懿徳皇后
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懿徳皇后(いとくこうごう、天福7年(942年) - 開宝8年12月19日[1](976年1月22日))は、北宋の太宗趙匡義の2番目の正妻。太宗の即位前に死去し、皇后を追贈された。姓は符氏。後周の世宗柴栄の皇后であった宣懿皇后・宣慈皇后姉妹の妹にあたる。
生涯
[編集]陳州宛丘県の人。魏王符彦卿(符存審の四男)の六女。母は楊氏、同母弟は符昭願。後周の顕徳年間、趙匡義と結婚した。
宋が建てられると、汝南郡夫人に封ぜられた。建隆2年(961年)9月、楚国夫人に進んだ。趙匡義が晋王となると、越国夫人となった。開宝8年12月19日(976年1月22日)、薨去した。太宗が即位すると、皇后の位を追贈され、宣祖趙弘殷(太祖・太宗兄弟の父)の永安陵に従葬された。
脚注
[編集]- ^ 『宋会要輯稿』后妃一