「贔屓」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
RJANKA (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
6行目: 6行目:
中国の伝説によると、贔屓は[[龍]]が生んだ9頭の神獣・[[竜生九子]]<!--(りゅうせいきゅうし)-->のひとつで、その姿は[[カメ|亀]]に似ている。重きを負うことを好むといわれ、そのため古来[[柱|石柱]]や[[石碑]]の土台の装飾に用いられることが多かった。日本の[[諺]]「贔屓の引き倒し」とは、「ある者を贔屓しすぎると、かえってその者を不利にする、その者のためにはならない」という意味の[[諺]]だが、その由来は、柱の土台である贔屓を引っぱると柱が倒れるからに他ならない。
中国の伝説によると、贔屓は[[龍]]が生んだ9頭の神獣・[[竜生九子]]<!--(りゅうせいきゅうし)-->のひとつで、その姿は[[カメ|亀]]に似ている。重きを負うことを好むといわれ、そのため古来[[柱|石柱]]や[[石碑]]の土台の装飾に用いられることが多かった。日本の[[諺]]「贔屓の引き倒し」とは、「ある者を贔屓しすぎると、かえってその者を不利にする、その者のためにはならない」という意味の[[諺]]だが、その由来は、柱の土台である贔屓を引っぱると柱が倒れるからに他ならない。


「贔屓」を古くは「贔屭」と書いた。「贔」は「貝」が三つで、これは財貨が多くあることを表したもの。「屭」はその「贔」を「[[尸部|尸]]」の下に置いたもので、財貨を多く抱えることを表したものである。「この財貨を多く抱える」が、「大きな荷物を背負う」を経て、「盛んに力を使う」「鼻息を荒くして働く」などの意味をもつようになった。また「ひき」の音は、中国語で力んだ時のさまを表す[[擬音語]]に由来する。
「贔屓」を古くは「贔屭」と書いた。「贔」は「貝」が三つで、これは財貨が多くあることを表したもの。「屭」はその「贔」を「[[尸部|尸]]」の下に置いたもので、財貨を多く抱えることを表したものである。「この財貨を多く抱える」が、「大きな荷物を背負う」を経て、「盛んに力を使う」「鼻息を荒くして働く」などの意味をもつようになった<ref>{{Cite book|和書|author1=鎌田正|author2=米山寅太郎||origdate=1994-4-1|date=1999-4-1|edition=六版|title=新版 漢語林|publisher=大修館書店|page=1049|isbn=4469031070}}</ref>。また「ひき」の音は、中国語で力んだ時のさまを表す[[擬音語]]に由来する。


[[明]]代の[[李東陽]](1447–1516)が著した『[[懐麓堂集]]』や、[[楊慎]](1488–1559)が著した『[[升庵外集]]』にその名が見られる。
[[明]]代の[[李東陽]](1447–1516)が著した『[[懐麓堂集]]』や、[[楊慎]](1488–1559)が著した『[[升庵外集]]』にその名が見られる。
19行目: 19行目:
</gallery>
</gallery>
<!--* [[台湾]]の[[台北市]][[大同区 (台北市)|大同区]]の[[大龍峒保安宮]]では、贔屓が石柱の土台の装飾として使われている。-->
<!--* [[台湾]]の[[台北市]][[大同区 (台北市)|大同区]]の[[大龍峒保安宮]]では、贔屓が石柱の土台の装飾として使われている。-->

==出典 ==
<references />


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==

2017年8月27日 (日) 19:01時点における版

北京市香山公園に残る贔屓が背負う石柱。

贔屓(ひいき・びし、拼音:Bìxì、正字体:贔屭)は、中国における伝説上の生物。石碑の台になっているのは亀趺(きふ)と言う。

概要

中国の伝説によると、贔屓はが生んだ9頭の神獣・竜生九子のひとつで、その姿はに似ている。重きを負うことを好むといわれ、そのため古来石柱石碑の土台の装飾に用いられることが多かった。日本の「贔屓の引き倒し」とは、「ある者を贔屓しすぎると、かえってその者を不利にする、その者のためにはならない」という意味のだが、その由来は、柱の土台である贔屓を引っぱると柱が倒れるからに他ならない。

「贔屓」を古くは「贔屭」と書いた。「贔」は「貝」が三つで、これは財貨が多くあることを表したもの。「屭」はその「贔」を「」の下に置いたもので、財貨を多く抱えることを表したものである。「この財貨を多く抱える」が、「大きな荷物を背負う」を経て、「盛んに力を使う」「鼻息を荒くして働く」などの意味をもつようになった[1]。また「ひき」の音は、中国語で力んだ時のさまを表す擬音語に由来する。

代の李東陽(1447–1516)が著した『懐麓堂集』や、楊慎(1488–1559)が著した『升庵外集』にその名が見られる。

類例

出典

  1. ^ 鎌田正、米山寅太郎『新版 漢語林』(六版)大修館書店、1999年4月1日(原著1994-4-1)、1049頁。ISBN 4469031070 

参考文献

関連項目