測天 (敷設艇)
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艦歴 | |
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計画 | ③計画 |
起工 | 1937年6月24日 |
進水 | 1938年4月27日 |
就役 | 1938年12月28日竣工 |
その後 | 1944年7月25日戦没 |
除籍 | 1944年9月10日 |
性能諸元 | |
排水量 | 基準:720トン、公試:750トン |
全長 | 74.70m |
全幅 | 7.85m |
吃水 | 2.60m |
機関 | マン式三号ディーゼル2基2軸 3,600馬力 |
速力 | 20.0kt |
航続距離 | 14ktで2,000浬 |
燃料 | 重油:35トン |
乗員 | 74名 |
兵装 | 40mm連装機銃1基2挺 13mm連装機銃1基2挺 爆雷36個、捕獲網8組 (もしくは九三式機雷120個) |
測天(そくてん)は、日本海軍の敷設艇。測天型敷設艇の1番艇。艦名としては2代目。
艦歴
[編集]1938年(昭和13年)12月28日横浜船渠にて竣工、佐世保鎮守府籍となる。
太平洋戦争開戦時には馬公防備隊付属として同方面の哨戒、船団護衛、機雷敷設などに従事する。
1943年3月23日にアメリカ潜水艦「キングフィッシュ」を発見し、特設砲艦「長白山丸」などとともに24日まで爆雷攻撃を行って「キングフィッシュ」を損傷させた[1]。
1944年(昭和19年)3月1日に中部太平洋方面艦隊第5根拠地隊に編入、以後はサイパン、パラオ方面の船団護衛、機雷敷設等に従事する。同年7月25日ウルシーでの機雷敷設のためパラオを出港するが艦載機の攻撃を受け沈没した。同年9月10日に除籍。
艇長
[編集]- 艤装員長
同型艦
[編集]脚注
[編集]- ^ 潜水艦攻撃、215-216ページ
- ^ 「海軍辞令公報(部内限)号外 第230号 昭和13年8月25日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072074200
- ^ a b 「海軍辞令公報(部内限)号外 第257号 昭和13年11月5日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072074500
参考文献
[編集]- 雑誌『丸』編集部『写真 日本の軍艦 第14巻 小艦艇Ⅱ』(光人社、1990年) ISBN 4-7698-0464-4
- 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 海軍軍戦備<1> 昭和十六年十一月まで』朝雲新聞社、1969年
- 木俣滋郎『潜水艦攻撃 日本軍が撃沈破した連合軍潜水艦』光人社、2000年、ISBN 4-7698-2289-8
関連項目
[編集]- 測天型敷設特務艇 (初代測天)