白川奈美
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白川 奈美(しらかわ なみ)は、日本の歌手。『遠くはなれて子守唄』のヒットで知られる。
人物
[編集]1971年(昭和46年)2月に『恋の灯(ひ)が消える』でデビュー[1]。同年8月の『遠くはなれて子守唄』が80万枚[2]を売り上げる大ヒットとなり、その名を知られるようになる。その後も一連の「子守唄」シリーズを発売する。
1974年(昭和49年)、当時読売ジャイアンツの内野手だった富田勝と結婚し、2児を授かるが14年後に離婚[1]。その後は静岡県の磐田市に居を移し8年間スナックを経営、2004年(平成16年)に東京に戻ってからは、知り合いのスナックや小料理屋を手伝う。
2008年(平成20年)には「夏祭りにっぽんの歌」や「歌謡祭」に、2010年(平成22年)5月25日にはNHK歌謡コンサートに出演し、その歌声を披露している[1]。
エピソード
[編集]- 「遠くはなれて子守唄」の作詞者・神坂薫はテレビ東京プロデューサーだった工藤忠義のペンネームである[2]。この曲は、夫を亡くし子供を里親に預け、都会で働く母親の心情を歌った曲であったため、キャバレーやクラブの子持ちのホステスに絶大な人気を誇った[1][3]。また、当時この曲を歌っている白川も子持ちではないのか、と疑われたこともある。
- 20代からスナックを経営した経験がある。
ディスコグラフィー
[編集]シングル
[編集]# | 発売日 | A/B面 | タイトル | 作詞 | 作曲 | 編曲 | 規格品番 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
ワーナー・パイオニア | |||||||
1 | 1971年2月 | A面 | 恋の灯が消える | 八生かずみ | 鈴木淳 | 小杉仁三 | L-1010P |
B面 | 追憶の夜 | 久ひろし | |||||
2 | 1971年8月25日 | A面 | 遠くはなれて子守唄 | 神坂薫 | 野々卓也 | 小谷充 | L-1048P |
B面 | ふるさとの雨 | 六ツ美茂明 | |||||
3 | 1972年 | A面 | 男がつぶやく子守唄 | 神坂薫 | 小谷充 | L-1072P | |
B面 | 奈美の五ツ木子守唄 | 神坂薫 | 熊本民謡 | 原田良一 | |||
4 | 1972年5月 | A面 | ママの星 | 神坂薫 | ミッキー・カーチス | 小谷充 | L-1087P |
B面 | 星にたくして | 猪俣公章 | |||||
5 | 1972年8月 | A面 | 母さんの終電車 | 片山エツ子 | 猪俣公章 | 小谷充 | L-1101P |
B面 | 親泣かせ | 神坂薫 | |||||
6 | 1972年 | A面 | 恋のブルース | 石坂まさを | 浜圭介 | 小谷充 | L-1112P |
B面 | もういくつ寝ると | 千家和也 | みなみらんぼう | 青木望 | |||
7 | 1973年 | A面 | 恋の灯が消える | 八生かずみ | 鈴木淳 | 小杉仁王 | L-1131P |
B面 | 追憶の夜 | 久ひろし | |||||
8 | 1973年8月 | A面 | 離婚 | 神坂薫 | 森田公一 | 森岡賢一郎 | L-1148P |
B面 | 恋やつれ | 石坂まさを | |||||
9 | 1974年 | A面 | 離婚 | 喜多條忠 | 森田公一 | 高田弘 | L-1186P |
B面 | 悲願花 | 石坂まさを | 浜圭介 | 小谷充 |
アルバム
[編集]オリジナル・アルバム
[編集]枚 | 発売日 | タイトル | 備考/規格品番 |
---|---|---|---|
ワーナー・パイオニア | |||
1st | 1972年 | 遠くはなれて子守唄 | L-6038P |
2nd | 1972年 | しのび逢い めぐり逢い 夜を歌う | L-6051P |
3rd | 1972年 | 恋のブルース | L-6066P |
出演
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d 「遠くはなれて子守唄」があるから再び… 白川奈美さんZAKZAK 2010年12月7日。(インターネットアーカイブのキャッシュ)
- ^ a b 志賀信夫『テレビを創った人びと―巨大テレビにした人間群像』日本工業新聞社、1979年、377頁。
- ^ a b ゲンダイネット「あの人は今こうしている」2008年7月4日(インターネットアーカイブのキャッシュ)