「ジョージ・ガブリエル・ストークス」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
− 3カテゴリ; ± 2カテゴリ (HotCat使用)
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
19行目: 19行目:
| footnotes = <!--備考-->
| footnotes = <!--備考-->
}}
}}
'''初代[[准男爵]]、[[サー]]・ジョージ・ガブリエル・ストークス'''({{lang|en|Sir George Gabriel Stokes, 1st Baronet}}, [[1819年]][[8月13日]] - [[1903年]][[2月1日]])は、[[アイルランド]]の[[数学者]][[物理学者]]である。牧師の家に生まれ、成長した彼は[[流体力学]]、[[光学]]、[[数学]]などの分野で重要な貢献をした。[[1851年]]に[[王立協会]]のフェローに選出され、[[1885年]]から[[1890年]]まで会長を務めた<ref>{{FRS |code = NA8283 |title = Stokes; Sir; George Gabriel (1819 - 1903) |accessdate = 2011-12-11 }}</ref>。[[1849年]]から死去する1903年まで、[[ルーカス教授職]]も務めている。
'''初代[[准男爵]]、[[サー]]・ジョージ・ガブリエル・ストークス'''({{lang|en|Sir George Gabriel Stokes, 1st Baronet}}, [[1819年]][[8月13日]] - [[1903年]][[2月1日]])は、[[アイルランド]]の[[数学者]][[物理学者]]。牧師の家に生まれ、成長した彼は[[流体力学]]、[[光学]]、[[数学]]などの分野で重要な貢献をした。[[1851年]]に[[王立協会]]のフェローに選出され、[[1885年]]から[[1890年]]まで会長を務めた<ref>{{FRS |code = NA8283 |title = Stokes; Sir; George Gabriel (1819 - 1903) |accessdate = 2011-12-11 }}</ref>。[[1849年]]から死去する1903年まで、[[ルーカス教授職]]も務めている。


==業績==
==業績==

2022年1月19日 (水) 10:43時点における版

ジョージ・ガブリエル・ストークス
生誕 (1819-08-13) 1819年8月13日
アイルランドの旗 アイルランド スクリーン (アイルランドの地名)英語版
死没 (1903-02-01) 1903年2月1日(83歳没)
イギリスの旗 グレートブリテン及びアイルランド連合王国 イングランドの旗 イングランド ケンブリッジ
国籍 アイルランドの旗 アイルランド
研究分野 数学
流体力学
光学
プロジェクト:人物伝
テンプレートを表示

初代准男爵サー・ジョージ・ガブリエル・ストークスSir George Gabriel Stokes, 1st Baronet, 1819年8月13日 - 1903年2月1日)は、アイルランド数学者物理学者。牧師の家に生まれ、成長した彼は流体力学光学数学などの分野で重要な貢献をした。1851年王立協会のフェローに選出され、1885年から1890年まで会長を務めた[1]1849年から死去する1903年まで、ルーカス教授職も務めている。

業績

ストークスの名前を冠した事柄にはつぎのようなものがある。

ストークス石Stokesiteというカルシウムを含むケイ酸塩鉱物は彼の名前に由来するものである。

受賞歴

脚注

  1. ^ "Stokes; Sir; George Gabriel (1819 - 1903)". Record (英語). The Royal Society. 2011年12月11日閲覧
  2. ^ この定理はウィリアム・トムソンが最初と言われており、次の事などからそれが判る。

関連項目