群馬大学工業短期大学部
表示
群馬大学工業短期大学部 | |
---|---|
大学設置/創立 | 1953年 |
廃止 | 1992年 |
学校種別 | 国立 |
本部所在地 | 群馬県桐生市天神町1-5-1 |
学部 |
応用化学科第二部 繊維工学科第二部 機械工学科第二部 電気工学科第二部 工業化学科第二部 |
群馬大学工業短期大学部(ぐんまだいがくこうぎょうたんきだいがくぶ、英語: Junior College of Technology, Gunma University[1])は、群馬県桐生市天神町1-5-1に本部を置いていた日本の国立大学である。1953年に設置され、1992年に廃止された。大学の略称は群大工短[2]。学生募集は1989年度最終。1990年度より、群馬大学工学部夜間主コースを設置。それに伴い短期大学は学生募集を停止。1992年3月31日をもって正式廃止[3]。
概要[編集]
大学全体[編集]
教育および研究[編集]
- 群馬大学工業短期大学部は、地元の企業を支援すべく紡績と色染に関する専門教育からスタートし、後に時代の要請により機械および電気に関する専門学科も置かれるようになった。
学風および特色[編集]
- 群馬大学工業短期大学部は、繊都桐生に夜間高等教育機関の設置要望から設置されたことから、勤労青年や社会人教育には力をいれていた。
- 開学当初は、学生受入れが 9 月だった。
- 1974年度より、勤労者や社会人により広く門戸を開放すべく、全国に先駆けて入学試験を廃止した[4]。
沿革[編集]
- 1953年9月 群馬大学工業短期大学部開学。
- 色染科第二部
- 紡績科第二部
- 1958年 機械科第二部設置(在籍者数は男33[5])。
- 1959年 電気科第二部設置(在籍者数:男46[6])。
- 1965年 工業化学科第二部を設置(在籍者数は、男34[7])。紡績科を繊維科(在籍者数は、男79[7])に改名。
- 1969年 学科名の変更が行なわれる。
- 機械科→機械工学科
- 電気科→電気工学科
- 繊維科→繊維工学科
- 色染科→色染化学科
- 1975年 色染化学科を応用化学科(在籍者数は、男74、女13[8])に改称。
- 1989年 最後の学生募集となる。翌年度より群馬大学工学部夜間主コースに改組。
- 1992年3月31日 廃止[3][9]。
基礎データ[編集]
所在地[編集]
- 群馬県桐生市天神町1-5-1
象徴[編集]
教育および研究[編集]
組織[編集]
学科[編集]
- 応用化学科第二部
- 繊維工学科第二部
- 機械工学科第二部
- 電気工学科第二部
- 工業化学科第二部
専攻科[編集]
- なし
別科[編集]
- なし
学生生活[編集]
部活動・クラブ活動・サークル活動[編集]
- 群馬大学工業短期大学部で活動していたクラブ活動:ほとんど工学部の学生と混合で活動し、ラグビー部やサッカー部に所属していた短大生もいた[4]。
学園祭[編集]
- 群馬大学工業短期大学部の学園祭は、工学部学生とともに「工学祭」として活動していた[4]。
大学関係者と組織[編集]
大学関係者組織[編集]
- 群馬大学工業短期大学部には同窓会組織があり、同窓記念会館に卒業生による寄せ書きが所蔵されている[4]。
大学関係者一覧[編集]
大学関係者[編集]
歴代学長
出身者[編集]
施設[編集]
キャンパス[編集]
- 設備:工学部とキャンパスを共用していた。
対外関係[編集]
系列校[編集]
卒業後の進路について[編集]
就職について[編集]
- 勤労学生が多く、卒業後もそのまま現職を継続する人も多かったものとみられる。
編入学・進学実績[編集]
- 群馬大学工学部3年次編入学制度があった。
短期大学関係書籍[編集]
- 『群馬大学工業短期大学部30年史』(群馬大学工業短期大学部30年史編集委員会。1982年)
- 『群馬大学工業短期大学部要覧 昭和31年度』(同短期大学編)
- 『夜間教育三十九年の歩み』(1992年)
参考文献[編集]
- 『全国学校総覧』
- 『短期大学一覧』
- 『全国短期大学高等専門学校一覧』(文部省高等教育局技術教育課監修)
- 『全国短期大学受験要覧』(廣潤社)
- 『全国短期大学案内』(教学社)
- 『全国短期大学受験案内』(晶文社)
- 『全国短期大学案内』(梧桐書院)
- 『群馬大学50年のあゆみ』
脚注[編集]
- ^ https://ci.nii.ac.jp/naid/110008679641より
- ^ 群馬大学の間では単に「工短」と呼ばれていた。
- ^ a b 平成23年度『全国短期大学高等専門学校一覧』240頁より。
- ^ a b c d e 『群馬大学50年のあゆみ』より。
- ^ 昭和34年度版『全国学校総覧』(以下『総覧』と略す。)15頁より。
- ^ 昭和35年度版『総覧』12頁より。
- ^ a b 昭和41年度版『総覧』23頁より。
- ^ 昭和41年度版『総覧』31頁より。
- ^ 1992年度版『総覧』45頁より、学生総数はそれぞれ、繊維工学科で30(うち女子4)、応用化学科で44(うち女子2)、機械工学科で49(うち女子1)、電気工学科で48(女子0)、工業化学科で40(うち女子2)となっている。