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2012年10月3日 (水) 07:56時点における版
ピート・ロバーツ | |
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プロフィール | |
リングネーム |
ピート・ロバーツ ジュードー・ピート・ロバーツ |
ニックネーム | 英国の魔豹 |
身長 | 183cm |
体重 | 100kg(全盛時) |
誕生日 | 1946年??月??日 |
出身地 |
イギリス ウェスト・ミッドランズ州バーミンガム |
スポーツ歴 | 柔道 |
引退 | 1993年 |
ピート・ロバーツ(Pete Roberts、1946年[1] - )は、イギリスの元プロレスラー。ウェスト・ミッドランズ州バーミンガム出身[2]。生年は1943年ともされる[3]。
前身は柔道家であり、技巧派の職人レスラーとして日本マットでも実績を残した。
来歴
1943年生まれとするプロフィールでは、13歳でビリー・ライレー・ジムに入門し、1959年にプロレスラーとしてデビューしたとされている[3]。柔道の有段者であったことから、ジュードー・ピート・ロバーツ("Judo" Pete Roberts)をリングネームに活動。英国のジョイント・プロモーションズではマーク・ロコやトニー・セント・クレアーと対戦した[1]。旧西ドイツやオーストリアにも遠征し、各地のトーナメントに参戦。1978年11月にはオランダのロッテルダムにてローラン・ボックとも対戦している[1]。
日本には1974年1月、新日本プロレスに初来日。その後も新日本の常連外国人選手となり、1977年1月の来日では新日本マットに初登場したスタン・ハンセンと意気投合、以降ハンセンとは公私に渡り友人関係を築いた[4]。新日本では藤波辰巳や初代タイガーマスクと好勝負を展開、1980年8月には田園コロシアムにて木村健吾のNWAインターナショナル・ジュニアヘビー級王座に挑戦した。
1984年11月、シューティング路線を打ち出していた第1次UWFに登場。UWFには翌1985年5月にも来日し、藤原喜明らを相手にランカシャー・スタイルのレスリングを披露した。この間、英国では1984年12月にマーティン・ジョーンズから世界ミッドヘビー級王座を奪取している[5]。
1986年7月からは、親友スタン・ハンセンの仲介で全日本プロレスに参戦。渕正信の世界ジュニアヘビー級王座に3度挑戦し、2代目タイガーマスクやジャパンプロレスのヒロ斎藤とも好試合を行った。選手としての最後の来日は1993年7月の『サマー・アクション・シリーズ』。2001年1月には、東京ドームで行われたハンセンの引退セレモニーへの出席で久々の来日を果たした。
得意技
獲得タイトル
- 世界ミッドヘビー級王座
脚注
- ^ a b c “Wrestler Datenbank: Pete Roberts”. Cagematch.net. 2011年8月26日閲覧。
- ^ 『Gスピリッツ Vol.23』P72(2012年、辰巳出版、ISBN 4777810054)
- ^ a b 『新日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P32(2002年、日本スポーツ出版社)
- ^ スタン・ハンセン著『魂のラリアット』P160(2000年、双葉社、ISBN 4575291080)
- ^ 『THE WRESTLER BEST 1000』P240(1996年、日本スポーツ出版社)