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白石町立北明小学校

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白石町立北明小学校
地図北緯33度10分04.8秒 東経130度08分34.7秒 / 北緯33.168000度 東経130.142972度 / 33.168000; 130.142972座標: 北緯33度10分04.8秒 東経130度08分34.7秒 / 北緯33.168000度 東経130.142972度 / 33.168000; 130.142972
過去の名称 知新小学校
築切小学校
尋常築切小学校
北有明尋常小学校[1]
北有明尋常高等小学校
北有明村国民学校
北有明村立北明小学校[2]
国公私立の別 公立学校
設置者 白石町
設立年月日  1875年明治8年)4月
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B141242500045 ウィキデータを編集
所在地 849-1103
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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白石町立北明小学校(しろいしちょうりつ ほくめいしょうがっこう)は佐賀県杵島郡白石町築切(ついきり)にある公立小学校

概要

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歴史
1875年明治8年)「知新小学校」として創立。数回の改組・改称を経て、現校名になったのは1956年昭和31年)。2025年令和7年)には創立150周年を迎える。
校章
花弁を背景にして、中央に校名の頭文字である「北」の文字を配している。
校歌
1961年(昭和36年)制定。作詞は中島哀浪、作曲は陶山聡による。歌詞は3番まであり、3番の歌詞中に校名の「北明小学校」が登場する。
校区
杵島郡白石町のうち、「西分1~4号、一の篭、二の篭、沖小路、道目、田中小路、北揚、八の割、弥平搦、築切搦、旭通、太原上、遠江上、遠江中、遠江下、太原中、太原下、遠江搦、太原搦、新観音、大井、新昌、天神、中南、只江、新拓1~4号」。中学校区は白石町立白石中学校[3]

沿革

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  • 1875年(明治8年)4月 - 海蔵寺の本堂を校舎として、「知新小学校」が創立。
  • 1877年(明治10年)- 「築切小学校」に改称。
  • 1880年(明治13年)2月 - 新校舎に移転。
  • 1887年(明治20年) - 小学校令施行により、尋常科(4年制)を設置の上、「尋常築切小学校」に改称。尋常錦浦小学校に十二ヶ村組合立高等東郷小学校が併設される[4]
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、杵島郡2村(築切、遠江)が合併し、北有明村が発足。
  • 1892年(明治25年)4月 -「北有明尋常小学校[1]」に改称。高等東郷小学校は白石高等小学校に改称。
  • 1897年(明治30年)- 白石高等小学校の設置者が須古・六角・福治三ヶ村組合となる。高等科児童への教授を白石高等小学校へ委託。
  • 1898年(明治31年)- 暴風雨で校舎が倒壊した後、瓦葺き木造2階建て新校舎(凹字型)が完成。
  • 1899年(明治32年)- 四ヶ村(竜王・錦江・南有明・北有明)組合立錦浦高等小学校が南有明村に開校[5]
  • 1900年(明治33年)[6]- 錦浦高等小学校の廃止により、高等科を併置の上、「北有明尋常高等小学校」に改称。
  • 1903年(明治36年)12月 - 校舎1棟を増築。
  • 1908年(明治41年)4月 - 改正小学校令により、尋常科(義務教育)が6年制、高等科が2~3年制に変更となる。児童数増加により、校舎1棟を増築。運動場を拡張。
  • 1913年大正3年)- 運動場を拡張。
  • 1916年(大正5年)- 農業補習学校が併置される。
  • 1917年(大正6年)- 南校舎が完成。
  • 1918年(大正7年)- 第四棟が完成。
  • 1921年(大正10年)7月 - 併置の農業補習学校が青年訓練所充当となる。
  • 1922年(大正11年)- 校地を拡張。校門を設置。
  • 1928年(昭和3年)- 校舎を増築。併置の農業補習学校が公民学校となる。
  • 1935年(昭和10年)- 教育講演会が設立される。併置の公民学校が青年学校となる。
  • 1937年(昭和12年)- 講堂が完成。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行により、「北有明村国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革が行われる。
    • 北有明村国民学校の初等科は、新制小学校「北有明村立北明小学校[2]」に改組・改称。
    • 北有明村国民学校の高等科は青年学校の普通科とともに、新制中学校「北有明村立北明中学校[2]」に改組される。小学校に併置される。
  • 1956年(昭和31年)
    • 4月 - 新校舎(8教室)が完成。
    • 7月1日 - 北有明村が白石町に編入されたことにより、「白石町立北明小学校」(現校名)に改称。中学校は「白石町立北明中学校」に改称。
    • 9月1日 - 有明村横手のうち大井地区が白石町に編入されたことにより、該当地区の児童が有明村立有明東小学校より転入[5]
  • 1959年(昭和34年)3月 - 校旗を制定。
  • 1960年(昭和35年)8月 - プールが完成。
  • 1961年(昭和36年)3月6日 - 校歌を制定。
  • 1962年(昭和37年)4月 - 白石町立中学校4校(白石・須古・六角・北明)が統合の上、(新)「白石町立白石中学校」が開校。統合校舎完成までの間、旧・北明中の校舎は「北明校舎」として存続。
  • 1965年(昭和40年)4月 - 白石中学校の統合校舎が完成したため、北明校舎は廃止の上、小学校に移管される。特殊学級を開設。
  • 1961年(昭和41年)10月 - 東校舎と中校舎を解体。
  • 1968年(昭和43年)5月 - 学校給食を開始。
  • 1970年(昭和45年)7月 - 旧管理棟を解体。
  • 1971年(昭和46年)
    • 1月 - 2階建て新校舎が完成。
    • 9月 - 希望の像を建立。
  • 1975年(昭和50年)11月 - 創立100周年記念式典を挙行。記念事業として総合遊具「北明タワー」を設置。
  • 1977年(昭和52年)8月 - 北校舎を改築。西側2階建て校舎を解体。
  • 1980年(昭和55年)8月 - プールを改修。
  • 1981年(昭和56年)2月 - 特別教室が完成。
  • 1983年(昭和58年)2月 - 体育館が完成。講堂を解体。
  • 1995年(平成7年)8月 - 第1回北明小夏祭りを開催。
  • 1999年(平成11年)
    • 3月 - 北明タワーを解体。
    • 12月 - 新校舎(南校舎・中校舎)が完成。
  • 2000年(平成12年)
    • 1月 - 旧校舎を全面的に解体。
    • 10月 - 運動場を整備。
  • 2001年(平成13年)3月 - 校門(正門)を設置。
  • 2030年(令和12年)4月 - 白石地区小学校4校(須古六角白石北明)が統合の上、小学校1校が新設される(予定)[7][8][9]

交通

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最寄りの鉄道駅
最寄りのバス停留所
最寄りの幹線道路

周辺

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  • 白石町立あかり保育園
  • 正徳寺

脚注

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  1. ^ a b 学校沿革史では「北有明尋常小学校」、佐賀県学事年報(明治26年~32年)では「北明尋常小学校」と記録がある。
  2. ^ a b c 学校沿革史では「北有明村立北明小学校(中学校)」、全国学校名鑑(昭和24年版~昭和32年版、文化研究社)では「北有明村立北有明小学校(中学校)」と記録がある。
  3. ^ ○白石町立小学校及び中学校の通学区域に関する規則
  4. ^ 1893年(明治26年)には、同じ組合によって、「十二ヶ村組合立福富高等小学校」(2年制)が尋常福富小学校に併置された。
  5. ^ a b 「有明町史」(1969年(昭和44年)9月15日, 有明町教育委員会)p.218(有明東小学校沿革)
  6. ^ 学校沿革史では「1902年(明治35年)」、佐賀県学事年報(明治33年)では「1900年(明治33年)」と記録がある。
  7. ^ 小学校は8校から3校に 中学校は3校から1校に統合 白石町の小中学校の再編計画【佐賀県】(2023年(令和5年)5月18日) - サガテレビウェブサイト
  8. ^ 白石町立小学校再編計画を策定しました - 白石町ウェブサイト
  9. ^ ⽩⽯地域新設⼩学校基本構想 (PDF) 」(2024年(令和6年)3月)- 白石町ウェブサイト

参考資料

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関連事項

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外部リンク

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