「マイヨ・ロホ」の版間の差分

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'''マイヨ・ロホ''' ('''maillot rojo''') は、[[ロードレース (自転車競技)|自転車ロードレース]]・[[ブエルタ・ア・エスパーニャ]]において、個人総合成績1位の選手に与えられる赤色の[[リーダージャージ]]である。2009年以前は金色のジャージ'''マイヨ・オロ''' ('''maillot oro''') であった<ref>{{Cite web|url=http://www.cyclowired.jp/news/node/40678|title=2つのジャージデザインが変更 総合は赤色、山岳は水玉模様に|date=2010-08-27|accessdate=2015-03-25|publisher=cyclowired}}</ref>。各ステージの所要時間を加算し、その合計が最も少なかった選手がマイヨ・ロホ着用の権利を得る。最終ステージの終了時点でマイヨ・ロホ着用の権利をもっている選手がブエルタの総合優勝者となる。
'''マイヨ・ロホ''' ('''maillot rojo''') は、[[ロードレース (自転車競技)|自転車ロードレース]]・[[ブエルタ・ア・エスパーニャ]]において、個人総合成績1位の選手に与えられる赤色の[[リーダージャージ]]である。2009年以前は金色のジャージ'''マイヨ・オロ''' ('''maillot oro''') であった<ref>{{Cite web|url=http://www.cyclowired.jp/news/node/40678|title=2つのジャージデザインが変更 総合は赤色、山岳は水玉模様に|date=2010-08-27|accessdate=2015-03-25|publisher=cyclowired}}</ref>。各ステージの所要時間を加算し、その合計が最も少なかった選手がマイヨ・ロホ着用の権利を得る。最終ステージの終了時点でマイヨ・ロホ着用の権利をもっている選手がブエルタの総合優勝者となる。


日本ではこの呼び方が一般的ではあるが、[[スペイン語版ウィキペディア]]では'''[[:es:Jersey oro|Jersey oro]]'''(ヘルセイ・オロ)、'''[[:es:Jersey rojo|Jersey rojo]]'''(ヘルセイ・ロホ)とされている<ref group="注">マイヨ (maillot) はフランス語であるため、「マイヨ・ロホ」は仏西混合の呼び方である。</ref>。
日本ではこの呼び方が一般的ではあるが、[[スペイン語版ウィキペディア]]では'''[[:es:Jersey oro|Jersey oro]]'''(ヘルセイ・オロ)、'''Jersey rojo'''(ヘルセイ・ロホ)とされている<ref group="注">マイヨ (maillot) はフランス語であるため、「マイヨ・ロホ」は仏西混合の呼び方である。</ref>。


== 歴代の色 ==
== 歴代の色 ==

2015年3月25日 (水) 13:24時点における版

2010年のブエルタ・ア・エスパーニャにてマイヨ・ロホを着用したヴィンチェンツォ・ニバリ

マイヨ・ロホ (maillot rojo) は、自転車ロードレースブエルタ・ア・エスパーニャにおいて、個人総合成績1位の選手に与えられる赤色のリーダージャージである。2009年以前は金色のジャージマイヨ・オロ (maillot oro) であった[1]。各ステージの所要時間を加算し、その合計が最も少なかった選手がマイヨ・ロホ着用の権利を得る。最終ステージの終了時点でマイヨ・ロホ着用の権利をもっている選手がブエルタの総合優勝者となる。

日本ではこの呼び方が一般的ではあるが、スペイン語版ウィキペディアではJersey oro(ヘルセイ・オロ)、Jersey rojo(ヘルセイ・ロホ)とされている[注 1]

歴代の色

当初の色はヘルセイ・ナランハ (Jersey Naranja=オレンジ色) 、その後何度も色を変え、1955年-1976年と1978年-1998年の合計41年間ヘルセイ・アマリーニョ (Jersey Amarillo=黄色ジャージ) となったのが最長。

年度 リーダージャージ色
1935-1936 オレンジ
1941
1942 オレンジ
1945
1946-1950
1955-1976
1977 オレンジ
1978-1998
1999-2009
2010-

三つのグランツールのうち、唯一開催初年度の1935年から用意され、そのステージ1で初めて袖を通したのはes:Antoine Dignef、そして最後にこれを着て表彰台に登ったのはフスターフ・デロールである。

脚注

注釈

  1. ^ マイヨ (maillot) はフランス語であるため、「マイヨ・ロホ」は仏西混合の呼び方である。

出典

  1. ^ 2つのジャージデザインが変更 総合は赤色、山岳は水玉模様に”. cyclowired (2010年8月27日). 2015年3月25日閲覧。

関連項目