「都家歌六」の版間の差分

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*代数未詳 - 上記の当一人物かどうか不明、[[七昇亭花山文]](代数不明)の弟子で小亀から菜の花家双蝶で上方で修行、3代目都々逸坊扇歌門下で歌六になった。[[1902年]][[8月8日]]に横浜新富亭に出演中68歳で亡くなったという歌六が同一人物だという説もある。
*代数未詳 - 上記の当一人物かどうか不明、[[七昇亭花山文]](代数不明)の弟子で小亀から菜の花家双蝶で上方で修行、3代目都々逸坊扇歌門下で歌六になった。[[1902年]][[8月8日]]に横浜新富亭に出演中68歳で亡くなったという歌六が同一人物だという説もある。
*3代目都家歌六 - 後の[[雷門助六#6代目|6代目雷門助六]]。本名は青木鏡太郎。
*3代目都家歌六 - 後の[[雷門助六#6代目|6代目雷門助六]]。本名は青木鏡太郎。
*4代目都家歌六 - ([[1871年]][[3月6日]] - [[1926年]][[8月8日]])本名は井本亀之助。最初は[[1892年]]2月、[[柳亭左楽#4代目|4代目柳亭左楽]]の門下で柳家栄太郎(栄五郎とも)、[[1896年]]2月、左若を経て[[明治]]30年代後半に[[春風亭柳枝 (4代目)|4代目春風亭柳枝]]の門下で[[柳亭風枝|春風亭楓枝]]となり、更に[[1917年]]に[[柳亭左楽#5代目|5代目柳亭左楽]]の門下で歌六になった。晩年は『ここに刈り取る眞紫垣』と歌いながら踊る、改良剣舞で名を売った。楓枝時代の[[SPレコード]]、[[音曲]]を多く吹き込んでいる。享年55。
*4代目都家歌六 - ([[1871年]][[3月6日]] - [[1926年]][[8月8日]])本名は井本亀之助。最初は[[1892年]]2月、[[柳亭左楽#4代目|4代目柳亭左楽]]の門下で柳家栄太郎(栄五郎とも)、[[1896年]]2月、左若を経て[[明治]]30年代後半に[[春風亭柳枝 (4代目)|4代目春風亭柳枝]]の門下で[[柳亭風枝|春風亭楓枝]]となり、更に[[1917年]]ころに[[柳亭左楽#5代目|5代目柳亭左楽]]の門下で歌六になった。晩年は『ここに刈り取る眞紫垣』などと歌いながら踊る、改良剣舞で名を売った。楓枝時代の[[SPレコード]]、[[音曲]]を多く吹き込んでいる。享年55。
*5代目都家歌六 - 後の[[翁家さん馬#8代目|8代目翁家さん馬]]。本名は菅谷徳之助。
*5代目都家歌六 - 後の[[翁家さん馬#8代目|8代目翁家さん馬]]。本名は菅谷徳之助。
*6代目都家歌六 - 後の[[三遊亭圓遊#4代目|4代目三遊亭圓遊]]。本名は加藤遊。
*6代目都家歌六 - 後の[[三遊亭圓遊#4代目|4代目三遊亭圓遊]]。本名は加藤遊。
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| 配偶者 =
| 配偶者 =
| 家族 =
| 家族 =
| 所属 = 落語芸術協会(1951年 - 2015年)<br />フリー(2015年 -
| 所属 = 日本芸術協会→落語芸術協会(1951年 - 2015年)
| 公式サイト =
| 公式サイト =
| 主な作品 =
| 主な作品 =

2016年4月7日 (木) 20:20時点における版

都家 歌六(みやこや うたろく)は、落語家名跡。当代は8代目。


8代目 都家 歌六みやこや うたろく
本名 真野 良夫
生年月日 (1930-07-25) 1930年7月25日(93歳)
出身地 日本の旗 日本愛知県名古屋市
師匠 3代目桂三木助
4代目三遊亭圓遊
名跡 1. 桂三多吉(1951年 - 1954年)
2. 桂木多蔵(1954年 - 1956年)
3. 三遊亭万遊(1956年 - 1969年)
4. 8代目都家歌六(1969年 - )
出囃子 自転車節
活動期間 1951年 -
活動内容 のこぎり漫談
所属 日本芸術協会→落語芸術協会(1951年 - 2015年)

8代目都家 歌六(みやこや うたろく、1930年7月25日 - )は、愛知県名古屋市出身の落語家であり、ミュージックソー演奏家。本名は真野良夫。日本のこぎり音楽協会会長を務める。出囃子は『自転車節』。

人物

ミュージックソー演奏における日本の第一人者である。

レコード収集

SPを中心とする落語・演芸関係の古いレコード収集では日本一である。

長年の成果は著書『落語レコード八十年史』にまとめられている。類書は存在しない。この分野の第一人者である。

NHKラジオ深夜便にて毎月第4土曜深夜(日曜日)の午前1時台に「都家歌六の芸能博物館」として出演し解説をつとめ、自らのコレクションを披露する。

略歴

  • 1951年3月 - 3代目桂三木助に入門。前座名は桂三多吉。
  • 1954年10月 - 二つ目に昇進し、桂木多蔵に改名。
  • 1956年5月 - 4代目三遊亭圓遊の門に移り、三遊亭万遊と改名。
  • 1963年 - たまたま見ていたテレビに登場した日本におけるのこぎり音楽のパイオニア、高島巌(児童福祉施設園長)ののこぎり演奏に感銘を受け、師事。寄席において落語の後での余興としてのこぎり演奏を始める。
  • 1969年11月 - 真打昇進、8代目都家歌六を襲名。
  • 1982年6月 - "のこぎり漫談"を寄席の芸として確立、余興から本業となる。
  • 2015年9月 - "落語芸術協会"を退会。

著書

  • 激写!ポルノ寄席
  • 落語レコード八十年史(全2巻)国書刊行会, 1987.11
  • ご存じ古今東西噺家紳士録 ISBN 490144140X エーピーピーカンパニー, 2005.2
  • 〈SP盤復刻〉芸能全集 明治・大正寄席編 コロムビアミュージックエンタテインメント 2008.8※解説
  • 〈SP盤復刻〉芸能全集 明治・大正・昭和寄席編 コロムビアミュージックエンタテインメント 2008.8※解説
  • 〈SP盤復刻〉芸能全集 漫才編 コロムビアミュージックエンタテインメント 2008.8※解説

関連項目

外部リンク

参考文献