ノート:平野啓一郎

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百科事典的記載、転載[編集]

- 現状版の内容は、酷すぎます。百科事典としての体をなしていない。ゴシップ、情緒的な独り言、2ちゃんねるネタは不要・有害的記載です。  また、webや雑誌からの大量の転載が含まれており、引用の要件を満たしていません。著作権侵害として削除依頼提出を検討します。 [1]と発言をBungakuita2chに捏造されたので書き直します。 --fromm 2007年3月30日 (金) 06:13 (UTC)[返信]


 frommさんに賛成です。前から気になっていたのですが、妙な部分が多く、読んでいて苛々します。『@ヒューマンでの発言』、『発言・エピソード』の項は平野氏を辞典的に不適切なほど褒め称えており、明らかに不要です。 Kyubi1991 2007年4月8日 (日) 13:17 (UTC)[返信]

佐藤亜紀氏との確執についての記事ですが、佐藤亜紀の該当記事へのリンクに差し替えることを提案します。事実関係・資料の充実さ共に大きく劣り、また平野氏の発言は両論併記の形を成していません。--60.47.71.31 2007年7月5日 (木) 12:35 (UTC)[返信]

外部文書の転載?[編集]

てて氏の加筆について、

は外部文書の転載と考えられるため、差し戻しました。--miya 2007年3月30日 (金) 06:07 (UTC)[返信]

「最初に作ったホームページについて」は、もっと前の版にもあったようです。また今気づいたのですが、「顔のない裸体たち」の解説も、著作権侵害に当たらないか、検討が必要なように思われます。--miya 2007年3月30日 (金) 06:55 (UTC)[返信]

訂正願い[編集]

「メディアへの露出」の項にある
>当時最年少芥川賞受賞者だったことも手伝ってか
は、明らかな間違いですので訂正願います。平野が受賞した時点における最年少受賞者は、第56回=1966年下半期=受賞者である丸山健二(受賞時23歳1ヶ月で、第130回受賞の綿矢りさに抜かれるまで最年少)です。
「最年少ではないものの、芥川賞史上屈指の若さ(当時、歴代2~3番目?)で受賞したことも手伝ってか」等の表現に修正するか、上記「当時~手伝ってか」を全て削除する等の対応をお願いします。 219.58.227.195 2007年3月30日 (金) 17:04 (UTC)[返信]


最年少」を広辞苑で引きますと、「ある集団の中で、最も年下であること。また、その人。」とあるので、「平野啓一郎は当時最年少受賞」の記述に誤りはありません。受賞当時の新聞にも「最年少受賞」と大きく書かれています。 平野氏の受賞の時は、丸山健二氏、大江健三郎氏、石原慎太郎氏、そして平野氏がこれらに並んで最年少23歳での受賞です。 公式HPのプロフィールでも、新潮社による著者説明でも、「当時史上最年少」と書かれています。 以上のことから、219.58.227.195さんの指摘は明らかな間違いと言えるのではないでしょうか。 利用者:てて 2007年3月31日 (土) 17:01(UTC)


ててさんのご指摘は、「年齢のみを取り上げる」ならばもっともですが、厳密な意味では丸山さんの方が数ヶ月ほど若いため、やはり厳密な意味では誤りと言えます。

新潮社及び当時の新聞は、厳密さの追求よりも曖昧さを出す事で話題性を集めようとしたものと考えられます。その証拠に、綿矢りささん受賞時には丸山さんの記録のみ取り上げられていた(全紙を読んだわけではありませんが、私が見た範囲内では、平野さんに触れたのは皆無)ことから明らかと言えるでしょう。

219.58.227.195 2007年5月3日 (木) 10:05 (UTC)[返信]

「盗作」ではなく「ぱくり」だという文章は、佐藤が「名誉毀損」を犯しているとも言えるので佐藤寄りの記述であり、コメントアウト。また山之口洋の文章は、「テーマが同じ優れた先行作品を読んでいないのは小説家失格」という恣意的なものであり削除、山之口が明らかに佐藤寄りであることからその前の文章はコメントアウトしました。121.92.81.125 2008年3月31日 (月) 06:20 (UTC)[返信]

著作リスト一覧の第○期という分け方[編集]

現在の版では、小説が「初期三部作(ロマンティック三部作)」「第二期(短編期/計25作)」「未単行本化(第三期)」の3つに分けられていますが、これは誰による区分けでしょうか。平野本人がそのように述べているとか、平野を扱った評論で書かれているとか、なにか根拠がありましたら提示してください。ウィキペディアの編集者による判断であればWikipedia:独自研究は載せないに引っかかりますので、区分けなしの一覧にしましょう。--Bluebell 2008年7月21日 (月) 02:13 (UTC)[返信]

「初期三部作」について、[2]で平野本人が書いていることを確認しました。経歴のところで脚注につけておきます(初出ではないだろうけど)。--Bluebell 2008年7月29日 (火) 02:52 (UTC)[返信]
それならば、「初期」とそれ以降の区分で良いのではないでしょうか?第三期と命名することは、独自研究になる恐れがあると思います。--219.58.227.195 2008年9月23日 (火) 14:40 (UTC)[返信]
しかも『決壊』が単行本化された今となっては節の名前が合っていませんし…。とりあえず「初期三部作」と「以降の作品」にしてみます。--Bluebell 2008年9月24日 (水) 03:26 (UTC)[返信]

時期区分が元に戻っているのみか「第四期」までできていますが、独自研究?116.80.244.165 2015年7月7日 (火) 01:35 (UTC)[返信]

視覚実験の箇所も独自研究が含まれているように思われます。例えば「美しい」という主観的な表現が含まれているような例が多くあるわけです。この辺は文学界の平野啓一郎特集などを参考に再度検討しても良いような気がします。 amairo会話2018年12月31日 (月) 11:23 (UTC)[返信]

『日蝕』と佐藤亜紀の『鏡の影』を削除した件につき[編集]

私はこの記事の掲載妥当性を疑い、削除したのですが、頭痛さんは私の会話ページにおいて、この件を記事の無断消去であり荒らし行為に該当する恐れがある、とおっしゃいました。 しかしウィキペディアにおいては、大胆な編集は認可されるという話であって、他の記事においてと同様に私の個人判断をもって削除したのですが、頭痛さんは私の記事削除に関して、何か反対意見を持っておられる、ということでしょうか。そうであるならば、この項において議論を行うことを私は辞さないつもりですが、よろしいですか。--カシス会話2012年3月30日 (金) 11:51 (UTC)[返信]

編集を大胆に行ってよい、ということは配慮をせずに記述の除去を行ってよいという意味ではありません(WP:BOLD)。記事になにか問題を感じるのであれば大幅な除去をする前に問題点をノートで指摘し、異論がないか確認してください。--頭痛会話2012年3月30日 (金) 12:18 (UTC)[返信]
WP:BOLD確認しました。それでは、「『日蝕』と佐藤亜紀の『鏡の影』」がこの項目に記述されたのは、事前に合意形成がなされていない長い論争があったり、また合意形成が行われて記述されたものなのでしょうか? 私はそうは思われませんね。特に明確な議論を経ないで、なし崩し的に掲載された記述と見えます。つまりこれはWP:BOLDにおける配慮を必要とする項目ではない、ということだと思われます。もちろん、私としてはこの記事を載せるべきではない理由をもっています。それは明確なソースが示されておらず、せいぜい「噂の真相」ぐらいであって、あとはネット上の発言等を拾い集めた記述にしか過ぎないからです。もちろん、この記述を佐藤亜紀さんの意見ということで佐藤亜紀さんのページに掲載することに対しては私は消極的ながらも反論は強くしませんが、平野啓一郎さんのページに記述するのは明確な間違いである、と思われるのですが。そのあたりの議論がこれまでなされてこなかったのが大きな問題であり、それを今この場で主張することは重要なことでしょう。--カシス会話2012年3月30日 (金) 13:47 (UTC)[返信]
Wikipediaの方針は法律文書ではありませんし、われわれは法律家ごっこをしているのではありません。「配慮が足りない」ということを問題にしている個人に対して「この場合方針文書には該当しない」などと主張しても何の意味もありません。
当該の記述は現在のところ二次情報源が示されていませんが、栗原裕一郎の『盗作の文学史』にこの件をめぐって一章が割かれているようですので事典に掲載するに値しないような些細な問題とは解せません。記述自体もややあやふやなところや独自の解釈らしきものも見受けられますが、全文除去しなければならないほど非中立的に書かれてもいないようです。問題を感じるのであれば除去ではなく情報源に基づく修正を行ってください。--頭痛会話2012年3月30日 (金) 13:55 (UTC)[返信]
なるほど、確かに頭痛さんの意見にも見るべきところはありますね。情報源に基づく修正、あるいは削除を行なうべきであると。記事全体を消すことが私としては望ましいところですが、現状では適切な削除修正を行なう、というところで文句はありません。
削除訂正に関しては佐藤亜紀さんがホームページ上でなされた発言はすべて削除するべきだと思います、ただ佐藤亜紀さんからその種の指摘があった、というぐらいに留めておくべきでは。新潮社の対応と、小谷真理さんの解説に関しての記述も、平野さんのページに記載するべきではないでしょう。
私から言って、現状では残してもいいと判断できるところは、

2000年3月、佐藤亜紀は1998年に新潮社から刊行された平野のデビュー作『日蝕』が1993年に同じ新潮社から刊行された佐藤の『鏡の影』の「ぱくり」であると自身のウェッブ・サイトなどで(ホームページで、とする方が適切でしょう:引用者註)示唆した。

この冒頭の一行と、平野さんがそれに対する反論的な発言をブログで行なったこと、それも現在の記述では書きすぎだと思われる部分が見えなくはないので、以下のような感じに改めます。それに対する佐藤亜紀さんのプロットの類似点に対する指摘をした、という反論は記載するか意見の分かれるところだと思われますが、その指摘は佐藤亜紀さんが自身の読者の質問に答える、という形で示したもので、平野さんに対してされた訳ではなく、平野さんの項目で扱う必要はないかと。

平野は2006年9月に自身のブログにおいて「これまで佐藤亜紀氏の小説を1行も読んだことがないし、また今後も読むつもりがない」と断言、佐藤の主張は「言い掛かり」であると反論を行い、佐藤の示唆する「ぱくり」には「客観的な根拠」がないこと、佐藤自身も「具体的な説明」を提示しえていないことなどを指摘した。 その際に梅田望夫との対談で『ネット空間に「言葉を発する」ことがいかに重要か』ということを示唆され、六年前の出来事に対して『私自身の言葉を「参照可能な情報」として、新たにネット空間に付け加える必要を感じた』と書いている。

以上のような感じで頭痛さんは合意していただけるでしょうか。--カシス会話2012年3月30日 (金) 14:52 (UTC)[返信]
私は「明確な二次情報源の存在が確認されているのだからそれをもとに加筆修正を行うべきである」ということを言っているのです。「あなたのバランス感覚で好きなように削ってください」というようなことを言っているのではありません。資料・出典を確認してまで修正する気があなたにないのであればその気のある人が出てくるまで放って置かれるのがよろしいでしょう。--頭痛会話2012年3月30日 (金) 15:07 (UTC)[返信]
めんどくさいですねえ。頭痛さんの発言通りに従うならば、学者並の知識がなければウィキペディアの編集はできない、ということでしょうか? これは冗談ですが、頭痛さんの発言からはそのようなものを感じます。私の改変例にどこか問題はありますか。ちゃんと平野さんのブログなど、情報源を記しているつもりですが。ここは平野さんの項目なのですから、本人の発言に重点を置いて書きました。--カシス会話2012年3月30日 (金) 17:40 (UTC)[返信]
ここは「平野啓一郎の項目」であって「平野の個人的なページ」ではありません。平野の発言のみを載せれば中立性を欠くことになります。資料を読むのがそんなに嫌ならば無理に事典の編纂などに加わる必要はないでしょう。--頭痛会話2012年3月30日 (金) 18:19 (UTC)[返信]
ですから、私の書いた文章のどこが中立的ではないというのです? 冒頭の一文で佐藤さんの発言は当然組み込まれておりますし、平野さんの発言に関しても、ブログで発言したことしか含まれていない、つまり以前の文章と比して、よほど中立的な文章を私は書いているといえるでしょう。以前の文章であった出典不明確な情報はここでは削除されていますし、文章量を抑えることによってより情報源として存在する資料内における表現となったはずです。むしろ以前のように佐藤発言の比重が大きかったり、平野さんがブログで発言したことを曖昧にぼかしたような書き方よりも、こちらの方がよろしいと思われますが。--カシス会話2012年3月31日 (土) 03:58 (UTC)[返信]
佐藤の発言を抑え目にして平野の発言ばかりを載せたら中立性が保てないと述べています。--頭痛会話2012年3月31日 (土) 09:03 (UTC)[返信]
よろしい、でしたら、佐藤亜紀さんが読者からの質問に答えるという形で、2011年に鏡の影と日蝕のプロット類似比較を行なった、という件を入れることにしましょう。これは事実ですし、そうすれば頭痛さんの言う意味での「中立性」も保たれ、合意形成がなされることになりますからね。--カシス会話2012年3月31日 (土) 11:33 (UTC)[返信]
中立的観点への理解に不安があります。編集前に文案を示してください。-頭痛会話2012年3月31日 (土) 11:42 (UTC)[返信]

他のメディアでの扱い[編集]

コメント 佐藤氏が2000.03.17に「No.13 『バルタザールの遍歴』絶版の理由 」を書くまで、2作品の類似性について指摘した二次情報源は寡聞にして聞きません(もしあればご提示願います)。それであれば、この件は佐藤氏が出版社との確執の過程で主張しそれを他のメディアが後追いしたものに過ぎず、佐藤氏の項目に書くべきものです。巻き込まれた平野氏(題材が似通う小説などいくらでもあります)のページで長々と書くのは筋違いです。こちらではせいぜい必要最小限(どのように反論したか)にして、

として佐藤氏の記事に誘導すべきでしょう。特に佐藤氏が行ったプロット類似比較は、佐藤氏を解説するうえでは有益でも平野氏の解説としては無価値ですので佐藤氏の項目に書くべきでしょう。--miya会話2012年3月31日 (土) 23:27 (UTC)[返信]

「この件は佐藤氏が出版社との確執の過程で主張しそれを他のメディアが後追いしたものに過ぎ」ない、ということ自体が現時点では二次情報源のない解釈に過ぎません。上述したように『盗作の文学史』で文学史上の事件として取り上げられている事柄であり、「平野の解説としては無価値」とは解せません。
なお私自身は平野の記事への記載については日蝕 (小説)にのみ経緯に関する記述を残し、平野個人の項目では無記載か一言触れるくらいでいいと考えています。佐藤の項目についても文脈を調整したうえで、『日蝕』に関わる詳しい経緯については日蝕 (小説)を参照させるというかたちのほうがよいでしょう。どちらにしても現状では三項目で内容が重複しています。
が、二次情報源も参照せずに中途半端にいじくるくらいなら長期間維持されている現状でほっとけば、というのが感想です。--頭痛会話2012年3月31日 (土) 23:50 (UTC)[返信]
とりあえず、「日蝕 (小説)にのみ経緯に関する記述を残し」に賛成です。そちらに加筆されていたのに気付きませんでした。『盗作の文学史』は入手でき次第検証いたします。--miya会話2012年4月5日 (木) 08:23 (UTC)[返信]
(報告)栗原裕一郎氏の『盗作の文学史』を確認しました。栗原氏は他の「事件」に関して可能なものについては具体的に類似点を比較対照させていますが、『日蝕』に関しては「第8章 その他の事件」455-457ページで簡単な経緯を書き、佐藤の主張、および『噂の真相』、大森望、山之口洋、平野自身の反応をごく簡単に紹介しただけです。栗原氏の本音は「・・・仮にそれが佐藤の被害妄想によるものだったにせよ、盗作疑惑自体は現実に起こった「事実」である」あたりでしょう。--miya会話2012年4月10日 (火) 02:43 (UTC)[返信]
miyaさん確認ありがとうございます。その記述でしたら、平野さんのページに盗作疑惑を載せることの特筆性は薄くなる、と思いますね。平野さんのページからは記述を削除し、佐藤さんのページに記載のみで、それから日蝕の項目に完全移動、でも宜しいのではないでしょうか。栗原さんの意見も取り入れて書くべきだと思われます。頭痛さんはいかが思われますか? 栗原さんの著作において、それほど重点を置いて紹介されていない以上、平野さんのページに一連の事件を記載することは難しいと考えられますが。これは平野さんにとってマイナスとなる記事でありますから、特筆性の裏付けが薄いものは、載せるべきではないと思われます。--カシス会話2012年4月11日 (水) 16:22 (UTC)[返信]
大きく取り扱っている情報源がないのであればそれに応じた扱いをするべきです。もっとも『盗作の文学史』で1、2ページ、というのがさほど「小さい扱い」なのかどうかはわかりませんが。他の方に負担が押し付けられてしまったことは残念です。
先日来Kanoharaさんによって日蝕 (小説)が大幅に加筆されており[3]、佐藤との経緯についても出典に基づいてより中立的で検証可能性に応じた記述がなされています。こちらを残しておけば平野個人の項目のほうの記述は不要でしょう。数日待って異論が起こらなければ除去してもよいと考えます。--頭痛会話2012年4月12日 (木) 00:06 (UTC)[返信]
頭痛さん、どうもありがとうございました。異論は特になかったようなので、該当の項目を削除させていただきました。--カシス会話2012年4月15日 (日) 04:17 (UTC)[返信]
『盗作の文学史』は「盗作」関連で執筆する方にはぜひ目を通してただきたい本ですが、社会的反響が大きかった事件ではたとえば『暗い旅』63-92頁、『赤頭巾ちゃん気を付けて』92-124頁、「殉教秘聞」125-131頁、「針のない時計」132-148頁、「第8章 その他の事件」中の比較的長いもので「石原慎太郎」410-415頁、『ひとつの青春』415-419頁・・・といった分量です(構成については内容紹介参照)。--miya会話2012年4月15日 (日) 05:38 (UTC)[返信]

ちなみに『盗作の文学史』著者の栗原裕一郎氏はブログのコメント欄で「個人的な見解」と断りながら平野『日蝕』と佐藤『鏡の影』は、数ある盗作疑惑のなかでも、もっとも“似ていない”ひとつです。と述べておられます。ブログは出典として不足なので本文には加筆しませんが、ご参考までにご案内します。--miya会話2012年4月23日 (月) 04:48 (UTC)[返信]

編集案[編集]

若干遅くなりました。以下のような感じでどうでしょう。

2000年3月、佐藤亜紀は1998年に新潮社から刊行された平野のデビュー作『日蝕』が1993年に同じ新潮社から刊行された佐藤の『鏡の影』の「ぱくり」であると自身のホームページで発言した。 平野は2006年9月に自身のブログにおいて「これまで佐藤亜紀氏の小説を1行も読んだことがないし、また今後も読むつもりがない」と断言、佐藤の主張は「言い掛かり」であると反論を行い、佐藤の言う「ぱくり」には「客観的な根拠」がないこと、佐藤自身も「具体的な説明」を提示しえていないことなどを指摘した。 その際に梅田望夫との対談で『ネット空間に「言葉を発する」ことがいかに重要か』ということを示唆され、六年前の出来事に対して『私自身の言葉を「参照可能な情報」として、新たにネット空間に付け加える必要を感じた』と書いている。 また、佐藤は2011年1月、読者からの質問に答えるというかたちで「鏡の影」第十章から第十五章までのプロットを、「日蝕」全体のプロットと比較」を行い、「プロットの流れがほぼ一致していることを示すためのもので、個々の要素を対照した訳ではない」といい、「プロットの借用自体は格別問題はない」と結論付けた。

--カシス会話2012年4月4日 (水) 14:34 (UTC)[返信]
「「プロットの借用自体は格別問題はない」と結論付けた」というのはどこで確認できますか。--頭痛会話2012年4月4日 (水) 21:59 (UTC)[返信]
[4]にて、プロット比較検証のpdfの後に「一言お断りしておくなら」という形で続けられている文章です。--カシス会話2012年4月5日 (木) 03:42 (UTC)[返信]
「プロットの借用自体は格別問題はない」は明らかにその文章の結論ではありません。--頭痛会話2012年4月8日 (日) 23:23 (UTC)[返信]
「ぱくり」関連の一連の問題という見方でいうならば、その部分が結論になるかと思いまして。どちらにしても佐藤さんの文章を全部要約して載せることはしなくてよろしいでしょう。--カシス会話2012年4月9日 (月) 16:41 (UTC)[返信]