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ニュース雑誌では、アシル・ブーディリエが1857年に創刊した「[[ル・モンド・イリュストレ]]」に[[1857年]]7月18日から[[1886年]]まで寄稿し、[[ナポレオン・ジョゼフ・シャルル・ポール・ボナパルト|ナポレオン・ジェローム]]と[[マリーア・クロティルデ・ディ・サヴォイア|マリーア・クロティルデ・ディ・サヴォイア]]との婚礼記事が特筆された<ref>''Le Monde illustré'' du 2 décembre 1859</ref>。1858年5月23日から[[1895年]]まではミシェル・レヴィが創刊した「[[ユニヴェール・イリュストレ]]」で働き、[[1861年]]から[[1894年]]まではエドゥアール・シャルトンが創刊したパリの旅行雑誌「[[ル・トゥール・デュ・モンド]]」の58の旅行記事に1,193点のイラストを描いた。
ニュース雑誌では、アシル・ブーディリエが1857年に創刊した「[[ル・モンド・イリュストレ]]」に[[1857年]]7月18日から[[1886年]]まで寄稿し、[[ナポレオン・ジョゼフ・シャルル・ポール・ボナパルト|ナポレオン・ジェローム]]と[[マリーア・クロティルデ・ディ・サヴォイア|マリーア・クロティルデ・ディ・サヴォイア]]との婚礼記事が特筆された<ref>''Le Monde illustré'' du 2 décembre 1859</ref>。1858年5月23日から[[1895年]]まではミシェル・レヴィが創刊した「[[ユニヴェール・イリュストレ]]」で働き、[[1861年]]から[[1894年]]まではエドゥアール・シャルトンが創刊したパリの旅行雑誌「[[ル・トゥール・デュ・モンド]]」の58の旅行記事に1,193点のイラストを描いた。


書物の挿絵でも活躍し、彼の[[ギュスターヴ・ドレ]]のそれと近しい画風のイラストは[[ピエール=ジュール・エッツェル]]が出版する[[ジュール・ヴェルヌ]]の[[驚異の旅]]を飾った。[[気球に乗って五週間]](1863年)、[[地底旅行]](1867年)、[[グラント船長の子供たち]](1868年)、[[海底二万里]](1869年)、[[チャンセラー号の筏]](1875年)、など多数の作品がリウーの挿絵である。
書物の挿絵でも活躍し、彼の[[ギュスターヴ・ドレ]]のそれと近しい画風のイラストは[[ピエール=ジュール・エッツェル]]が出版する[[ジュール・ヴェルヌ]]の[[驚異の旅]]を飾った。[[気球に乗って五週間]](1863年)、[[地底旅行]](1867年)、[[グラント船長の子供たち]](1868年)、[[海底二万里]](1869年)、[[チャンセラー号の筏]](1875年)、など多数の作品がリウーの挿絵である。


ほかにも[[ウォルター・スコット]]の[[アイヴァンホー]](1880年)、[[アレクサンドル・デュマ]]の[[モンテ・クリスト伯]](1887年)、[[フランソワ=オーギュスト・ビアール]]やエルクマン=シャトリアン([[:en:Erckmann-Chatrian|Erckmann-Chatrian]])の作品群が挙げられる。リウーはまた[[カミーユ・フラマリオン]]の"{{lang|fr|Le Monde avant la création de l'homme}}"(人類創世以前の地球)や[[ルイ・フィギェ]]([[:en:Louis Figuier|Louis Figuier]])の"{{lang|fr|La Terre avant le déluge}}"(大洪水以前の大地)といった[[通俗科学]]書、アメリカの歴史家、[[:en:John Clark Ridpath|ジョン・クラーク・リドパス]]の「[[:en:Cyclopedia of Universal History|世界史の百科事典]]」などの挿絵も描いた<ref>Béguet (1994) : 32.</ref>。
ほかにも[[ウォルター・スコット]]の[[アイヴァンホー]](1880年)、[[アレクサンドル・デュマ]]の[[モンテ・クリスト伯]](1887年)、[[フランソワ=オーギュスト・ビアール]]やエルクマン=シャトリアン([[:en:Erckmann-Chatrian|Erckmann-Chatrian]])の作品群が挙げられる。リウーはまた[[カミーユ・フラマリオン]]の"{{lang|fr|Le Monde avant la création de l'homme}}"(人類創世以前の地球)や[[ルイ・フィギェ]]([[:en:Louis Figuier|Louis Figuier]])の"{{lang|fr|La Terre avant le déluge}}"(大洪水以前の大地)といった[[通俗科学]]書、アメリカの歴史家、[[:en:John Clark Ridpath|ジョン・クラーク・リドパス]]の「[[:en:Cyclopedia of Universal History|世界史の百科事典]]」などの挿絵も描いた<ref>Béguet (1994) : 32.</ref>。


彼は出版者たちからの推薦で[[レジオンドヌール勲章|レジオン・ドヌール勲章]]の騎士に任命された。彼は1900年1月27日に[[3区 (パリ)|パリ3区]]の[[:fr:Rue des Arquebusiers|アークェブジュ通り]]19番にある自宅で死去し<ref>[http://archives.paris.fr/arkotheque/visionneuse/visionneuse.php?arko=YTo2OntzOjQ6ImRhdGUiO3M6MTA6IjIwMjAtMDctMTkiO3M6MTA6InR5cGVfZm9uZHMiO3M6MTE6ImFya29fc2VyaWVsIjtzOjQ6InJlZjEiO2k6NDtzOjQ6InJlZjIiO2k6Mjc2NTk5O3M6MTY6InZpc2lvbm5ldXNlX2h0bWwiO2I6MTtzOjIxOiJ2aXNpb25uZXVzZV9odG1sX21vZGUiO3M6NDoicHJvZCI7fQ==#uielem_move=-3%2C14&uielem_rotate=F&uielem_islocked=0&uielem_zoom=150 Archives de Paris 3e, acte de décès {{numéro|141}}, année 1900 (vue 19/27)]</ref>、[[ペール・ラシェーズ墓地]]93区に埋葬された<ref>[http://archives.paris.fr/arkotheque/visionneuse/visionneuse.php?arko=YTo2OntzOjQ6ImRhdGUiO3M6MTA6IjIwMjAtMDctMTkiO3M6MTA6InR5cGVfZm9uZHMiO3M6MTE6ImFya29fc2VyaWVsIjtzOjQ6InJlZjEiO2k6MjU7czo0OiJyZWYyIjtpOjMwNTgyO3M6MTY6InZpc2lvbm5ldXNlX2h0bWwiO2I6MTtzOjIxOiJ2aXNpb25uZXVzZV9odG1sX21vZGUiO3M6NDoicHJvZCI7fQ==#uielem_move=-353%2C-1352&uielem_rotate=F&uielem_islocked=0&uielem_zoom=187 Registre journalier d'inhumation de Paris Père-Lachaise de 1900, en date du 7 mars (vue 12/31)] [http://archives.paris.fr/arkotheque/visionneuse/visionneuse.php?arko=YTo2OntzOjQ6ImRhdGUiO3M6MTA6IjIwMjAtMDctMTkiO3M6MTA6InR5cGVfZm9uZHMiO3M6MTE6ImFya29fc2VyaWVsIjtzOjQ6InJlZjEiO2k6MjU7czo0OiJyZWYyIjtpOjMwNTgxO3M6MTY6InZpc2lvbm5ldXNlX2h0bWwiO2I6MTtzOjIxOiJ2aXNpb25uZXVzZV9odG1sX21vZGUiO3M6NDoicHJvZCI7fQ==#uielem_move=-124%2C-91&uielem_rotate=F&uielem_islocked=0&uielem_zoom=147 (après son inhumation dans un caveau provisoire le 29 janvier 1900 dans le même cimetière (vue 13/31))]</ref>。
彼は出版者たちからの推薦で[[レジオンドヌール勲章|レジオン・ドヌール勲章]]の騎士に任命された。彼は1900年1月27日に[[3区 (パリ)|パリ3区]]の[[:fr:Rue des Arquebusiers|アークェブジュ通り]]19番にある自宅で死去し<ref>[http://archives.paris.fr/arkotheque/visionneuse/visionneuse.php?arko=YTo2OntzOjQ6ImRhdGUiO3M6MTA6IjIwMjAtMDctMTkiO3M6MTA6InR5cGVfZm9uZHMiO3M6MTE6ImFya29fc2VyaWVsIjtzOjQ6InJlZjEiO2k6NDtzOjQ6InJlZjIiO2k6Mjc2NTk5O3M6MTY6InZpc2lvbm5ldXNlX2h0bWwiO2I6MTtzOjIxOiJ2aXNpb25uZXVzZV9odG1sX21vZGUiO3M6NDoicHJvZCI7fQ==#uielem_move=-3%2C14&uielem_rotate=F&uielem_islocked=0&uielem_zoom=150 Archives de Paris 3e, acte de décès {{numéro|141}}, année 1900 (vue 19/27)]</ref>、[[ペール・ラシェーズ墓地]]93区に埋葬された<ref>[http://archives.paris.fr/arkotheque/visionneuse/visionneuse.php?arko=YTo2OntzOjQ6ImRhdGUiO3M6MTA6IjIwMjAtMDctMTkiO3M6MTA6InR5cGVfZm9uZHMiO3M6MTE6ImFya29fc2VyaWVsIjtzOjQ6InJlZjEiO2k6MjU7czo0OiJyZWYyIjtpOjMwNTgyO3M6MTY6InZpc2lvbm5ldXNlX2h0bWwiO2I6MTtzOjIxOiJ2aXNpb25uZXVzZV9odG1sX21vZGUiO3M6NDoicHJvZCI7fQ==#uielem_move=-353%2C-1352&uielem_rotate=F&uielem_islocked=0&uielem_zoom=187 Registre journalier d'inhumation de Paris Père-Lachaise de 1900, en date du 7 mars (vue 12/31)] [http://archives.paris.fr/arkotheque/visionneuse/visionneuse.php?arko=YTo2OntzOjQ6ImRhdGUiO3M6MTA6IjIwMjAtMDctMTkiO3M6MTA6InR5cGVfZm9uZHMiO3M6MTE6ImFya29fc2VyaWVsIjtzOjQ6InJlZjEiO2k6MjU7czo0OiJyZWYyIjtpOjMwNTgxO3M6MTY6InZpc2lvbm5ldXNlX2h0bWwiO2I6MTtzOjIxOiJ2aXNpb25uZXVzZV9odG1sX21vZGUiO3M6NDoicHJvZCI7fQ==#uielem_move=-124%2C-91&uielem_rotate=F&uielem_islocked=0&uielem_zoom=147 (après son inhumation dans un caveau provisoire le 29 janvier 1900 dans le même cimetière (vue 13/31))]</ref>。

2022年1月21日 (金) 09:45時点における版

エドゥアール・リウー
Édouard Riou
撮影者・年代不明
誕生日 (1833-12-02) 1833年12月2日
出生地 フランスの旗 サン=セルバン
死没年 1900年1月21日(1900-01-21)(66歳)
死没地 フランスの旗 パリ
国籍 フランスの旗 フランス
運動・動向 風景画 風刺画
芸術分野 絵画 版画 イラスト
代表作 「大洪水以前の大地」
地底旅行
海底二万里
受賞 レジオンドヌール勲章シュヴァリエ
後援者 P-J・エッツェル
影響を受けた
芸術家
シャルル=フランソワ・ドービニー
影響を与えた
芸術家
カレル・ゼマン
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エドゥアール・リウー (Édouard Riou1833年12月2日 - 1900年1月21日) 、は、フランス画家風刺画家版画家イラストレーター

経歴

スエズ運河の開通 1869年11月17日」(油彩)

エドゥアール・リウーはイル=エ=ヴィレーヌ県サン=セルヴァン(Saint-Servan)で1833年12月2日に生まれる。子供時代は港湾都市ル・アーヴルで過ごし、海辺の生活に親しんだ。

彼は市の画学校で学び、1854年12月15日には給付学生となった[1]。彼はシャルル=フランソワ・ドービニーに師事し、1859年にフォンテーヌブローの森と東洋趣味の絵画で画壇にデビューした。1865年1月には国民美術協会の会友となり、サロン・デ・アルテスト・フランセに「鷲の巣」と題する作品を出品した[2]

オッフェンバックの戯画

定期刊行物の仕事では、新聞「イリュストラシオン」や博物雑誌「ル・マガザン・ピトレスク」、「ラ・ビブリオテーク・デ・メルヴェイユ」に版画を寄稿したほか、1855年から1858年にかけて、シャルル・フィリポンが主宰する「ジュルナル・プール・リル」やナダールの「ジュルナル・アミュザン」などの雑誌で風刺画家として最も良く知られるようになった[3]

ニュース雑誌では、アシル・ブーディリエが1857年に創刊した「ル・モンド・イリュストレ」に1857年7月18日から1886年まで寄稿し、ナポレオン・ジェロームマリーア・クロティルデ・ディ・サヴォイアとの婚礼記事が特筆された[4]。1858年5月23日から1895年まではミシェル・レヴィが創刊した「ユニヴェール・イリュストレ」で働き、1861年から1894年まではエドゥアール・シャルトンが創刊したパリの旅行雑誌「ル・トゥール・デュ・モンド」の58の旅行記事に1,193点のイラストを描いた。

書物の挿絵でも活躍し、彼のギュスターヴ・ドレのそれと近しい画風のイラストはピエール=ジュール・エッツェルが出版するジュール・ヴェルヌの『驚異の旅』を飾った。「気球に乗って五週間」(1863年)、「地底旅行」(1867年)、「グラント船長の子供たち」(1868年)、「海底二万里」(1869年)、「チャンセラー号の筏」(1875年)、など多数の作品がリウーの挿絵である。

ほかにもウォルター・スコットの「アイヴァンホー」(1880年)、アレクサンドル・デュマの「モンテ・クリスト伯」(1887年)、フランソワ=オーギュスト・ビアールやエルクマン=シャトリアン(Erckmann-Chatrian)の作品群が挙げられる。リウーはまたカミーユ・フラマリオンの"Le Monde avant la création de l'homme"(人類創世以前の地球)やルイ・フィギェLouis Figuier)の"La Terre avant le déluge"(大洪水以前の大地)といった通俗科学書、アメリカの歴史家、ジョン・クラーク・リドパスの「世界史の百科事典」などの挿絵も描いた[5]

彼は出版者たちからの推薦でレジオン・ドヌール勲章の騎士に任命された。彼は1900年1月27日にパリ3区アークェブジュ通り19番にある自宅で死去し[6]ペール・ラシェーズ墓地93区に埋葬された[7]

チェコの映画監督、カレル・ゼマンは1858年にヴェルヌの「悪魔の発明」を映画化する際、リウーとベネットのオリジナルのイラストから着想を得た。

版画作品

脚注

  1. ^ Aline Lemonnier-Mercier, Édouard Riou..., réf cit. en bibliographie, p.|9
  2. ^ Ibid, p.|18
  3. ^ Aline Lemonnier-Mercier, Édouard Riou..., réf cit. en bibliographie, p.|11
  4. ^ Le Monde illustré du 2 décembre 1859
  5. ^ Béguet (1994) : 32.
  6. ^ Archives de Paris 3e, acte de décès no 141, année 1900 (vue 19/27)
  7. ^ Registre journalier d'inhumation de Paris Père-Lachaise de 1900, en date du 7 mars (vue 12/31) (après son inhumation dans un caveau provisoire le 29 janvier 1900 dans le même cimetière (vue 13/31))

参考資料

  • Bruno Béguet (1994). La vulgarisation scientifique au XIXe siècle, La Science pour tous. Exposition, Musée d'Orsay, Paris, date-|14 mars-date-|12 juin 1994, Bruno Béguet, Maryline Cantor et Ségolène Le Men (dir.), 52, Réunion des musées nationaux (Paris), collection Les Dossiers du Musée d'Orsay : 5-48.
  • Bénézit, Gründ, édition 1999.
  • Guy Gauthier, Édouard Riou, illustrateur, in Le Rocambole no 41, 2007, p.|11-133
  • Guy Gauthier, Édouard Riou, dessinateur : entre le Tour du monde et Jules Verne : 1860-1900, L'Harmattan, 2008.
  • Agnès Marcetteau-Paul (dir.), Jean Demerliac, François-Jean Goudeau, Xavier Kawa-Topor (aut.), « Images de Jules Verne », in Revue 303, no 134, date-|novembre 2014, ISBN 979-10-93572-04-8
  • Aline Lemonnier-Mercier, Edouard Riou : 1833-1900, premier illustrateur des Voyages extraordinaires , in Bulletin de la Société Jules Verne n°|195, date-|novembre 2017, p.|8-27
  • Dictionnaire Bénézit, Gründ, édition 1999.
  • Ressources de la Bibliothèque nationale de France
  • Jean-Loup Avril, 500 bretons à connaître, Bénézit, 1989
  • Notice documentaire IdRef

外部リンク