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ブーバーによれば科学的、実証的な経験や知識は「それ」というよそよそしい存在にしか過ぎず、「われ」は幾らそれに関わったとしても、人間疎外的な関係から抜け出すことはできないという。その「われ-それ」関係に代わって真に大切なのは「われ-なんじ」関係であり、世界の奥にある精神的存在と交わることだという。そして精神的存在と交わるためには対象を対象として一方的に捉えるのではなく、対象と自分を関係性として捉えること、すなわち対話によってその「永遠のいぶき」を感じとることが不可欠だとする。 |
ブーバーによれば科学的、実証的な経験や知識は「それ」というよそよそしい存在にしか過ぎず、「われ」は幾らそれに関わったとしても、人間疎外的な関係から抜け出すことはできないという。その「われ-それ」関係に代わって真に大切なのは「われ-なんじ」関係であり、世界の奥にある精神的存在と交わることだという。そして精神的存在と交わるためには対象を対象として一方的に捉えるのではなく、対象と自分を関係性として捉えること、すなわち対話によってその「永遠のいぶき」を感じとることが不可欠だとする。 |
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この思想はユダヤ神秘主義やドイツ神秘主義と似通っており、双方の伝統を受け継ぐブーバーはこれらから独自の思想を発展させたと考えられる。もっともブーバーは人間は現世に生活する存在である以上、神秘主義の説く「神人合一」を絶対的境地とは認めなかった。なぜならそのような境地を絶対とするならば、恍惚境から離れた日常ではいかなる悪を犯しても構わなくなるからである。むしろ通常の人間には日常生活の方が大事であり、そこにおいて絶対的存在との繋がりを保つ手法の考察が、「対話」に発展していったと考えられる。 |
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== 参考資料 == |
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2007年4月29日 (日) 20:40時点における版
マルティーン・ブーバー(מרטין בובר, Martin Buber, 1878年2月8日 - 1965年6月13日)はオーストリア出身のユダヤ系宗教哲学者・社会学研究者。
息子ラーファエル・ブーバー Rafael Buber は作家マルガレーテ・ブーバー=ノイマンの夫。
経歴
- 1923年、主著である『我と汝』を発表
- 1924年から1933年までフランクフルト大学教授
- 1925年から聖書のヘブライ語からのドイツ語訳を進める
- 1938年イスラエルの地に帰還
- 1963年、エラスムス賞受賞
思想
ブーバーの思想は「対話の哲学」と位置づけられる。対話の哲学とは「我」と「汝」が語り合うことによって世界が拓けていくという、端的に言えばユダヤ教義を哲学的に洗練したものとされる。
ブーバーによれば科学的、実証的な経験や知識は「それ」というよそよそしい存在にしか過ぎず、「われ」は幾らそれに関わったとしても、人間疎外的な関係から抜け出すことはできないという。その「われ-それ」関係に代わって真に大切なのは「われ-なんじ」関係であり、世界の奥にある精神的存在と交わることだという。そして精神的存在と交わるためには対象を対象として一方的に捉えるのではなく、対象と自分を関係性として捉えること、すなわち対話によってその「永遠のいぶき」を感じとることが不可欠だとする。
この思想はユダヤ神秘主義やドイツ神秘主義と似通っており、双方の伝統を受け継ぐブーバーはこれらから独自の思想を発展させたと考えられる。もっともブーバーは人間は現世に生活する存在である以上、神秘主義の説く「神人合一」を絶対的境地とは認めなかった。なぜならそのような境地を絶対とするならば、恍惚境から離れた日常ではいかなる悪を犯しても構わなくなるからである。むしろ通常の人間には日常生活の方が大事であり、そこにおいて絶対的存在との繋がりを保つ手法の考察が、「対話」に発展していったと考えられる。
参考資料
- 『マルティン・ブーバー聖書著作集 第2巻 神の王国 』(原書名 Königtum Gottes, 原著第3版の翻訳)(マルティン・ブーバー 著、木田献一・北博 訳、日本キリスト教団出版局、ISBN 4-8184-0455-1、2003年6月)
- 『時間と対話的原理 波多野精一とマルチン・ブーバー』(側瀬登 著、晃洋書房、ISBN 4-7710-1201-6、2000年11月)
ブーバー関連の書籍;
- 『ブーバー研究 思想の成立過程と情熱』(小林政吉 著、創文社、1978年12月)
- 『ユダヤ教思想における悪 なぜ,いま「悪」なのか』(植村卍 編著、小岸昭・池田潤・赤井敏夫 共著、晃洋書房、ISBN 4-7710-1502-3、2004年6月)
- 『人は独りではない ユダヤ教宗教哲学の試み』(A.J.ヘッシェル 著、森泉弘次 訳、教文館、ISBN 4-7642-7177-X、1998年10月)
- 『人間を探し求める神 ユダヤ教の哲学』(A.J.ヘッシェル 著、森泉弘次 訳、教文館、ISBN 4-7642-7180-X、1998年11月)
- 『外の主体』(エマニュエル・レヴィナス 著、合田正人 訳 、みすず書房、ISBN 4-622-03077-2、1997年2月)
- 『彼ら抜きでいられるか 二十世紀ドイツ・ユダヤ精神史の肖像』(ハンス・ユルゲン・シュルツ 編、山下公子ほか 訳、新曜社 ISBN 4-7885-0905-9、2004年8月)
- 『実存と暴力 後期サルトル思想の復権』(清真人 著、御茶の水書房、ISBN 4-275-00345-4、2004年10月)
- 『思索の森へ カントとブーバー』(三谷好憲 著、行路社、1993年11月)
- 『上田閑照集 第6巻 道程「十牛図」を歩む』(上田閑照 著、岩波書店、ISBN 4-00-092466-4、2003年3月)
- 『生きるためのヒント 自然認識の歩みから』(木村寛 著、自費出版、ISBN 4-88591-797-2、2002年8月)
- 臨床哲学論文集『木村敏著作集 7』(木村敏 著、弘文堂、ISBN 4-335-61027-0、2001年10月)
- 『援助するということ 社会福祉実践を支える価値規範を問う』(古川孝順ほか 著、有斐閣、ISBN 4-641-07654-5、2002年6月)
- 『教育思想のルーツを求めて 近代教育論の展開と課題』(関川悦雄・北野秋男 著、啓明出版、ISBN 4-87448-028-4、2001年4月)
- 『自閉症と心の発達 「心の理論」を越えて』(R.ピーター ホブソン 著、木下孝司 監訳、学苑社、ISBN 4-7614-0005-6、2000年11月)
- 『ブーバー教育思想の研究』(斎藤昭 著、風間書房、ISBN 4-7599-0830-7、1993年2月)
- 『教育愛について かかわりの教育学 3』(岡田敬司 著、ミネルヴァ書房、ISBN 4-623-03590-5、2002年3月)
- 『現代倫理学の探究 自由・価値・実存をめぐって』(西平哲次 著、近代文芸社、ISBN 4-7733-5045-8、1996年3月)
- 『宗教と倫理 キェルケゴールにおける実存の言語性』(C.S.エヴァンスほか 著、桝形公也 編監訳、ナカニシヤ出版、ISBN 4-88848-407-4、1998年4月)
- 『哲学の再生 インマヌエル哲学とM・ブーバー』(柴田秀 著、法蔵館、ISBN 4-8318-7167-2、1988年3月)
- 叢書・ウニベルシタス『ブーバーとの対話』(ヴェルナー・クラフト 著、板倉敏之 訳、法政大学出版局、ISBN 4-588-00066-7、1975年)
- 『入門イエスの思想』(柴田秀 著、三一書房、ISBN 4-380-97225-9、1997年3月)
- ガブリエル・マルセルの宗教哲学の研究 1『存在の光を求めて』(小林敬 著、創文社、ISBN 4-423-30097-4、1997年2月)