海野勝珉

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海野勝珉

海野 勝珉(うんの しょうみん、天保15年5月15日1844年6月30日) - 大正4年(1915年10月6日)は、日本の彫金家。幼名・竹次郎。別号は東華斎芳州

略伝[編集]

常陸国水戸にて、伝右衛門の四男として生まれる。叔父にあたり水戸藩士だった初代・海野美盛に金属彫刻を学ぶ。更に美盛の紹介で、当時水戸彫金界の泰斗だった同藩士・萩谷勝平から金属工芸の諸技術を収めて、基平と名乗った。「勝珉」の名は、師・萩谷勝平の「勝」と江戸時代の名彫金家・横谷宗珉の「珉」を合わせ後に名乗ったものと考えられる。また水戸時代には、安達梅渓に絵を、武庄次郎に漢籍も学び、高い教養も身につけている。

明治初年上京、明治9年(1876年駒込千駄木町で開業した。明治10年(1877年)第1回内国勧業博覧会、明治14年(1881年)第2回内国勧業博覧会で褒状。明治23年(1890年)、第3回同博覧会で「蘭陵王」で妙技一等賞。翌年東京美術学校助教授となり、先達で同校教授だった加納夏雄に師事し更なる研鑽を積む。明治27年(1894年)同教授、翌年の第4回内国勧業博覧会では審査員。明治29年(1896年)6月30日には帝室技芸員を拝命[1]。明治38年(1905年)加納に続き勲六等瑞宝章受章。大正4年に逝去後は、従四位勲四等に叙せられた。

加納と同じく、鋭角な刃先を持つ小刀のようなで金属を彫る片切彫を得意とした。また象嵌にも優れ、多種の金属を組み合わせる事で豊かな色彩表現を可能としている。

墓所は豊島区駒込染井霊園

代表作[編集]

蘭陵王置物、重要文化財(2022年度指定)
1890年製作、1890年第三回内国勧業博覧会一等妙技賞受賞作、重要文化財(2022年度指定)、三の丸尚蔵館[2]
  • 太平楽置物
1899年製作、1900年パリ万博出展作、重要文化財(2024年度指定予定)、三の丸尚蔵館蔵[3]
1903年製作、重要文化財(2024年度指定予定)、三の丸尚蔵館蔵、川之邊一朝蒔絵)、六角紫水(下絵)等との共作。文化財指定は菊蒔絵螺鈿書棚製作図45枚が附指定されている[3]

親族[編集]

脚注[編集]

参考文献[編集]

  • 松原龍一 「海野勝珉 太平楽置物」『国華』第1328号、国華社、2006年6月、pp.43-45