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アジタ・ケーサカンバリンは[[地]]・[[水]]・[[火]]・[[風]]の四元素説を唱えた。これは4要素の離合集散で[[世界]]を説明し、[[霊魂]]の存在を完全に否定するものであり、[[ヴェーダ]]に示される正統[[バラモン教]]における[[アートマン]](ātman、我、真我)をも否定するものであった。当時、汎インド的に最も重要視された[[業]](karma、カルマ)の報いについても、霊魂の行くべき道を示した業のはたらきや[[善悪]]の[[行為]]の報いを完全に否定し、[[来世]]を認めず、[[道徳]]も[[宗教]]も不必要なものであると断じて[[無神論]]の立場に立ち、人間には生得的な目的が備わっていたり、守らなくてはならない規範があるという従来の伝統的な共同体[[倫理]]を否定した。
アジタ・ケーサカンバリンは[[地]]・[[水]]・[[火]]・[[風]]の四元素説を唱えた。これは4要素の離合集散で[[世界]]を説明し、[[霊魂]]の存在を完全に否定するものであり、[[ヴェーダ]]に示される正統[[バラモン教]]における[[アートマン]](ātman、我、真我)をも否定するものであった。当時、汎インド的に最も重要視された[[業]](karma、カルマ)の報いについても、霊魂の行くべき道を示した業のはたらきや[[善悪]]の[[行為]]の報いを完全に否定し、[[来世]]を認めず、[[道徳]]も[[宗教]]も不必要なものであると断じて[[無神論]]の立場に立ち、人間には生得的な目的が備わっていたり、守らなくてはならない規範があるという従来の伝統的な共同体[[倫理]]を否定した。


[[マウリヤ朝]]の[[チャンドラグプタ]]の側近にして冷徹な思想家でもあった[[カウティリヤ]]の著書と伝承される『実利論』第1巻第2章には、「哲学は、[[サーンキヤ]]と[[ヨーガ]]とローカーヤタとである」との一文がある。
[[マウリヤ朝]]の[[チャンドラグプタ (マウリヤ朝)|チャンドラグプタ]]の側近にして冷徹な思想家でもあった[[カウティリヤ]]の著書と伝承される『[[実利論]]』第1巻第2章には、「哲学は、[[サーンキヤ]]と[[ヨーガ]]とローカーヤタとである」との一文がある。


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
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== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
*[[ミルチア・エリアーデ]]著、[[島田裕巳]]訳 『世界宗教史3 ゴータマ・ブッダからキリスト教の興隆まで(上)』 筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉、2000.5、ISBN 4-480-08563-7
*[[ミルチア・エリアーデ]]著、[[島田裕巳]]訳 『世界宗教史3 ゴータマ・ブッダからキリスト教の興隆まで(上)』 [[筑摩書房]][[ちくま学芸文庫]]〉、20005、ISBN 4-480-08563-7
*[[辛島昇]]、[[前田専学]]、[[江島惠教]]ら監修 『南アジアを知る事典』 平凡社、1992.10、ISBN 4-582-12634-0
*[[辛島昇]]、[[前田専学]]、[[江島惠教]]ら監修 『南アジアを知る事典』 [[平凡社]]、199210、ISBN 4-582-12634-0


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2011年8月29日 (月) 13:59時点における版

順世派(じゅんせいは)またはローカーヤタサンスクリット語:Lokāyata)は、釈迦と同時代のインドの自由思想家アジタ・ケーサカンバリンが説いた唯物論および快楽至上主義の説を奉じる哲学上の学派。漢訳仏典では外道のひとつとして「順世外道」と訳している。後世にはチャールヴァーカ(Cārvāka)と称される。

思想

アジタ・ケーサカンバリンはの四元素説を唱えた。これは4要素の離合集散で世界を説明し、霊魂の存在を完全に否定するものであり、ヴェーダに示される正統バラモン教におけるアートマン(ātman、我、真我)をも否定するものであった。当時、汎インド的に最も重要視された(karma、カルマ)の報いについても、霊魂の行くべき道を示した業のはたらきや善悪行為の報いを完全に否定し、来世を認めず、道徳宗教も不必要なものであると断じて無神論の立場に立ち、人間には生得的な目的が備わっていたり、守らなくてはならない規範があるという従来の伝統的な共同体倫理を否定した。

マウリヤ朝チャンドラグプタの側近にして冷徹な思想家でもあったカウティリヤの著書と伝承される『実利論』第1巻第2章には、「哲学は、サーンキヤヨーガとローカーヤタとである」との一文がある。

関連項目

参考文献