「マルティン・ブーバー」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
2行目: 2行目:


息子[[ラーファエル・ブーバー]] Rafael Buber は作家[[マルガレーテ・ブーバー=ノイマン]]の夫。
息子[[ラーファエル・ブーバー]] Rafael Buber は作家[[マルガレーテ・ブーバー=ノイマン]]の夫。



== 経歴 ==
== 経歴 ==
10行目: 9行目:
* [[1938年]][[イスラエル]]の地に帰還
* [[1938年]][[イスラエル]]の地に帰還
* [[1963年]]、[[エラスムス賞]]受賞
* [[1963年]]、[[エラスムス賞]]受賞



== 思想 ==
== 思想 ==
17行目: 15行目:
ブーバーによれば科学的、実証的な経験や知識は「それ」というよそよそしい存在にしか過ぎず、「われ」は幾らそれに関わったとしても、人間疎外的な関係から抜け出すことはできないという。その「われ-それ」関係に代わって真に大切なのは「われ-なんじ」関係であり、世界の奥にある精神的存在と交わることだという。そして精神的存在と交わるためには対象を対象として一方的に捉えるのではなく、対象と自分を関係性として捉えること、すなわち対話によってその「永遠のいぶき」を感じとることが不可欠だとする。
ブーバーによれば科学的、実証的な経験や知識は「それ」というよそよそしい存在にしか過ぎず、「われ」は幾らそれに関わったとしても、人間疎外的な関係から抜け出すことはできないという。その「われ-それ」関係に代わって真に大切なのは「われ-なんじ」関係であり、世界の奥にある精神的存在と交わることだという。そして精神的存在と交わるためには対象を対象として一方的に捉えるのではなく、対象と自分を関係性として捉えること、すなわち対話によってその「永遠のいぶき」を感じとることが不可欠だとする。


このような汎神論的思想はユダヤ神秘主義やドイツ神秘主義と似通っており、双方の伝統を受け継ぐブーバーはこれらから独自の思想を発展させたと考えられる。もっともブーバーは人間は現世に生活する存在である以上、神秘主義の説く「神人合一」を絶対的境地とは認めなかった。なぜならそのような境地を絶対とするならば、恍惚境から離れた日常ではいかなる悪を犯しても構わなくなるからである。むしろ通常の人間には日常生活の方が大事であり、そこにおいて絶対的存在との繋がりを保つ手法の考察が、「対話」に発展していったと考えられる。
この思想はユダヤ神秘主義やドイツ神秘主義と似通っており、双方の伝統を受け継ぐブーバーはこれらから独自の思想を発展させたと考えられる。もっともブーバーは人間は現世に生活する存在である以上、神秘主義の説く「神人合一」を絶対的境地とは認めなかった。なぜならそのような境地を絶対とするならば、恍惚境から離れた日常ではいかなる悪を犯しても構わなくなるからである。むしろ通常の人間には日常生活の方が大事であり、そこにおいて絶対的存在との繋がりを保つ手法の考察が、「対話」に発展していったと考えられる。


== 参考資料 ==
== 参考資料 ==

2007年4月29日 (日) 20:40時点における版

マルティーン・ブーバーמרטין בובר, Martin Buber, 1878年2月8日 - 1965年6月13日)はオーストリア出身のユダヤ宗教哲学者・社会学研究者。

息子ラーファエル・ブーバー Rafael Buber は作家マルガレーテ・ブーバー=ノイマンの夫。

経歴

思想

ブーバーの思想は「対話の哲学」と位置づけられる。対話の哲学とは「我」と「汝」が語り合うことによって世界が拓けていくという、端的に言えばユダヤ教義を哲学的に洗練したものとされる。

ブーバーによれば科学的、実証的な経験や知識は「それ」というよそよそしい存在にしか過ぎず、「われ」は幾らそれに関わったとしても、人間疎外的な関係から抜け出すことはできないという。その「われ-それ」関係に代わって真に大切なのは「われ-なんじ」関係であり、世界の奥にある精神的存在と交わることだという。そして精神的存在と交わるためには対象を対象として一方的に捉えるのではなく、対象と自分を関係性として捉えること、すなわち対話によってその「永遠のいぶき」を感じとることが不可欠だとする。

この思想はユダヤ神秘主義やドイツ神秘主義と似通っており、双方の伝統を受け継ぐブーバーはこれらから独自の思想を発展させたと考えられる。もっともブーバーは人間は現世に生活する存在である以上、神秘主義の説く「神人合一」を絶対的境地とは認めなかった。なぜならそのような境地を絶対とするならば、恍惚境から離れた日常ではいかなる悪を犯しても構わなくなるからである。むしろ通常の人間には日常生活の方が大事であり、そこにおいて絶対的存在との繋がりを保つ手法の考察が、「対話」に発展していったと考えられる。

参考資料

  • 『マルティン・ブーバー聖書著作集 第2巻 神の王国 』(原書名 Königtum Gottes, 原著第3版の翻訳)(マルティン・ブーバー 著、木田献一北博 訳、日本キリスト教団出版局、ISBN 4-8184-0455-1、2003年6月)

ブーバー関連の書籍;

外部リンク

ウィキクォートにマルティン・ブーバーの引用句集があります

Template:Link FA