大”. 新頭殼newtalk. https://newtalk.tw/news/view/2017-11-11/103486 2019年7月28日閲覧。 

関連項目

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外部リンク

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