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'''改造社'''(かいぞうしゃ)は、[[日本]]の[[書店]]。[[大正]]期から[[昭和]]中期にかけては[[出版社]]であり、総合雑誌『[[改造 (雑誌)|改造]]』や[[円本]]文学全集『現代日本文学全集』を発行していた。
'''改造社'''(かいぞうしゃ)は、[[日本]]の[[書店]]。[[大正]]期から[[昭和]]中期にかけては[[出版社]]であり、総合雑誌『[[改造 (雑誌)|改造]]』や[[円本]]文学全集『現代日本文学全集』を発行していた。


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[[1926年]](大正15年)からは1冊1円の全集本『現代日本文学全集』(全63巻)の刊行を開始、昭和初年の出版界に「[[円本]]ブーム」を引き起こした。[[岩波書店]]の[[岩波文庫]](1927年創刊)に対抗し、[[1929年]]([[昭和]]4年)から[[文庫本]]「[[改造文庫]]」を発行した。『[[マルクス・エンゲルス全集]]』(最終的に全27巻(30冊(7-2、7-3、16-2があるため)、別巻1、補巻1)を刊行し、[[岩波書店]]などの五社連盟版と競合する事になったが、実際に刊行できたのは改造社版だけであった。[[1944年]](昭和19年)に[[軍部]]の圧力により解散させられた<ref>{{Cite web|url=http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/publication/yamamotosanehiko.html |title=「改造」の十五年 |author=[[山本実彦]] |website=[[日本ペンクラブ]] |accessdate= 2020-10-20 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20151120034922/http://japanpen.or.jp/e-bungeikan/publication/yamamotosanehiko.html | archivedate=2015-11-20 |deadlinkdate=2020-10-20}}</ref>。1944年7月10日、[[情報局]]は、[[中央公論新社|中央公論社]]と改造社に自発的廃業を指示し、両社は月末に解散した。
[[1926年]](大正15年)からは1冊1円の全集本『現代日本文学全集』(全63巻)の刊行を開始、昭和初年の出版界に「[[円本]]ブーム」を引き起こした。[[岩波書店]]の[[岩波文庫]](1927年創刊)に対抗し、[[1929年]]([[昭和]]4年)から[[文庫本]]「[[改造文庫]]」を発行した。『[[マルクス・エンゲルス全集]]』(最終的に全27巻(30冊(7-2、7-3、16-2があるため)、別巻1、補巻1)を刊行し、[[岩波書店]]などの五社連盟版と競合する事になったが、実際に刊行できたのは改造社版だけであった。[[1944年]](昭和19年)に[[軍部]]の圧力により解散させられた<ref>{{Cite web|url=http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/publication/yamamotosanehiko.html |title=「改造」の十五年 |author=[[山本実彦]] |website=[[日本ペンクラブ]] |accessdate= 2020-10-20 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20151120034922/http://japanpen.or.jp/e-bungeikan/publication/yamamotosanehiko.html | archivedate=2015-11-20 |deadlinkdate=2020-10-20}}</ref>。1944年7月10日、[[情報局]]は、[[中央公論新社|中央公論社]]と改造社に自発的廃業を指示し、両社は月末に解散した。


[[第二次世界大戦]]後に改造社は再建され、雑誌『改造』も復刊したが、「改造文庫」は復興しなかった。ただし、改造文庫として出版していた書目を中心にB6型の「改造選書」を刊行していた。創業者・経営者の山本実彦は政治家としても活動したが、1952年に死去。[[1955年]]、[[労働争議]]から雑誌『改造』を休刊することとなった。[[1955年]][[1月22日]]編集局全員を解雇すると、1月22日[[青野季吉]]・[[丹羽文雄]]らが「改造不執筆同盟」を結成し、2月18日「改造を守る会」に発展し、解決に努力したが、『改造』は2月号で廃刊された。[[山本七平]]によると、アメリカ式経営の導入を標榜する若社長がそれを強行し、社内を大混乱に陥らせたのが出版社として衰退した大きな理由のつだという。
[[第二次世界大戦]]後に改造社は再建され、雑誌『改造』も復刊したが、「改造文庫」は復興しなかった。ただし、改造文庫として出版していた書目を中心にB6型の「改造選書」を刊行していた。創業者・経営者の山本実彦は政治家としても活動したが、1952年に死去。[[1955年]]、[[労働争議]]から雑誌『改造』を休刊することとなった。[[1955年]][[1月22日]]編集局全員を解雇すると、1月22日[[青野季吉]]・[[丹羽文雄]]らが「改造不執筆同盟」を結成し、2月18日「改造を守る会」に発展し、解決に努力したが、『改造』は2月号で廃刊された。[[山本七平]]によると、アメリカ式経営の導入を標榜する若社長がそれを強行し、社内を大混乱に陥らせたのが出版社として衰退した大きな理由のひとつだという。


現在では改造社書店、改造図書出版販売株式会社として、銀座丁目の本社ビル1階をはじめ[[関東地方]]と[[中部地方]]の複数店舗で書籍の販売業などを営んでおり、書籍の編集、出版は行っていない。
現在では改造社書店、改造図書出版販売株式会社として、銀座5丁目の本社ビル1階をはじめ[[関東地方]]と[[中部地方]]の複数店舗で書籍の販売業などを営んでおり、書籍の編集、出版は行っていない。


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
*水島治男『改造社の時代〈戦前篇〉』 図書出版社(1976)
* 水島治男『改造社の時代〈戦前篇〉』図書出版社(1976
*水島治男『改造社の時代〈戦中篇〉』 図書出版社(1976)
* 水島治男『改造社の時代〈戦中篇〉』図書出版社(1976
*[[松原一枝]]『改造社と山本実彦』[[南方新社]] (2000)
* [[松原一枝]]『改造社と山本実彦』[[南方新社]](2000
*太田哲男『若き高杉一郎—改造社の時代』[[未來社]] (2008)
* 太田哲男『若き高杉一郎—改造社の時代』[[未來社]](2008
*[[山本実彦]]旧蔵・慶應義塾図書館所蔵『改造社出版関係資料』、慶應義塾図書館改造社資料刊行委員会、[[雄松堂出版]](2010年2月) {{NCID|BB01440575}}
* [[山本実彦]] 旧蔵・慶應義塾図書館所蔵『改造社出版関係資料』、慶應義塾図書館改造社資料刊行委員会、[[雄松堂出版]](2010年2月){{NCID|BB01440575}}
*小倉磐夫 国産カメラ開発物語 朝日新聞社 (2001年)
* 小倉磐夫国産カメラ開発物語』[[朝日新聞社]](2001年)


== 改造社書店店舗 ==
== 改造社書店店舗 ==
*[[東京都]] - [[千代田区]](3店舗)、[[新宿区]](3店舗)、[[豊島区]](1店舗)、[[港区 (東京都)|港区]](1店舗)、[[大田区]](羽田空港国際線旅客ターミナル)
* [[東京都]] - [[千代田区]](3店舗)、[[新宿区]](3店舗)、[[豊島区]](1店舗)、[[港区 (東京都)|港区]](1店舗)、[[大田区]](羽田空港国際線旅客ターミナル)
*[[千葉県]] - [[成田空港]](第2ターミナル)
* [[千葉県]] - [[成田空港]](第2ターミナル)
*[[山梨県]] - [[甲府駅]]([[セレオ甲府]])
* [[山梨県]] - [[甲府駅]]([[セレオ甲府]])
*[[長野県]] - [[長野駅]]([[ステーションビルMIDORI#MIDORI長野店|MIDORI長野店]])、[[松本駅]]([[ステーションビルMIDORI#MIDORI松本店|MIDORI松本店]])
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== 脚注 ==
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== 関連項目 ==
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*[[改造 (雑誌)|雑誌「改造]]
* 雑誌『[[改造 (雑誌)|改造]]
*[[柳宗悦]]
* [[柳宗悦]]
*[[火野葦平]]
* [[火野葦平]]
*[[俳句研究]]創刊当初の発行元だった)
* [[俳句研究]] - 創刊当初の発行元
*[[横浜事件]] - 『改造』廃刊のひきがねになった弾圧事件
* [[横浜事件]] - 『改造』廃刊のひきがねになった弾圧事件


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2021年11月11日 (木) 11:12時点における版

銀座改造社ビル(2007年)

改造社(かいぞうしゃ)は、日本書店大正期から昭和中期にかけては出版社であり、総合雑誌『改造』や円本文学全集『現代日本文学全集』を発行していた。

沿革

1919年大正8年)4月、山本実彦により創業。総合雑誌『改造』を創刊し、バートランド・ラッセルマーガレット・サンガーアルベルト・アインシュタインを相次いで日本に招いて話題を集めた。 当時京都一中の中学生だった湯川秀樹は、この時のアインシュタインの講演を聞いて物理学へ進んだ。

1926年(大正15年)からは1冊1円の全集本『現代日本文学全集』(全63巻)の刊行を開始、昭和初年の出版界に「円本ブーム」を引き起こした。岩波書店岩波文庫(1927年創刊)に対抗し、1929年昭和4年)から文庫本改造文庫」を発行した。『マルクス・エンゲルス全集』(最終的に全27巻(30冊(7-2、7-3、16-2があるため)、別巻1、補巻1)を刊行し、岩波書店などの五社連盟版と競合する事になったが、実際に刊行できたのは改造社版だけであった。1944年(昭和19年)に軍部の圧力により解散させられた[1]。1944年7月10日、情報局は、中央公論社と改造社に自発的廃業を指示し、両社は月末に解散した。

第二次世界大戦後に改造社は再建され、雑誌『改造』も復刊したが、「改造文庫」は復興しなかった。ただし、改造文庫として出版していた書目を中心にB6型の「改造選書」を刊行していた。創業者・経営者の山本実彦は政治家としても活動したが、1952年に死去。1955年労働争議から雑誌『改造』を休刊することとなった。1955年1月22日編集局全員を解雇すると、1月22日青野季吉丹羽文雄らが「改造不執筆同盟」を結成し、2月18日「改造を守る会」に発展し、解決に努力したが、『改造』は2月号で廃刊された。山本七平によると、「アメリカ式経営」の導入を標榜する若社長がそれを強行し、社内を大混乱に陥らせたのが出版社として衰退した大きな理由のひとつだという。

現在では改造社書店、改造図書出版販売株式会社として、銀座5丁目の本社ビル1階をはじめ関東地方中部地方の複数店舗で書籍の販売業などを営んでおり、書籍の編集、出版は行っていない。

参考文献

  • 水島治男『改造社の時代〈戦前篇〉』図書出版社(1976年)
  • 水島治男『改造社の時代〈戦中篇〉』図書出版社(1976年)
  • 松原一枝『改造社と山本実彦』南方新社(2000年)
  • 太田哲男『若き高杉一郎—改造社の時代』未來社(2008年)
  • 山本実彦 旧蔵・慶應義塾図書館所蔵『改造社出版関係資料』、慶應義塾図書館改造社資料刊行委員会、雄松堂出版(2010年2月)NCID BB01440575
  • 小倉磐夫『国産カメラ開発物語』朝日新聞社(2001年)

改造社書店店舗

脚注

出典

  1. ^ 山本実彦. “「改造」の十五年”. 日本ペンクラブ. 2015年11月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年10月20日閲覧。

関連項目