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'''趙麟徹'''(チョ・インチョル、{{Lang-ko-short|조 인철}}、{{Lang-en-short|Cho In-Chul}}、[[1976年]][[3月4日]] - )は[[大韓民国|韓国]]出身の[[柔道]]選手。階級は81kg級。身長180cm<ref>[http://www.sports-reference.com/olympics/athletes/jo/jo-in-cheol-1.html Jo In-Cheol Biography and Olympic Results]</ref>。
'''趙麟徹'''(チョ・インチョル、{{Lang-ko-short|조 인철}}、{{Lang-en-short|Cho In-Chul}}、[[1976年]][[3月4日]] - )は[[大韓民国|韓国]]出身の[[柔道]]選手。階級は81kg級。身長180cm<ref name="Biography">[http://www.sports-reference.com/olympics/athletes/jo/jo-in-cheol-1.html Jo In-Cheol Biography and Olympic Results]</ref><ref name="alljudo">[http://www.alljudo.net/judoka-83-cho-in-chul.html listes des judokas]</ref>。


==人物==
==人物==
1995年[[ユニバーシアード柔道競技|ユニバーシアード]]決勝ではポイントの取り合いの末に[[窪田和則]]に[[裏投]]で敗れたが、その際に礼をせず、相手との握手も拒否してそそくさと畳から立ち去った。1996年の[[アトランタオリンピック]]では[[ユン・ドンシク|尹東植]]を押しのけて代表となるが、準決勝で[[古賀稔彦]]に警告と[[巴投]]で有効を取られて敗れた。この試合では寝技の攻防の際に古賀の手に噛み付いたという<ref>「独占ロングインタビュー 古賀稔彦」[[近代柔道]] [[ベースボールマガジン社]]、1996年11月号、3項-9項</ref>。この時もまともに礼をせず、さらに相手と握手もせずに畳から立ち去る態度を取った。1997年の[[1997年世界柔道選手権大会|世界選手権]]では決勝でフランスの[[ジャメル・ブーラ]]を技有りで破って優勝した。1999年の[[1999年世界柔道選手権大会|世界選手権]]では3位に終わった。2000年の[[シドニーオリンピック]]では決勝で[[瀧本誠]]に[[袖釣込腰]]で有効を取られて敗れたが、この際にはきちんと礼をして相手との握手に応じた。また、表彰式では優勝した瀧本に対して拍手も送った。2001年の[[2001年世界柔道選手権大会|世界選手権]]では、決勝でエストニアの[[アレクセイ・ブドリン]]を[[掬投]]で破って2度目の優勝を果たした。
1995年に福岡で開催された[[ユニバーシアード柔道競技|ユニバーシアード]]決勝ではポイントの取り合いの末に[[窪田和則]]に[[裏投]]で敗れたが、その際に礼をせず、相手との握手も拒否してそそくさと畳から立ち去った<ref>「1995年ユニバーシード福岡大会柔道競技」[[近代柔道]] [[ベースボールマガジン社]]、1995年10月号、6項</ref>。1996年の[[アトランタオリンピック]]では[[ユン・ドンシク|尹東植]]を押しのけて代表となるが、準決勝で[[古賀稔彦]]に警告と[[巴投]]で有効を取られて敗れた<ref name="Biography"/>。この試合では寝技の攻防の際に古賀の手に噛み付いたという<ref>「独占ロングインタビュー 古賀稔彦」[[近代柔道]] [[ベースボールマガジン社]]、1996年11月号、6項</ref>。この時もまともに礼をせず、さらに相手と握手もせずに畳から立ち去る態度を取った<ref>「第26回オリンピックアトランタ大会柔道競技」[[近代柔道]] [[ベースボールマガジン社]]、1996年9月号、9項</ref>。1997年の[[1997年世界柔道選手権大会|世界選手権]]では決勝でフランスの[[ジャメル・ブーラ]]を技有りで破って優勝した<ref name="alljudo"/>。1999年の[[1999年世界柔道選手権大会|世界選手権]]では3位に終わった<ref name="alljudo"/>。2000年の[[シドニーオリンピック]]では決勝で[[瀧本誠]]に[[袖釣込腰]]で有効を取られて敗れたが、この際にはきちんと礼をして相手との握手に応じた。また、表彰式では優勝した瀧本に対して拍手も送った<ref>「独占ロングインタビュー 古賀稔彦」[[近代柔道]] [[ベースボールマガジン社]]、2000年11月号、27項</ref>。2001年の[[2001年世界柔道選手権大会|世界選手権]]では、決勝でエストニアの[[アレクセイ・ブドリン]]を[[掬投]]で破って2度目の優勝を果たした<ref name="alljudo"/>


引退後は[[心理学|スポーツ心理学]]で博士号を取得して、現在は[[龍仁大学校]]の教授を務めている。
引退後は[[心理学|スポーツ心理学]]で博士号を取得して、現在は[[龍仁大学校]]の教授を務めている<ref name="wowkorea">[http://www.wowkorea.jp/news/korea/2016/0325/10163235.html ”不正疑惑”の韓国男子柔道チョ・インチョル監督、「嫌疑なし」で復帰へ]</ref>


==不正行為の容疑を受けて==
==不正行為の容疑を受けて==
2015年には韓国の警察庁知能犯罪捜査隊が、[[大韓民国全国体育大会|全国体育大会]]への不正な選手派遣や[[横領罪|公金横領]]、[[八百長]]などの数々の不正行為を働いた疑いで、韓国柔道界の関係者40名ほどを在宅で立件することになった。その中でも特に悪質なケースとして、[[龍仁大学校]]の教授を務める趙の名が挙がっている。それによれば趙は、柔道競技指導学科長であった2012年に選手の[[奨学金]]や大学の資金など8000万[[ウォン]](約890万円)を横領して、その分を[[投資|株式投資]]や遊興費に充てていたという。それに対して趙は、横領したとされる資金は、「山参」と呼ばれる貴重な[[オタネニンジン]]を選手に支給するための購入資金として充てたと弁明した。しかしこの件に関しては、虚偽の領収証を知り合いの助けで作成していたことがすでに明らかになっている。さらには、横領の事実を隠蔽するために韓国代表選手4名に虚偽の陳述をさせた容疑も浮上している。横領容疑で捜査対象となったことで、就任していた韓国代表チームの監督を辞任することになった<ref>[http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/06/25/2015062500993.html 強化費横領から八百長まで、不正まみれの韓国柔道界] [[朝鮮日報]] 2015年6月25日</ref><ref>[http://news.searchina.net/id/1579151?page=1 韓国柔道界に浮上した「八百長疑惑」=韓国メディア界] [[サーチナ]] 2015年6月26日</ref>。
2015年には韓国の警察庁知能犯罪捜査隊が、[[大韓民国全国体育大会|全国体育大会]]への不正な選手派遣や[[横領罪|公金横領]]、[[八百長]]などの数々の不正行為を働いた疑いで、韓国柔道界の関係者40名ほどを在宅で立件することになった。その中でも特に悪質なケースとして、[[龍仁大学校]]の教授を務める趙の名が挙がっている。それによれば趙は、柔道競技指導学科長であった2012年に選手の[[奨学金]]や大学の資金など8000万[[ウォン]](約890万円)を横領して、その分を[[投資|株式投資]]や遊興費に充てていたという。それに対して趙は、横領したとされる資金は、「山参」と呼ばれる貴重な[[オタネニンジン]]を選手に支給するための購入資金として充てたと弁明した。しかしこの件に関しては、虚偽の領収証を知り合いの助けで作成していたことがすでに明らかになっている。さらには、横領の事実を隠蔽するために韓国代表選手4名に虚偽の陳述をさせた容疑も浮上している。横領容疑で捜査対象となったことで、就任していた韓国代表チームの監督を辞任することになった<ref>[http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/06/25/2015062500993.html 強化費横領から八百長まで、不正まみれの韓国柔道界] [[朝鮮日報]] 2015年6月25日</ref><ref>[http://news.searchina.net/id/1579151?page=1 韓国柔道界に浮上した「八百長疑惑」=韓国メディア界] [[サーチナ]] 2015年6月26日</ref>。一方で、大韓柔道会の会長を務めていたナム・ジュンヒョンは2015年6月に会長を辞任した。ナムは2014年9月に[[仁川]]で開催された[[2014年アジア競技大会|アジア大会]]において、入館証を持たない知人3名を柔道会場に入れようとして警備関係者と揉み合いになった際に、「ここでは俺が王だ。柔道会の会長は試合を中断させることだってできる」と喚き出すと、駆けつけた警官らにもさらなる暴言を吐いて、侮辱容疑で告訴された。さらに、2015年6月には「全国実業柔道最強戦」後の夕食会で中高柔道連盟会長のAに対して『ひざまずけ』と強要するも、拒否されたことに立腹して、Aに暴行を加えたことで告訴されていた<ref>[http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/09/26/2014092600776.html 仁川ア大会:大韓柔道会長が暴言「ここでは俺が王だ」] [[朝鮮日報]] 2014年9月26日</ref><ref>[http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/06/22/2015062200649.html 73歳大韓柔道会長、傘下団体会長への暴行容疑で告訴] [[朝鮮日報]] 2015年6月22日</ref><ref>[http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/06/26/2015062600514.html 暴行容疑の大韓柔道会長が辞任] [[朝鮮日報]] 2015年6月26日</ref>。なお、趙は監督を辞任後も公金横領ではなく個人の後援金によるものだと潔白を主張し続けると、ソウル中央地検は2016年3月にこの件に関して不起訴処分とすることに決定した。これにより、監督への復帰が可能となった<ref name="wowkorea"/>。

一方で、大韓柔道会の会長を務めていたナム・ジュンヒョンは2015年6月に会長を辞任した。ナムは2014年9月に[[仁川]]で開催された[[2014年アジア競技大会|アジア大会]]において、入館証を持たない知人3名を柔道会場に入れようとして警備関係者と揉み合いになった際に、「ここでは俺が王だ。柔道会の会長は試合を中断させることだってできる」と喚き出すと、駆けつけた警官らにもさらなる暴言を吐いて、侮辱容疑で告訴された。さらに、2015年6月には「全国実業柔道最強戦」後の夕食会で中高柔道連盟会長のAに対して『ひざまずけ』と強要するも、拒否されたことに立腹して、Aに暴行を加えたことで告訴されていた<ref>[http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/09/26/2014092600776.html 仁川ア大会:大韓柔道会長が暴言「ここでは俺が王だ」] [[朝鮮日報]] 2014年9月26日</ref><ref>[http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/06/22/2015062200649.html 73歳大韓柔道会長、傘下団体会長への暴行容疑で告訴] [[朝鮮日報]] 2015年6月22日</ref><ref>[http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/06/26/2015062600514.html 暴行容疑の大韓柔道会長が辞任] [[朝鮮日報]] 2015年6月26日</ref>。


==主な戦績==
==主な戦績==
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*2001年 - [[2001年世界柔道選手権大会|世界選手権]] 優勝
*2001年 - [[2001年世界柔道選手権大会|世界選手権]] 優勝
*2001年 - グランプリ・モスクワ 3位
*2001年 - グランプリ・モスクワ 3位
(出典<ref name="alljudo"/>、[[JudoInside.com]])。


== 脚注 ==
== 脚注 ==

2016年3月26日 (土) 08:24時点における版

獲得メダル
大韓民国の旗 韓国
柔道
オリンピック
2000 シドニー 81kg級
1996 アトランタ 78kg級
世界柔道選手権
1997 パリ 78kg級
2001 ミュンヘン 81kg級
1999 バーミンガム 81kg級

趙麟徹(チョ・インチョル、: 조 인철: Cho In-Chul1976年3月4日 - )は韓国出身の柔道選手。階級は81kg級。身長180cm[1][2]

人物

1995年に福岡で開催されたユニバーシアード決勝ではポイントの取り合いの末に窪田和則裏投で敗れたが、その際に礼をせず、相手との握手も拒否してそそくさと畳から立ち去った[3]。1996年のアトランタオリンピックでは尹東植を押しのけて代表となるが、準決勝で古賀稔彦に警告と巴投で有効を取られて敗れた[1]。この試合では寝技の攻防の際に古賀の手に噛み付いたという[4]。この時もまともに礼をせず、さらに相手と握手もせずに畳から立ち去る態度を取った[5]。1997年の世界選手権では決勝でフランスのジャメル・ブーラを技有りで破って優勝した[2]。1999年の世界選手権では3位に終わった[2]。2000年のシドニーオリンピックでは決勝で瀧本誠袖釣込腰で有効を取られて敗れたが、この際にはきちんと礼をして相手との握手に応じた。また、表彰式では優勝した瀧本に対して拍手も送った[6]。2001年の世界選手権では、決勝でエストニアのアレクセイ・ブドリン掬投で破って2度目の優勝を果たした[2]

引退後はスポーツ心理学で博士号を取得して、現在は龍仁大学校の教授を務めている[7]

不正行為の容疑を受けて

2015年には韓国の警察庁知能犯罪捜査隊が、全国体育大会への不正な選手派遣や公金横領八百長などの数々の不正行為を働いた疑いで、韓国柔道界の関係者40名ほどを在宅で立件することになった。その中でも特に悪質なケースとして、龍仁大学校の教授を務める趙の名が挙がっている。それによれば趙は、柔道競技指導学科長であった2012年に選手の奨学金や大学の資金など8000万ウォン(約890万円)を横領して、その分を株式投資や遊興費に充てていたという。それに対して趙は、横領したとされる資金は、「山参」と呼ばれる貴重なオタネニンジンを選手に支給するための購入資金として充てたと弁明した。しかしこの件に関しては、虚偽の領収証を知り合いの助けで作成していたことがすでに明らかになっている。さらには、横領の事実を隠蔽するために韓国代表選手4名に虚偽の陳述をさせた容疑も浮上している。横領容疑で捜査対象となったことで、就任していた韓国代表チームの監督を辞任することになった[8][9]。一方で、大韓柔道会の会長を務めていたナム・ジュンヒョンは2015年6月に会長を辞任した。ナムは2014年9月に仁川で開催されたアジア大会において、入館証を持たない知人3名を柔道会場に入れようとして警備関係者と揉み合いになった際に、「ここでは俺が王だ。柔道会の会長は試合を中断させることだってできる」と喚き出すと、駆けつけた警官らにもさらなる暴言を吐いて、侮辱容疑で告訴された。さらに、2015年6月には「全国実業柔道最強戦」後の夕食会で中高柔道連盟会長のAに対して『ひざまずけ』と強要するも、拒否されたことに立腹して、Aに暴行を加えたことで告訴されていた[10][11][12]。なお、趙は監督を辞任後も公金横領ではなく個人の後援金によるものだと潔白を主張し続けると、ソウル中央地検は2016年3月にこの件に関して不起訴処分とすることに決定した。これにより、監督への復帰が可能となった[7]

主な戦績

(出典[2]JudoInside.com)。

脚注

外部リンク

  • 趙麟徹 - JudoInside.com のプロフィール(英語)