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== 外部リンク ==
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* [http://www.kamit.jp/02_unesco/15_tajmahal/taj.htm ユネスコ世界遺産 「タージ・マハル廟」]
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== ギャラリー ==
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2011年7月16日 (土) 06:58時点における版

世界遺産 タージ・マハル
インド
タージ・マハル
タージ・マハル
英名 Taj Mahal
仏名 Le Taj Mahal
登録区分 文化遺産
登録基準 (1)
登録年 1983年
公式サイト 世界遺産センター(英語)
地図
タージ・マハルの位置
使用方法表示

タージ・マハル英語: Taj Mahal, ヒンディー語: ताज महल, ウルドゥー語: تاج محل‎)は、インド北部アーグラにある総大理石造の墓廟建築。1632年着工、1653年竣工。1983年ユネスコ世界遺産(文化遺産)に登録され、2007年新・世界七不思議に選出された。


概要

ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、ペルシャアラブ、果てはヨーロッパから2万人もの職人を集め、22年の歳月をかけて建造させたといわれているインド=イスラーム文化の代表的建築。

名前の由来はよくわかっていないが、王妃の名ムムターズ・マハルを縮めたものではないかという説が有力である。ムムターズ・マハルはペルシャ語で「宮殿の光」、「宮廷の選ばれし者」を意味する言葉であり、第4代皇帝ジャハーンギールから授けられた称号である。彼女の本名はアルジュマンド・バーヌー・ベーガムという。タージ・マハルを言葉どおりに訳せば「王冠宮殿」もしくは「宮殿の王冠」という意味になる。

構造

タージ・マハルの門
基壇への入口付近

タージ・マハルを造るための建材は、インド中から1,000頭以上もの象で運ばれてきたといわれ、大理石ラージャスターン地方産であるといわれている。その他、碧玉パンジャーブ地方から、翡翠は遠く中国から、トルコ石チベットから、ラピスラズリアフガニスタンから、サファイアスリランカから、カーネリアン(紅玉髄)はアラビアから持ち寄られたものだという。全体で28種類もの宝石・鉱石がはめ込まれていた。

およそ580m×300mの敷地全体は塀で囲まれており、主に5つの要素から構成されている。赤砂岩で縁取られた南門(ダルワーザー)、正方形で幾何学的に分割されたムガル式四分庭園(バギーチャー)、西側のモスク(マスジド)、東側の迎賓施設(ミフマーン・カーナー)、そして高さ42mの4本の尖塔(ミナレット)を従える墓廟(マウソレウム)である。

マウソレウムは幅、奥行きとも約60m、中央のドームの高さも約60m、東西南北どちらから見ても同じデザインである。ミナレットとともに、100m角、高さ7mの基壇の上に載せられ、シャー・ジャハーン帝とムムターズ・マハルの石棺が並べて安置されている。ペルシャ建築の影響が顕著であるが、インド的要素も散見される。ヨーロッパからも多くの宝石職人が呼び寄せられたため、一部にはバロック建築の影響も指摘されている。

歴史

シャー・ジャハーンが愛妃ムムターズ・マハルの死(1630年)を悼んで建設した霊廟である。竣工してまもなく、シャー・ジャハーンはヤムナー川の対岸に黒大理石を基調とした自身の墓廟の建設に着手した。計画では、川をはさんで白大理石と黒大理石の墓廟が並び、その間を大理石の橋で繋ぐ事になっていた。しかし、晩年の彼は息子のアウラングゼーブ帝によってアーグラ城に幽閉され、タージ・マハルを毎日眺めては涙を流して過ごしたと伝えられている。対岸には現在も整地された基底部が残っており、タージ・マハルの裏から渡し船で行く事ができる。

もっとも、その頃には隆盛を極めたムガル帝国の国庫も、度重なる建設事業により底をついていたという通説が流布されているが、後継者アウラングゼーブ帝が40年にわたって大規模な軍事侵攻を行い続け得たことからして、シャー・ジャーハン治世においてはムガル帝国の財政はそれほど窮乏してはいなかった、とみるのが妥当という説得力ある説も提示されている。実際に、アウラングゼーブはシャー・ジャハーンをタージ・マハルに葬ることを認め、その棺をムムターズ・マハルの棺の隣に設置した。

その後ムガル帝国の衰退とともに荒廃していったが、イギリス領インド帝国時代、19世紀末にインド副王となったカーゾン卿によって大規模な修復事業が行われた。

観光

年間400万人(うち外国人は20万人)の観光客が訪れる。環境保護のため付近への車両の乗り入れが禁止されており、駐車場から入口までは歩くか電動自動車に乗り換えねばならない。また、保安上の理由で大きな荷物は入口で預ける必要がある。

首都デリーからは約200Kmの距離にあり、タクシーなどでハイウェイを行くと5時間ほどかかる。日帰り旅行などの際には、最寄りのアーグラ駅まで特急列車シャターブディー急行を利用したほうがアクセスが比較的容易である。

墓所若しくは霊廟という位置付けから、タージ・マハルの内部は撮影が禁じられている。

環境問題

近年、大気汚染によるタージ・マハルの損傷が問題化している。排ガスによる直接的な汚れの他、酸性雨によって大理石が溶解する現象などが報告されている。地下水の過度な汲み上げにより地盤が沈下し、四本の尖塔が外側に傾きつつあるとの報告もある。開発による世界遺産への悪影響の顕著な例である。

登録基準

この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。

  • (1) 人類の創造的才能を表現する傑作。

外部リンク

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ギャラリー

座標: 北緯27度10分27秒 東経78度02分32秒 / 北緯27.17417度 東経78.04222度 / 27.17417; 78.04222

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