ムムターズ・マハル

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ムムターズ・マハル
ممتاز محل
ムガル帝国后妃
ムムターズ・マハル

出生 1593年4月27日
アーグラ
死去 1631年6月17日(38歳没)
ブルハーンプル
埋葬 タージ・マハル
配偶者 シャー・ジャハーン
子女 ダーラー・シコー
シャー・シュジャー
アウラングゼーブ
ムラード・バフシュ
ジャハーナーラー・ベーグム
ラウシャナーラー・ベーグム
ガウハーラーラー・ベーグム
(他4人の息子と3人の娘)
父親 アーサフ・ハーン
母親 ディーワーンジー・ベーグム
宗教 イスラーム教シーア派
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ムムターズ・マハルヒンディー語: मुमताज़ महल Mumtāz Mahal, ペルシア語: ممتاز محلMomtāz-i Maḥal, 1593年4月27日 - 1631年6月17日)は、北インドムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンの皇妃で、第6代皇帝アウラングゼーブの母。

宮廷の大富豪アーサフ・ハーンの娘で、本名はアルジュマンド・バーヌー・ベーグムارجمند بانو بیگم Arjumand Bānū Bēgum)という。ムムターズ・マハルとはペルシア語で「愛でられし王宮の光彩」「宮廷の選ばれし者」を意味する言葉であり、第4代皇帝ジャハーンギールから授けられた称号である。

生涯[編集]

シャー・ジャハーンとムムターズ・マハル

1595年4月6日ムガル帝国の貴族アーサフ・ハーンの娘として生まれる。 彼女の祖父はサファヴィー朝からの亡命貴族であったミールザー・ギヤース・ベグ(尊称イティマード・ウッダウラ)という人物で、その息子アーサフ・ハーンが彼女の父である[1]。ギヤース・ベグにはミフルンニサー・ベーグムという娘がおり、これがジャハーンギールの寵妃ヌール・ジャハーンとなった。ムムターズ・マハルはヌール・ジャハーンの姪にあたる[1]

1612年ジャハーンギールの皇子フッラム(のちのシャー・ジャハーン)と結婚する。夫に深く寵愛され、14人の子女をもうける[1]。うち、成年まで育ったのは男子4人と女子3人であり、この4人の男子が長男ダーラー・シコー以下、シャー・シュジャーアウラングゼーブムラード・バフシュである[1]

夫が父帝ジャハーンギールや継母ヌール・ジャハーンと対立し、各地への転戦や逃避行中でも、これに付き従い苦楽をともにしたと伝えられている。

タージ・マハル

1631年6月17日、シャー・ジャハーンのデカン遠征中、遠征先で第14子ガウハーラーラー・ベーグムを生んだあと38歳で産褥死した[1]。シャー・ジャハーンはその死を大いに悲しみ、彼女のとしてタージ・マハルを建立し来世を弔った。

子女[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.226

参考文献[編集]

  • フランシス・ロビンソン 著、月森左知 訳『ムガル皇帝歴代誌 インド、イラン、中央アジアのイスラーム諸王国の興亡(1206年 - 1925年)』創元社、2009年。ISBN 978-4-422-21520-4 
  • アンドレ・クロー 著、杉村裕史 訳『ムガル帝国の興亡』法政大学出版局〈イスラーム文化叢書〉、2001年。ISBN 4-588-23803-5 

関連項目[編集]