恭淑皇后

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恭淑皇后(きょうしゅくこうごう、1165年 - 1200年12月21日)は、南宋寧宗の最初の皇后。姓は韓氏

生涯[編集]

韓同卿(高宗の皇后呉氏の妹の姻戚)と正妻の荘氏の次女。寧宗の下で権勢を振るう韓侂冑の従兄の孫にあたる。

姉と共に後宮に入り、太上皇(高宗)と太上皇后(呉氏)の側にはべり、おっとりした従順な性格だったために可愛がられた。淳熙12年(1185年)8月に平陽郡王趙拡(のちの寧宗)と娶わせられ、新安郡夫人に封ぜられた。同16年(1189年)5月、趙拡の父の光宗が即位すると、趙拡は郡王から親王に上ったので韓氏は崇国夫人に進んだ。紹熙5年(1194年)、寧宗が即位すると、皇后に冊立された。寧宗の寵愛を受け、また韓侂冑の後盾になった。韓侂冑は皇后より2世代上の傍系尊属であったが、年齢は近く、外戚として権勢を高めて人々の注目を集めた。対照的に実父の韓同卿は、おとなしく慎み深い性格で目立ったことはしなかった。

韓皇后は2人の男子を産んだが、みな夭折した。後年、楊貴妃(恭聖皇后)と寵愛を争ったといわれる。慶元6年11月7日(1200年12月21日)、崩御した。「淑」とされた。

男子[編集]

  • 趙埈 (1196年生没)
  • 趙坦 (1200年生没)

伝記資料[編集]

  • 宋史
  • 『宋会要輯稿』
  • 『建炎以来朝野雑記』