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2008年2月12日 (火) 13:05時点における版

ポルト
所属する県 ポルト県
面積 41.3 km²
人口 238,465人
人口密度5,785人/km²
所属する教区数 15
自治体首長 {{{presidente}}}
住民呼称 {{{gentílico}}}
都市の休日 6月24日
世界遺産 ポルト歴史地区
ポルトガル
ポルトの町並み
ポルトの町並み
英名 Historic Centre of Évora
仏名 Centre historique d'Évora
登録区分 文化遺産
登録基準 (4)
登録年 1996年
公式サイト 世界遺産センター(英語)
使用方法表示

ポルトPorto)はポルトガル北部の港湾都市。人口約263,000人。リスボンに次ぐポルトガル第二の都市。ただ、ポルト都市圏では、人口は約160万人を数える[1]英語では伝統的にオポルト(Oporto)とも言う。

聖グレゴリウス聖堂、大聖堂、ポルサ宮、聖フランシスコ聖堂など市街地はポルト歴史地区として1996年世界遺産に登録された。

地理

  • 大西洋に流入するドウロ川北岸の丘陵地帯に築かれ、河口に近い。ドウロ川にはドン・ルイス1世橋など4本の橋がかかる。
  • リスボンの北300キロに位置し、ポルトガル北部の中心地である。

歴史

ポルトの歴史

ポルトの創設は5世紀より以前にさかのぼり、ローマ帝国時代からの港町ポルトゥス・カレ(ラテン語でPortus Cale、「カレの港」の意)に起源をもつ。だが、ローマ以前のケルト文化の名残であるシタデルも市外の中心にも残存している。ローマ時代の周辺をコンダドゥス・ポルトカレンシスといい、ここに成立した王国が、ポルトガル王国となった。ポルトガルの名はこれに由来する。

ポルトを含む一帯は、イスラーム勢力に占領されたこともあったが、12世紀フランス王族ブルゴーニュのアンリがレコンキスタでこの地を奪回した。

1387年ジョアン1世とイングランド王エドワード3世の第4子であるジョン・オブ・ゴーントの娘フィリパ・デ・ランカストルとの結婚式がポルトで行われた。イギリスとポルトガルの同盟関係は、この時代から始まっており、現代のNATOにまでつながる盟約関係である。

14世紀から15世紀にかけての大航海時代、ポルトで生産された船団は、ポルトガルの海軍の発展に大いなる貢献をした。1415年に、ジョアン1世の子供であるエンリケ航海王子は、ポルトを出発し、モロッコ地中海に面する港町セウタを攻撃した。エンリケ航海王子によるセウタ攻略がそれ以後のポルトガルの海外への雄飛への出発点であった。

18世紀から19世紀にかけて、ポルト港から特産ワインがイングランドに盛んに輸出され、英語でポートワイン(ポルト・ワイン)と呼ばれて有名になった。

世界遺産登録基準

この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。

  • (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。

文化遺産

  • クレリゴス教会 - 18世紀に建設されたバロック建築の教会。クレリゴスの塔の高さは、約70mある。
  • ポルト大聖堂 - もともとは、12世紀に建設された要塞であるが、17世紀から18世紀にかけて改修された。
  • ボルサ宮 - 1834年に、火災で焼失したサン・フランシスコ修道院の跡地に建設された。

特産品

姉妹都市

大航海時代の縁で日本の長崎市1978年以来姉妹都市提携している。そのほかの都市は下記の通り。

ポルト出身の著名人

関連項目

外部リンク

脚注

  1. ^ http://www.amp.pt/aamp.asp