「1957年ドイツ連邦議会選挙」の版間の差分
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[[file:1957 federal german result.svg|300px|thumb|各党の議席比率。内側は前回議席で赤色がSPD、黄色がFDP、黒色がCDU/CSU |
[[file:1957 federal german result.svg|300px|thumb|各党の議席比率。内側は前回議席で赤色がSPD、黄色がFDP、黒色がCDU/CSU、灰色はDP。]] |
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*出典:[http://www.election.de/cgi-bin/tab.pl?datafile=btw57.txt Wahl zum 3. Deutschen Bundestag am 15. September 1957] |
*出典:[http://www.election.de/cgi-bin/tab.pl?datafile=btw57.txt Wahl zum 3. Deutschen Bundestag am 15. September 1957] |
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*超過議席は3議席 |
*超過議席は3議席 |
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CDU/CSUが得票 |
CDU/CSUが50.2%の得票を獲得、戦後のドイツ史上初めて、かつ唯一となる連邦議会の単独過半数を占めることができた<ref>「ドイツの政党システム」、[[岩崎正洋]]『政党システムの理論と実際』(おうふう)240頁</ref>。SPDも前回より支持を若干回復させ、31.8%の得票を得た。1953年選挙からCDU/CSUとCDUの二大政党集団へ支持が集中する傾向が強まった結果、本選挙においてCDU/CSUとSPD、FDPの三党派以外に議席を得る事ができた政党はDPのみであったが、DPの議席はCDUとの選挙協力で辛うじて得る事ができたものであった。この選挙で事実上、CDU/CSUとSPDの2大政党集団に中間政党であるFDPを加えた「3党体制」が完成し、次の1961年選挙以降、1983年の選挙で「緑の党」が5%阻止条項を突破して議席を獲得するまで「3党体制」が継続することとなった。 |
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== 出典 == |
== 出典 == |
2015年8月22日 (土) 02:14時点における版
1957年ドイツ連邦議会選挙(1957ねん ドイツれんぽうぎかい せんきょ)は、ドイツ連邦共和国(当時:西ドイツ)の下院に該当する連邦議会(Bundestag)の議員を選出するために1957年9月に行われた選挙である。
選挙データ
- 連邦首相:コンラート・アデナウアー(キリスト教民主同盟)
- 与党:キリスト教民主同盟(CDU)+キリスト教社会同盟(CSU)
- 連邦議会定数:494議席(ザールラントが復帰したことに伴い前回より10議席増)
- 選挙制度:比例代表制(小選挙区比例代表併用制、小選挙区247議席)
- 全体議席は、第2投票(州単位で作成される政党名簿への投票)に投ぜられた得票に従って議席配分されるが、少数政党の乱立を防止する観点から、①第2投票で有効投票総数の5%以上を獲得、②第1投票(選挙区候補者への投票、最多得票を得た候補が当選)で3議席を得た(前回までは1議席)。いずれかの要件を満たした政党にのみ議席配分される制度となっている。尚、選挙区議席が比例配分議席を上回った場合は、超過議席となる。
- 有権者数:35,403,417名
選挙結果
党派 | 候補者投票 | 政党投票 | 議席数 | ||||
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得票数 | 得票率 | 得票数 | 得票率 | 全体議席 | (選挙区) | ||
キリスト教 民主・社会同盟 (CDU/CSU) |
キリスト教民主同盟 (CDU) |
11,975,400 | 39.7 | 11,875,339 | 39.7 | 215 | 147 |
キリスト教社会同盟 (CSU) |
3,186,150 | 10.6 | 3,133,060 | 10.5 | 55 | 47 | |
ドイツ社会民主党 (SPD) |
9,651,669 | 32.0 | 9,495,571 | 31.8 | 169 | 46 | |
自由民主党 (FDP) |
2,276,234 | 7.5 | 2,307,135 | 7.7 | 41 | 1 | |
ドイツ党 (DP) |
1,062,293 | 3.5 | 1,007,282 | 3.4 | 17 | 6 | |
合計議席 | 497 | 247 |
CDU/CSUが50.2%の得票を獲得、戦後のドイツ史上初めて、かつ唯一となる連邦議会の単独過半数を占めることができた[1]。SPDも前回より支持を若干回復させ、31.8%の得票を得た。1953年選挙からCDU/CSUとCDUの二大政党集団へ支持が集中する傾向が強まった結果、本選挙においてCDU/CSUとSPD、FDPの三党派以外に議席を得る事ができた政党はDPのみであったが、DPの議席はCDUとの選挙協力で辛うじて得る事ができたものであった。この選挙で事実上、CDU/CSUとSPDの2大政党集団に中間政党であるFDPを加えた「3党体制」が完成し、次の1961年選挙以降、1983年の選挙で「緑の党」が5%阻止条項を突破して議席を獲得するまで「3党体制」が継続することとなった。
出典
- election.de
- 渡辺重範『ドイツ近代選挙制度史 制度史より見たドイツ近代憲法史の一断面』(成文堂)