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2010年10月18日 (月) 08:23時点における版

ミゲール・トーレス
基本情報
本名 ミゲール・アンヘル・トーレス
(Miguel Ángel Torres)[1]
通称 ジ・エンジェル(The Angel)[要出典]
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1981-01-18) 1981年1月18日(43歳)[2]
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
インディアナ州イーストシカゴ[1]
所属 トーレス・マーシャルアーツ[2]
身長 175cm[1]
体重 61kg[1]
階級 バンタム級
バックボーン ブラジリアン柔術グラップリング
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ミゲール・トーレスMiguel Torres、男性、1981年1月18日 - )は、アメリカ合衆国総合格闘家インディアナ州イーストシカゴ出身。トーレス・マーシャルアーツ所属。元WEC世界バンタム級王者。元修斗米大陸フェザー級王者。

来歴

プロデビュー前

1981年1月18日、アメリカ合衆国インディアナ州イーストシカゴで、メキシコ系スペイン人として生まれる。父親がボクシングの試合をテレビで見ていたことから、幼少期より格闘技に興味を持ち、6歳の時からサッカーを始め、7歳の時には空手を始めた。しかし、月謝が払えなくなり空手は1年半しか続かなかった。14歳の時に、バイトをしながらテコンドーを始めるも、高校進学後のレスリング選手とのスパーリングでは、タックルを仕掛けられ何も出来なかった。また、テコンドーの先生にどう対処すればよいのか尋ねても答えを得られず、タックルを防ぐ技術をテコンドーの技術から編み出そうとしたが出来なかったため、テコンドーをやめた。本人によれば、テコンドーの先生がテコンドーが最高の格闘技であると「洗脳していたんだ」とのこと。そして、寝技の重要性に目覚めたことや、UFCを第1回から見ていたことでブラジリアン柔術を習いたいと思い始めた。しかし、高校のレスリング部の人間から、体格が小さいことを理由に入部を拒否され、近場に柔術の道場がなかったことから、ガレージで自分の友人達と自主的に練習を始めた。このため、トーレスは自身のことを「ガレージ生まれのファイター」と形容している[3]

プロデビュー

17歳のときに、自身の住む町のバーで、格闘技の非合法な興行が開催された。バーの中央にリングを設置しただけの簡単な作りの会場で、違法なのにもかかわらずポスターなどで宣伝されていた。試合形式は5分2Rで、階級も計量もなく、使用するグローブも非常に雑なつくりだったという。この時、本人は出場を希望したが体格が小さかったため断られた。その後、18歳になるまでの間に自己流のキックボクシングボクシングで鍛えた。18歳になり、初めて試合に出場。初戦を1R10秒KO勝ちで白星で飾った。これをきっかけに、試合に継続的に参戦し始めた。また、以前から所属していた格闘技サークルと、他の格闘技サークルとの間で行われる道場マッチにも参加した。本人によれば、プロデビュー前までに、道場マッチを5試合、バーでの試合を10試合の試合をこなしていた。ただし、本人はこの頃に闘った相手についてはあまり覚えていないとのこと[3]

1999年からブラジリアン柔術を習い始める。ヒクソン・グレイシーが開いたセミナーに参加したことがきっかけだった。その時、後に総合格闘技の大会を主催するブラーリオ・コラルが青帯を取得し、セミナー中にコラルと練習を行ったことで、コラルとの繋がりが出来た。また、コラルのジムに行ったことで練習仲間が出来、加えてコラルの主催する総合格闘技の大会でのデビューの足がかりが出来た。その後、インディアナポリスで行われた試合に参加した際、マルセーロ・モンテーロという柔術家に出会う。モンテーロからヒカルド・デラヒーバに紹介されたことで、本格的にブラジリアン柔術を学ぶことになった。モンテーロと出会ってから1か月後にリオデジャネイロ市に渡り、トレーニング終了後に紫帯を授与された。帰国後はカーウソン・グレイシーの元で練習を続けた。これは、何度もブラジルに渡ってデラヒーバの元で練習を続けるうちに、デラヒーバから「なぜわざわざ何度もブラジルに来て柔術を練習するのか」と尋ねられ、カーウソンがシカゴに道場を持っていたことを教えられたからだという。それまでは、シカゴに柔術の道場があることを知らなかった。その後、2000年から公式の合法な総合格闘技の試合に出場し始める。しかし、試合会場はまたしてもバーだった。興行の主催者はブラーリオ・コラルで、後にエリック・ムーンとIronheart Crown(en)(アイアンハート・クラウン)を共同で運営することになる。トーレス自身は、コラルのことをファイトマネーの払いの悪さから良く思っておらず、今では犬猿の仲だという。初戦のファイトマネーは無しだったが、2戦目には100ドル受け取り、以降20ドルずつ増えていったという[3]

初の王座獲得

2001年からはIronheart Crownを主戦場とした。しかし、2003年11月22日に開催された「Ironheart Crown 6: Inferno」でライアン・アッカーマンを相手に3ラウンド0-3の判定負けし、自身初の敗北を喫した。本人は前回の試合後にヒザの手術をしその後1年半試合から遠ざかっていたこと、加えてコンディションも万全ではなく、以前の試合より重い61kg契約で試合が行われたことが敗因と語っている。1R終了時には脚が肉離れをおこし、タックルを捌けなくなっていたという。その2年後には2005年11月19日に開催された「Ironheart Crown 9: Purgatory」の修斗アメリカ大陸フェザー級王者決定戦でアッカーマンと再戦。腕ひしぎ十字固めで1R4:45一本勝ちを収め、リベンジとともに初の王座獲得に成功した[3]

WEC

2007年9月5日に、WEC 30にてWECに参戦を果たした。ジェフ・ベダードと対戦し、1Rに三角絞めで一本勝ちし、デビューを白星で飾った[4]2008年2月13日、WEC 32のWEC世界バンタム級タイトルマッチでチェイス・ビービーと対戦し、変形のチョークスリーパー(裁定はギロチンチョーク)で一本勝ちを収め、WEC2戦目で第3代WECバンタム級王者となった[5]。6月1日、WEC 34のWEC世界バンタム級タイトルマッチで前田吉朗と対戦。パンチで前田の右目を腫らし、3ラウンド終了時にドクターストップによるTKO勝ち[6]。王座の初防衛に成功した。12月3日、WEC 37でマニー・タピアと対戦。2RにマウントパンチによるTKO勝利で2度目の防衛に成功した[7]

2009年4月5日、WEC 40での防衛戦ではブライアン・ボウルズと対戦予定であったが、ボウルズの欠場によりWEC初参戦となるCAGE FORCE王者水垣偉弥に変更された[8]。試合は5ラウンド闘っての判定勝ちで3度目の防衛を果たした[9]。8月9日、WEC 42でブライアン・ボウルズと対戦、1ラウンドKO負けで王座から陥落した[10]。 

2010年3月6日、再起をかけて臨んだWEC 47ではジョセフ・ベナヴィデスにギロチンチョークで敗れ、自身初の一本負けとなるとともにキャリア初の連敗を喫した[11]。9月30日、WEC 51でチャーリー・ヴァレンシアに一本勝ちを収め、連敗から脱出した[12]

戦績

総合格闘技 戦績
41 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合
38 9 23 6 0 0 0
3 1 1 1 0
勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
チャーリー・ヴァレンシア 2R 2:25 チョークスリーパー WEC 51: Aldo vs. Gamburyan 2010年9月30日
× ジョセフ・ベナヴィデス 2R 2:57 ギロチンチョーク WEC 47: Bowles vs. Cruz 2010年3月6日
× ブライアン・ボウルズ 1R 3:57 KO(パウンド) WEC 42: Torres vs. Bowles
【WEC世界バンタム級タイトルマッチ】
2009年8月9日
水垣偉弥 5分5R終了 判定3-0 WEC 40: Torres vs. Mizugaki
【WEC世界バンタム級タイトルマッチ】
2009年4月5日
マニー・タピア 2R 3:04 TKO(マウントパンチ) WEC 37: Torres vs. Tapia
【WEC世界バンタム級タイトルマッチ】
2008年12月3日
前田吉朗 3R終了時 TKO(右目の腫れ) WEC 34: Faber vs. Pulver
【WEC世界バンタム級タイトルマッチ】
2008年6月1日
チェイス・ビービー 1R 3:59 変形チョークスリーパー WEC 32: Condit vs. Prater
【WEC世界バンタム級タイトルマッチ】
2008年2月13日
ジェフ・ベダード 1R 2:30 三角絞め WEC 30: McCullough vs. Crunkilton 2007年9月5日
ダリウス・トゥルシンスカス 2R 0:57 チョークスリーパー IMMAC 2: Attack 2007年4月21日
チャールズ・ウィルソン 3R 1:29 三角絞め Total Fight Challenge 7 2007年2月10日
ボビー・ギャンボア 1R 2:52 チョークスリーパー Absolute Fighting Championships 19 2006年10月21日
デリク・コリンズ 1R 2:32 チョークスリーパー Total Fight Challenge 6 2006年9月9日
リチャード・ナンクー 2R TKO Ironheart Crown 10: Tempest 2006年4月29日
ジョー・ピアソン 1R 0:28 三角絞め Total Fight Challenge 5 2006年2月18日
ライアン・アッカーマン 1R 4:45 腕ひしぎ十字固め Ironheart Crown 9: Purgatory
【修斗米大陸フェザー級王座決定戦】
2005年11月19日
ダン・スウィフト 5分3R終了 判定3-0 Total Fight Challenge 3 2005年5月21日
マイク・フレンチ 2R 2:44 三角絞め SuperBrawl 40 2005年4月30日
ジム・ブルケッタ 2R 2:08 三角絞め Total Fight Challenge 2 2005年2月19日
アレックス・カンバビアン 1R 1:01 腕ひしぎ十字固め Ironheart Crown 8: Ethereal 2004年11月20日
ムスタファ・フセイニ 3R 1:24 TKO(パンチ) Ironheart Crown 7: The Crucible 2004年6月5日
× ライアン・アッカーマン 5分3R終了 判定0-3 Ironheart Crown 6: Inferno 2003年11月22日
リンゼイ・ダーラッカー 5分3R終了 判定3-0 Ironheart Crown 4 2002年5月18日
ブライアン・ゾール 1R 3:36 三角絞め Total Combat Challenge 2002年4月13日
クレイグ・ウィリアムソン 三角絞め Total Combat Challenge 2002年4月13日
スティーヴ・レイナ 1R終了時 TKO(ドクターストップ) Ironheart Crown 3: Exodus 2001年11月10日
ニック・ミッチェル 5分2R終了 判定3-0 Ironheart Crown 3: Exodus 2001年11月10日
ダニー・ロング 1R KO Total Combat Challenge 2001年9月29日
パトリック・ロドリゲス 2R 1:41 ギブアップ Finke's Full Contact Challenge 2001年4月30日
ジョシュ・メイソン 2R チョーク Cage Rage 2 2001年4月14日
マーク・ジャロミロ 2R 2:40 腕ひしぎ十字固め Finke's Full Contact Challenge 2001年3月26日
デビッド・オドル 1R 2:05 ギブアップ(スタンドの打撃) Finke's Full Contact Challenge 2001年2月26日
ダニー・アレクサンダー 1R 0:58 チョークスリーパー Finke's Full Contact Challenge 2001年1月29日
ジェシー・グーデンシュワッガー 2R終了 TKO(ドクターストップ) MMA: Invitational 4 2000年11月18日
チャド・ブラッドン 15分1R終了 判定 Extreme Shootfighting 2000年9月30日
リッキー・オルソン 15分1R終了 判定 Extreme Shootfighting 2000年9月30日
コーリー・メリーマン 1R 1:22 ギブアップ(パンチ) Extreme Shootfighting 2000年9月30日
ダン・シーザー 1R 4:30 ギブアップ(スタンドの打撃) Finke's Full Contact Challenge 2000年8月28日
クリス・クレイマー 1R 3:00 三角絞め Finke's Full Contact Challenge 2000年7月28日
マイケル・レイナ 1R 1:22 ギブアップ(パンチ) Finke's Full Contact Challenge 2000年5月22日
ダン・シーザー 1R 4:09 フロントチョーク Finke's Full Contact Challenge 2000年4月24日
ダニー・プリアム 1R 0:10 TKO(パンチ) Finke's Full Contact Challenge 2000年3月27日

獲得タイトル

  • 初代修斗米大陸フェザー級王座(2005年、0度防衛)
  • 第3代WEC世界バンタム級王座(2008年、3度防衛)

脚注

関連項目

外部リンク

前王者
N/A
初代修斗アメリカ大陸ウェルター級王者

2005年11月19日 - 2007年12月

次王者
2007年12月廃止
北米王座と南米王座に分割
前王者
チェイス・ビービー
第3代WEC世界バンタム級王者

2008年2月13日 - 2009年8月9日

次王者
ブライアン・ボウルズ