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{{by|2003年}}に[[クリーブランド・インディアンズ]]の監督に就任。在任中に、球界を代表するピッチャーになった[[CC・サバシア]]や[[クリフ・リー]]などを大きく成長させた。{{by|2009年}}途中にインディアンズの成績低迷にともない解雇された。
{{by|2003年}}に[[クリーブランド・インディアンズ]]の監督に就任。在任中に、球界を代表するピッチャーになった[[CC・サバシア]]や[[クリフ・リー]]などを大きく成長させた。{{by|2009年}}途中にインディアンズの成績低迷にともない解雇された。


{{by|2011年}}は[[シアトル・マリナーズ]]の監督に就任する事が決まり、{{by|2010年}}[[10月19日]]に監督就任会見をした。
{{by|2011年}}は[[シアトル・マリナーズ]]の監督に就任する事が決まり、{{by|2010年}}[[10月19日]]に監督就任会見をした。2011年のマリナーズは最下位に終わった。

{{by|2012年}}は前年に引き続きシアトル・マリナーズの監督を務め、[[イチロー]]の打順変更などの改革を実施したが失敗しチームも最下位に終わった。また、こうした結果から監督としての技量に疑問符が投げかけられている。

== 主な批判 ==
*2011年7月24日の[[ロサンゼルス・エンゼルス]]戦でカウントが3ボールにもかかわらず球審が[[ボビー・アブレイユ]]に四球を宣告、しかしウェッジは抗議をしなかった。試合後になって「アブレイユのカウントが、まだ3-1なのは'''知ってたよ'''(I knew it was only 3-1 to Abreu.)」と驚愕の発言を行った上で「私ならカウント3-1から投げたくないよな?私はアブレイユがエンゼルスの中でベストなバッターだと思う」と居直った<ref>http://seattle.mariners.mlb.com/mlb/gameday/index.jsp?gid=2011_07_10_seamlb_anamlb_1&mode=wrap&c_id=mlb</ref>。なお、7月2日の[[サンディエゴ・パドレス]]戦でも同様の事件が起きており、この時は「知らなかった」「数えてなかった」と発言している。
*2012年5月25日は、[[ダスティン・アクリー]]のボブルヘッドデーだった。しかし、ウェッジは当のアクリー自身をメンバーから外してしまいひんしゅくを買ってしまった<ref>http://gregjohns.mlblogs.com/2012/05/25/ackley-sitting-out-on-ackley-bobblehead-night/</ref>。しかもウェッジを取材した[[グレッグ・ジョーンズ]]記者は自身のtwitter上でウェッジが「こんな大事な日に、アクリーは自分が打てるかどうか気にしなくていいから、問題ないんじゃないか?(Well, he can revel in his own bobblehead without having to worry about playing then, how about that?)」と責任逃れの発言したことを明かしている。
*2012年、[[イチロー]]を3番に起用し、代わりにスランプに陥っていた[[ショーン・フィギンズ]]を再生させる目的で1番に置いた。しかし、フィギンズはスランプから脱出できず、更にウェッジはイチローの低迷していた得点圏打率を挙げて「彼は中軸を担うベテランだ。もっといい仕事をしなければいけない」と発言し<ref>http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/05/19/kiji/K20120519003279790.html</ref>、結果的にウェッジのイチロー批判がヤンキース移籍の遠因の一つとなってしまった。

== 脚注 ==
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== 外部リンク ==
== 外部リンク ==

2012年11月14日 (水) 02:36時点における版

エリック・ウェッジ
Eric Wedge
シアトル・マリナーズ 監督 #22
インディアンス監督時代(2008年4月18日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 インディアナ州フォートウェイン
生年月日 (1968-01-27) 1968年1月27日(56歳)
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
初出場 1991年10月5日
最終出場 1994年7月29日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴

監督歴

エリック・マイケル・ウェッジEric Michael Wedge1968年1月27日 - )は、元プロ野球選手捕手)。2011年よりMLBシアトル・マリナーズ監督

経歴

2003年クリーブランド・インディアンズの監督に就任。在任中に、球界を代表するピッチャーになったCC・サバシアクリフ・リーなどを大きく成長させた。2009年途中にインディアンズの成績低迷にともない解雇された。

2011年シアトル・マリナーズの監督に就任する事が決まり、2010年10月19日に監督就任会見をした。2011年のマリナーズは最下位に終わった。

2012年は前年に引き続きシアトル・マリナーズの監督を務め、イチローの打順変更などの改革を実施したが失敗しチームも最下位に終わった。また、こうした結果から監督としての技量に疑問符が投げかけられている。

主な批判

  • 2011年7月24日のロサンゼルス・エンゼルス戦でカウントが3ボールにもかかわらず球審がボビー・アブレイユに四球を宣告、しかしウェッジは抗議をしなかった。試合後になって「アブレイユのカウントが、まだ3-1なのは知ってたよ(I knew it was only 3-1 to Abreu.)」と驚愕の発言を行った上で「私ならカウント3-1から投げたくないよな?私はアブレイユがエンゼルスの中でベストなバッターだと思う」と居直った[1]。なお、7月2日のサンディエゴ・パドレス戦でも同様の事件が起きており、この時は「知らなかった」「数えてなかった」と発言している。
  • 2012年5月25日は、ダスティン・アクリーのボブルヘッドデーだった。しかし、ウェッジは当のアクリー自身をメンバーから外してしまいひんしゅくを買ってしまった[2]。しかもウェッジを取材したグレッグ・ジョーンズ記者は自身のtwitter上でウェッジが「こんな大事な日に、アクリーは自分が打てるかどうか気にしなくていいから、問題ないんじゃないか?(Well, he can revel in his own bobblehead without having to worry about playing then, how about that?)」と責任逃れの発言したことを明かしている。
  • 2012年、イチローを3番に起用し、代わりにスランプに陥っていたショーン・フィギンズを再生させる目的で1番に置いた。しかし、フィギンズはスランプから脱出できず、更にウェッジはイチローの低迷していた得点圏打率を挙げて「彼は中軸を担うベテランだ。もっといい仕事をしなければいけない」と発言し[3]、結果的にウェッジのイチロー批判がヤンキース移籍の遠因の一つとなってしまった。

脚注

  1. ^ http://seattle.mariners.mlb.com/mlb/gameday/index.jsp?gid=2011_07_10_seamlb_anamlb_1&mode=wrap&c_id=mlb
  2. ^ http://gregjohns.mlblogs.com/2012/05/25/ackley-sitting-out-on-ackley-bobblehead-night/
  3. ^ http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/05/19/kiji/K20120519003279790.html

外部リンク