「アメリコ・ガジェゴ」の版間の差分
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2016年7月27日 (水) 04:16時点における版
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名前 | ||||||
本名 | アメリコ・ルベン・ガジェゴ | |||||
愛称 | El Tolo | |||||
ラテン文字 | Américo Rubén Gallego | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | アルゼンチン | |||||
生年月日 | 1955年4月25日(69歳) | |||||
出身地 | コルドバ州 | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
1974-1980 1981-1988 |
ニューウェルズ・オールドボーイズ CAリーベル・プレート |
262 (25) 180 (10) | ||||
代表歴 | ||||||
1975-1982 | アルゼンチン | 73 (3) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
アメリコ・ルベン・ガジェゴ(Américo Rubén Gallego、1955年4月25日 - )はアルゼンチン、コルドバ州モルテロス出身のサッカー選手。ポジションはMF。
経歴
現役時代
1974年にニューウェルズ・オールドボーイズでキャリアをスタートさせる。レギュラーとしてプレーするのにそう時間はかからず、1975年にトゥーロンで行われたユースのトーナメントにアルゼンチン代表の一員として優勝を果たした。また、1978年の自国開催のFIFAワールドカップでは全ての試合に先発出場し、アルゼンチン初のW杯優勝に貢献した。その3年後、CAリーベル・プレートへ移籍。
リーベル・プレートでは、中盤でカルテットを組んでいたアルファロ、エンリケ、モレジらが攻撃に専念できるよう豊富な運動量で奔走し、チームを支えた[1]。また、キャプテンとしてコパ・リベルタドーレス、インターコンチネンタルカップ、コパ・インテルアメリカーナなどクラブ史上初のタイトルを獲得した。
1988年に現役を引退。ガジェゴはプリメーラ・ディビシオンで計440試合に出場した。
引退後
引退後は指導者の道を歩んだ。1994年にキャリアを終えたクラブであるリーベル・プレートにヘッドコーチとして戻り、前期リーグで優勝。その翌年、ダニエル・パサレラの下アルゼンチン代表のアシスタントコーチに就任。2000年にリーベル・プレートへ戻ると、後期リーグを勝ち取った。2002年にCAインデペンディエンテ、2004年にはニューウェルズ・オールドボーイズをそれぞれ率いて前期リーグで優勝した。
ニューウェルズ・オールドボーイズ退任後、いくつものクラブからオファーを受け、メキシコのクラブであるCDトルーカの監督に就任。2005年の前期リーグでクラブを優勝に導き、メキシコでのベストコーチと称された。2007年、家族との時間を優先するためトルーカの監督を辞任。その後もUANLティグレス、CAインデペンディエンテ、CSDコロコロなどで指揮を執った。
獲得タイトル
- トゥーロンユーストーナメント 1975
- FIFAワールドカップ 1978
- アルゼンチンリーグ 1985-86
- コパ・リベルタドーレス 1986
- インターコンチネンタルカップ 1986
- コパ・インテルアメリカーナ 1986
脚注
- ^ 「GREATEST TEAM」ワールドサッカーマガジン、ベースボール・マガジン社、2007年1月18日号
外部リンク
- アメリコ・ガジェゴ - National-Football-Teams.com
- (スペイン語) Managerial statistics in Argentina