美濃部家

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美濃部家(みのべけ)は、日本の武家。菅原道真の子孫を称する。甲賀武士であり、甲賀忍を形成していた「甲賀五十三家」「甲賀二十一家」のうちの一家である甲賀地方の国人。滋賀県甲賀市水口町の領主。徳川幕府では、旗本の家格であった。特に古今亭志ん生とその一族は旗本美濃部家の子孫。

出自の伝承[編集]

『美濃部天満宮社記』によると、菅原道真大宰府に左遷された時に一族や側近も失脚し、京を追われた五男の菅原淳茂が、菅原氏の荘園であった美濃部郷(現在の甲賀市水口町)梅ヶ畑に預けられた[1]。美濃部郷の長、平左兵衛門為親の娘との間に一子菅原三郎直茂をもうける[1]923年延長元年)5月、淳茂は赦免されて帰洛するが、子の直茂は美濃部に残り、小字武島に屋敷を建て、地名の美濃部に姓を変えて在地領主となった[1]

著名人物[編集]





出典[編集]

  1. ^ a b c d 木戸雅寿 (2009). “城に見る水口の中世から近世 ―美濃部氏城館・水口岡山城・水口城―”. 紀要 (財団法人滋賀県文化財保護協会) (22). http://www.shiga-bunkazai.jp/download/kiyou/22_kido.pdf.