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1999年(平成11年)、同作により第120回[[芥川龍之介賞|芥川賞]](当時最年少)受賞。[[京都大学]][[法学部]]卒業。
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2003年(平成15年)、この年に[[文化庁]]の[[文化大使]]に任命され、1年間フランスで過ごす。
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「本当にサラリーマンにでもなろうかなと思っていた」と語っている。
「本当にサラリーマンにでもなろうかなと思っていた」と語っている。
小説の執筆に伴って、留年もした。
小説の執筆に伴って、留年もした。
高校生、17歳頃に80枚の処女作を書く。大学時代も2、3小説を書いていたと言う。
高校生、17歳頃に80枚の処女作を書く。大学時代も2、3小説を書いていたと言う。

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==作風==
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===文体===
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*『母と子』――『[[父と子]]』([[ツルゲーネフ]])
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*『やがて光源のない澄んだ乱反射の表で……/『TSUNAMI』のための32点の絵のない挿絵』――『[[絵のない絵本]]』([[アンデルセン]])
*『やがて光源のない澄んだ乱反射の表で……/『TSUNAMI』のための32点の絵のない挿絵』――『[[絵のない絵本]]』([[アンデルセン]])
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* 「ウェブ人間論」(新潮新書、2006年12月、ISBN:4106101939)[[梅田望夫]]との対談
* 「ウェブ人間論」(新潮新書、2006年12月、ISBN:4106101939)[[梅田望夫]]との対談
* 「あなたが、いなかった、あなた」(新潮社、2007年1月刊行予定)
* 「あなたが、いなかった、あなた」(新潮社、2007年1月刊行予定)

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== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* [http://www.k-hirano.com/ 平野啓一郎 オフィシャルサイト]
* [http://www.k-hirano.com/ 平野啓一郎 オフィシャルサイト]

2007年1月2日 (火) 10:49時点における版

平野啓一郎(ひらの けいいちろう、本名同じ。1975年6月22日 - )は、日本作家

愛知県蒲郡市で生まれたが1歳で父親を亡くし、2歳から18歳まで母親の実家があった福岡県北九州市で過ごす。私立明治学園中学校から福岡県立東筑高等学校を経て、京都大学法学部卒業。小野紀明のゼミに所属していた。現在東京都在住。99年『日蝕』(1998年刊行)で第120回芥川賞を23歳で受賞。同年『一月物語』を刊行。近年、大作『葬送』を刊行し注目を集めた。これら「ロマンティック三部作」と呼ばれる過去の歴史を舞台にした長編群を書き上げたあとは、一転して現代を舞台にした実験的な短編に取り組んでいる。三島由紀夫森鴎外シャルル・ボードレールミルチャ・エリアーデ等に傾倒。 好きな食べ物として、カレーライススパゲティを挙げている。 ジャズ、取り分けマイルス・デイヴィスを好み、『高瀬川』や対談などでそのファンぶりを見せる事もしばしばである。 ちなみに、学生時代はバンドにも取り組んでいたと言う(ヴォーカル)。 花粉症を患っており、『くしゃみ』(「滴り落ちる時計たちの波紋」所収作)においても題材としている。

経歴

1975年(昭和50年)、6月22日に愛知県蒲生市に生まれる。 1976年(昭和51年)、一歳で父を亡くす。 1998年(平成10年)、「新潮」8月号に第一小説『日蝕』を投稿、前代未聞の一挙掲載によって、そして、その文体の荘厳さ、京大生という経歴などで有名となる。 1999年(平成11年)、同作により第120回芥川賞(当時最年少)受賞。京都大学法学部卒業。 2003年(平成15年)、この年に文化庁文化大使に任命され、1年間フランスで過ごす。 「本当にサラリーマンにでもなろうかなと思っていた」と語っている。 小説の執筆に伴って、留年もした。 高校生、17歳頃に80枚の処女作を書く。大学時代も2、3小説を書いていたと言う。

作風

文体

彼の作品は、各作品によって少なからず毛色が違っている。 一貫して言えるのは、その華麗な文体を維持している点であろう。デビュー作の『日蝕』は、彼の著作中で最も常用外漢字や擬古文的文法を多用しており、新人離れした筆力と目されることもまたしばしばである。

小説による視覚実験

さらに言えることは、彼が発表する、所謂「実験的作品」は大抵、視覚に訴える工夫が施せられている。 例えば、『日蝕』においては、見開きを空白の真っ白なページにしたり、『氷塊』では二次元放送のごとく、二つの物語が同時進行したり、『女の部屋のコンポジション』では文字で絵画を描いたり等、まさしく視覚的要素を重要視しており、類を見ない、不思議な作品世界を創出している。

  • その他の視覚的実験
  • 『追憶』――最後のページに記されている詩を部分的に浮かび上がらせ、あたかも霧に隠れた物が所々姿を見せるかのように、多用な文章を作り出す。
  • 『白昼』――字間を大胆なまでに空け、読むスピードをコントロール、また外見的にも美しい。
  • 『閉じ込められた少年』――前から読んでも後ろから読んでも同じ、回文的作品。ロンドを思わせる。
  • 『母と子』――多重同時進行の前衛作。
  • 『やがて光源のない澄んだ乱反射の表で……/『TSUNAMI』のための32点の絵のない挿絵』――ページ下に横書きの文章があり、縦書きで進行する物語に反して挿絵のような役割を果たす。

タイトル

古今の名作のタイトルを拝借する事も度々である。


著書

  • 「日蝕」(新潮社、1998年10月、ISBN:4104260010)(新潮文庫、2002年2月、ISBN:4101290318)
  • 「一月物語」(新潮社、1999年4月、 ISBN:4104260029)(新潮文庫、2002年8月、ISBN:4101290326)
  • 「文明の憂鬱」(PHP研究書、2002年1月、ISBN:4569620035)(新潮文庫・補強版、2005年12月、ISBN:4101290377)エッセイ集
  • 「葬送 第一部」(新潮社、2002年8月、ISBN:4104260037)(新潮文庫、2005年7月、上巻ISBN:4101290334、下巻ISBN:4101290342)
  • 「葬送 第二部」(新潮社、2002年8月、ISBN:4104260045)(新潮文庫、2005年8月、上巻ISBN:4101290350、下巻ISBN:4101290369)
  • 「高瀬川」(講談社、2003年3月、ISBN:406211755X)(講談社文庫、2006年10月、ISBN:4062755394)
  • 「滴り落ちる時計たちの波紋」(文藝春秋、2004年6月、ISBN:4163230505)
  • 「TALKIN' ジャズ×文学」(平凡社、2005年10月、ISBN:4582832903)小川隆夫との共著
  • 「顔のない裸体たち」(新潮社、2006年3月、ISBN:4104260053)
  • 「本の読み方 スロー・リーディングの実践」(PHP新書、2006年8月、ISBN:4569654304)
  • 「ウェブ人間論」(新潮新書、2006年12月、ISBN:4106101939)梅田望夫との対談
  • 「あなたが、いなかった、あなた」(新潮社、2007年1月刊行予定)

外部リンク