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笠雄宗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

笠 雄宗(かさ の おむね、生没年不詳)は、奈良時代の官人。朝臣官位従五位下能登守。名は小宗とも記される。笠御室の子とする系図がある。

経歴

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称徳朝の晩年、従六位上伊予国員外掾の時に白い鹿を献上した、とある。この出来事に対し、神護景雲4年(770年)5月に称徳天皇が勅を出し、「自分は徳も薄く、さほどの善政を行っていないのに、たてつづけに天からの祥瑞が現れている。去年の11月28日に高円広世が同じく白鹿を献上し、弓削浄人が白雀一つがいを献上している。これは先祖の徳が及んでいる証拠であろう。自分はどんなふうに天への返礼をするべきだろうか。獣は捕獲しがたく、鳥は捕獲しやすい。このことも考慮に入れて量り定めて奏上せよ」、と群臣に諮問している。それに応答した藤原永手吉備真備ら11人の奏上により、笠雄宗の位両階を進め、20疋、綿30屯、布50端、稲2000束を与えた、とある。これにより正六位上に昇叙されている。また、ともに白鹿を捕る者5人には各位1階を進め、牧長1人、挾抄2人には各稲400束を賜い、鹿を捕らえた駈使3人、水手13人には各300束を賜ったともいう[1]

それから、しばらく記録には現れないが、この間に従五位下に昇進しており、桓武朝延暦3年(784年)正月、文室真屋麻呂藤原真作大伴永主石川魚麻呂紀兄原佐伯老らととも内位の従五位下に叙爵されている。同年4月、藤原縄主の後任の中衛少将に任命される。翌4年(785年)正月には林稲麻呂の後任の美作介、同年7月には三国広見の後任の能登守と、地方官を歴任している[2]。以後の経歴は不明である。

官歴

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続日本紀』による。

系譜

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  • 父:笠御室
  • 母:不詳
  • 兄:笠蓑麻呂
  • 弟:笠望兄

脚注

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  1. ^ 『続日本紀』巻第三十 称徳天皇 神護景雲4年5月11日条
  2. ^ 『続日本紀』巻第三十八

参考文献

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